冷温に縋る(それは心地よいものでは決してない)

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 銃を握ることに慣れているわけでは決してなかった。戦うことを教わったことなど一度もないし、戦うことを生業にするつもりもこれっぽっちもない。
 それなのに、掌の中の冷たい感触は妙にしっくり来る。
「……ッ、このアマ、医者の癖に……!」
「悪いのはそっちの方でしょ」
 冷たく吐き捨てる台詞がすんなりと出てきてしまう。
「先に客としての立場かなぐり捨てて踏み倒そうとしてきたのはそっち。こっちは契約に基づいた正当な報酬を要求してるだけよ」
「もう充分払っただろうが! ぼったくりにも程が――」
「不満があるなら、ぼったくりじゃないちゃんとしたお医者さんに行きなさいな」
 笑顔さえ湛えて、銃を構え直す。
 見るからに破落戸といった風体の男は、撃たれた肩を押さえてしゃがみこんでいた。赤く染め上げられた太股がもう一発、撃ち込まれた銃弾の存在を示している。
 明らかに不利な立場に追い込まれた男を上から見下ろし詰め寄って、勝ち誇るように言い放った。
「……契約不履行の落とし前くらいは、つけてもらうわよ?」
「ん、何――っ」
 男の額に銃口を突き付け抵抗を封じ、相手の懐を探る。ナイフや銃等の武器の類、金目のものを奪い取って行く。
 一通り果たしたところでやっと銃口を男の額から離した。されど銃は隙なく彼に向いたまま、男からは距離を取る。付け入られるだけの素振りを見せるつもりなど毛頭もなかった。
「――見逃してあげる」
「は?」
「それで見逃してあげる、って言ってんの。有り難く思いなさいよ? さっさと行きなさい」
 浮かべた笑みは嘲笑に他ならなかった。
「ふざけんなこのアマ、身ぐるみ剥がしといて……っ!」
 しゃがみこんだ男がいきり立つ、その寸前に銃把を握り直した。男が動きを止める。
「ここで死ぬのをご所望?」
「……っくそ」
 忌々しげに舌打ちした男は、表情こそ穏やかでなかったがそれ以上の抵抗を見せることはなかった。撃ち抜かれた左太股を庇いながら立ち上がり、ふらつく足取りでなんとか外へと出ていく。
 開け放しのドアを睨んで暫しの間。やがて力が抜けたようにその場にへたりこんだが、掌の銃を手放しはしなかった。むしろすがるような力を込めて鉄の塊を握り締める。
 溜め息をつこうにも、形を持たぬはずの空気は喉元で凝り固まってなかなか出なかった。苦労してやっとついた溜め息も自分の重い心をさらに沈めるもの以外の何物でもなかった。
 真新しい血痕の残る自らの仕事場で、行き場をなくして縮こまる細い身体が視線を感じて振り返る。九尾の狐が、彼女を見ていた。
 物言わぬ赤い瞳は言葉よりも雄弁で、言い訳がましく反駁を漏らす。
「……手負いで武器もないのよ、どうせ適当なところで死ぬわ」
「………」
 彼は声を発しない。静かな中で、自分の声が震えていることがはっきりと浮き彫りにされる。自分の無様さも、また尚。
 生かして逃がしたということは、恨みを抱かせたまま野に放つということだ。それがどういう意味か、分かっていないわけがなかった。
「いいの」
 正しいことを言っているのだと、分かっていながらその事実から目を逸らす。視線を振り払うように言葉を重ねる。
「いいの!!」
 喉から絞り出したそれは叫びに相違なかった。自らのそれの大きさに、激しさに、思わず肩がすくむ。依然黙り込んだままの相手との深い静寂が耳に痛かった。
「……そういうのは、もう、いいのよ」
 その痛みを紛らわすために零した言葉は力無く霧散した。耐えきれなくなって立ち上がる、その足が途中で崩れた。
 見下ろせば膝は震えていた。手を添えようにも銃で塞がっていて叶わず、かといって銃を手放すという選択肢は浮かばない。
 震えが全身にまで広がっていることに気付くまで随分と時間がかかった。それを抑えるために銃にすがる。人の命を奪う道具にすがる。

 こんなものでは、震えを抑えることなどできないことは分かっていた。
 この震えを止めてくれるのは一人だけで、けれどこんなものを手にしていては彼を望むことなどできようはずもない。

 優しくて暖かい掌を求めながら、硬く冷たい金属に絡み付いた指はどうしても外れてくれそうにはなかった。


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