仮に礼瀬さんが女だったとしたら

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 寅の刻に吹く風の冷たさに礼瀬は思わず身を震わせた。
 廊下を歩きながら、礼瀬は小さくため息を吐いた。ひたひたと回廊を歩く足音はどうあがいても消せるものではなく、どうにも気がかりである。充分に清めることすら許されない身体が重く、膝を折ってしまいたくなる。
 とはいえ自分の室へ戻るまではそうするわけにも行かず、礼瀬は引きずるような心持で足を進めた。もういいから、早く眠りたい。
 そう、早く眠るんだ。早く眠って、起きたらすぐに、

「――おかえり」

 響いた声は良く知る声だったけれど、全く知らない声音をしていた。
 ぞくりと背筋を走った感覚は、風などよりも余程冷たかった。
 振り返った先、黒衣に身を包んだ架禄の姿が目に入る。暗闇の中で、彼はごく自然にそこに存在していた。いつからいたのか礼瀬には全く気付けなかったが、それにも関わらず、ごく、自然に。
「架、禄さ――ッ!?」
 荒々しく近付いてきた相手に腕を掴まれ、引き寄せられる。ごく近く、吐息すら感じられる距離、密着させられた身体を離そうにも腰に手を回されて礼瀬にはどうにもならなかった。拒絶を示して首を振り、目の前の逞しい胸板を必死に押し返すだけで。
「や――は、なしてくださいッ、何して……!」
「……何処、行ってきたんだよ?」
 耳元で問われ、礼瀬の身体が竦む。
 架禄の低い声は酷く張り詰めていて、誤魔化しや嘘が通用するようには到底思えなかった。冴え冴えとした、剥き出しの刃にも似た声を突き付けられて返答に窮する。
「……言えねえか」
 ぼそり、そう呟くと礼瀬の身体を横抱きに抱え上げる。あまりにも容易く抱き上げられ、礼瀬は思わず目を丸くした。すぐに反駁の口を開く。
「ッ、何すんですか、放してくださいって言って――」
「騒ぐなよ、人が起きるぞ」
 その一言で礼瀬の反論を封じると、礼瀬の室とは逆方向へと取って返す。礼瀬はどうにか抜け出そうと抵抗したが、やがて苛立った架禄に肩に担がれて完全に抑え込まれてしまった。
 そのまま、架禄の室へと辿りついた。
「――っ!」
 架禄は襖を開けると褥へと礼瀬を転がした。倒れ込んだ細い身体へと圧しかかる、圧倒的な体格差に、それでも礼瀬は架禄の肩を掴んで押し止めようと必死に粘った。
「何、し――」
「何してんだって、それもこっちの科白だよ」
 一つ一つ、切り込むような架禄の言葉。礼瀬の呼吸が止まる。
 目の前の彼の顔に、おどけるような色は微塵も感じられなかった。酷く、切羽詰まったような。
「……何、してきたんだ? なあ――言ってみせろよ!」
 初めて荒げられた架禄の声に、礼瀬の身体が竦む。架禄は礼瀬の小袖の襟を掴むと乱暴に引っ張った。必死に押し止めようとする礼瀬の抵抗も空しく、露わにされた白い肌に、
 数限りなく刻みつけられた、赤い痕跡。
「……ッ」
 息を詰めて目を逸らす礼瀬の瞳は、諦めたような色をしていた。
「誰だよ、相手」
「……アンタに言って、どうにかなるもんじゃないで、ッ……!」
「うるせえ」
 自棄気味に吐き捨てた礼瀬の声を遮り、唇に顔を寄せる。その赤に、唇を重ねる。
 新たな色で、塗り潰す。
「……っ、ふ、……ぅあ……ッ!」
「誰だって関係ねえってか? 上等じゃねえか」
 身体の下に押し込めた礼瀬の細い身体を好き勝手に探りながら、架禄は口端を吊り上げた。冷たいばかりでないその表情に、礼瀬の身が凍り付く。
 月光に照らされて冴え冴えと青白い礼瀬の顔を見降ろして、架禄は唇を舐めた。
「塗り潰してやる。――俺の子を孕めよ、礼瀬」


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