香炉

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 冬はつとめて、と、清少納言は言ったものですが。
「……寒いじゃん」
 冬の朝なんて。
 衣から身を出して、くしゅ、とくしゃみをしたシャインくんは、ぶるりと身体を震わせました。まだ秋だけどさ、十分寒いじゃん、これで冬になったらどうなんの、とかってぶちぶちこぼしながら、投げ捨てられていた上衣を着込みます。そういえば昨晩、一枚じゃ冷えるからもっと着込みなさい、と言われたものでした。誰にって、
「……ん」
 ふわり、いい香りがしました。甘い感じの、うっとりするような。なんだろ、と考えかけて、その正体に気付きました。これは、
「入るぞ」
 妻戸の向こうから声がしました。礼瀬さんの声です。いつもご苦労なもんだなァ、とシャインくんは思いました。とっても他人事な感じです。がら、と妻戸が開いて、礼瀬さんが顔を出しました。下の方からは狼斗さんです。
「はよ。……お前、起きてるんなら返事しろよ」
「おはようございます、礼瀬さん狼斗さん」
「坊ちゃん、おっはよー!」
 狼斗さんは尻尾を振りながら、シャインくんにじゃれかかりました。シャインくんは受け止めて、わーあったかい、ふわふわー、と狼斗さんに抱きつきました。すっかり日課の光景です。
 礼瀬さんは妻戸を閉めて、そんなふたりを眺めます。なかなかに和む光景です。
 が、ふと、あることに気付きました。
「……なんか、甘い匂いしない」
「しませーん」
 即座に否定するシャインくんです。
 しかし、狼斗さんが鼻を鳴らしました。
「ん、するねぇ、鳴子ちゃんかな? これ」
 言って、にっこり笑います。
 シャインくんは腕の中の狼を、抱きしめるべきか締め上げるべきか迷いました。黙っててくれればいいのにぃ、ってなもんです。
「……奈南」
 ひく、とシャインくんを睨む礼瀬さんです。いい感じに三白眼です。
 シャインくんは、狼斗さんを縋るようにぎゅっと抱きしめて、
「いやあのね礼瀬さん、えっと……小紅ちゃんは礼瀬さんみたいな人好きだって!」
「知るか!」
 いやまあ、知ってますが。あんだけ随所で話されれば。しかし、アレって違うんじゃないか。
「小紅ちゃんは、ねぇ」
 狼斗さんは、ほえっと息を吐きました。片割れがいないときを狙ってか、熱っぽく語られたことは記憶に新しいです。
 曰く。
『礼瀬さまはね、身も心も全て今は亡き伊鶴姫に捧げてらっしゃるのよ! ああ、なんて高潔で一途なのかしら、わたくしもあのような御方に巡り会えたら……』
 最後はうっとりと手を合わせて夢見心地、と、見事に夢見る乙女な小紅ちゃんでした。狼斗さん的には、それって礼瀬本人がいいの、むしろ礼瀬には伊鶴だけだから駄目なの、っていうか礼瀬が他の人を気にしだしたりしたらどうなっちゃうの、と気になることしきりでしたが。どちらにせよ、女って怖えぇ、な狼斗さんでしたが。
 で、流石にそこまで言われてることまでは知らない礼瀬さんは、奈南、と、もう一度シャインくんを睨みました。怪我開くぞ、って。
 シャインくんは、弱々しげに眉を下げてみました。ぶちぶちと抗弁します。
「……だってぇ」
「だってじゃねぇ。つーかな」
 礼瀬さん、すぱっと切り捨てて。
「最中に血出たらどうすんだ、それどころじゃなくなんぞ」
 わぁなんて現実的な、っていうかそこなの気にするところ、と呆れたような狼斗さんです。まあ、台無しですよね、って何を納得してんだってシャインくんです。
 そこで流石の礼瀬さんも、何かズレてることに気付いたようです。そうじゃなくて、と言いかけて。
「そういえば礼瀬さん今日袴ですね、弓でしたか?」
「弓だよ」
 話を逸らそうとしたシャインくんの抵抗、を一刀両断にしました。シャインくん、くうっと歯噛みします。もっと保ちそうな振り方すればよかった。
 しかしそこで、シャインくんの耳は捉えました、
「礼瀬、狼斗ぉっ! どこー!?」
「騒ぐなよ。……あ、あっちですか、ありがとうございます。お騒がせしてすみません」
 とかって、騒々しいひとりとその片割れを。狼斗さんも、あらぁって顔してます。礼瀬さんに至ってはこめかみ押さえてます。ぴし、と眉間に縦線です。
「なんであいつはこの早朝に……」
「やっぱ巡回怖かったんじゃないですか」
 見えるし、冬紀さん。見えるからこその人選なんでしょうが。
 京に大量に湧いた妖霊たちの、その源はいまだ不明です。お上からの令で、陰陽寮とか、有事隊とか、頑張ってはいるようですが。
 源も原因もわからないわけだから、叩きようがありません。民衆はただ、早く妖がどこかに消えてくれるか、もしくは誰かが祓ってくれるかを願うばかりなのです。
「礼瀬狼斗っ! ねえ聞いてよー!」
「おはよー、みんな」
 で、その京の巡回、しかも真夜中、を命じられたのが、かわいそうな冬紀さんと風羽々さんでした。
 がたん、と荒々しく妻戸を開いて、冬紀さんは涙目です。うわっ、と、明らかに腰が引けた礼瀬さんです。
「おはよぉ冬ちゃん、ふわちゃん」
「おはよーございまーす。どしたの、妖にでも遭ったんですか」
「おはようっ! 妖だったら良かったよー!」
 冬紀さんは、うわーん、って泣いて、もふもふしてるシャインくんと狼斗さん、に抱きつきました。
 礼瀬さんは遠巻きです。風羽々さんに、何あったん、と訊きました。
「んとね、景斗と小依に会ったんだ」
「景斗? あいつ見えねぇじゃん、危なくね」
「下関幸知と朔乃!」
 あのふたりもいたんだもんー、って叫んで半泣きの冬紀さんは、シャインくんと狼斗さんを抱く腕に力を込めました。いたいいたい、と悲鳴をあげたシャインくんです。
「ひどいんだよ、幸知」
 ぐすん、と鼻を啜って冬紀さん、ぶちぶちと零しました。
「オレが気にしてるの知っててまだかって、まだ発露しないのかってぇ!」
「いた、いた、いたたたたた!」
 露骨に悲鳴を上げるシャインくんに、流石に気付いて冬紀さん、あ、ごめんとシャインくんから離れました。
 シャインくんは脇腹を押さえて、冬紀さんを見ました。
「……下関、幸知って」
「先輩。第七班」
「景斗も動いてたってことは、班で動いてるんだ? もしや今回の件、人間派の差し金かな」
 狼斗さんが言って、首を傾げます。第七は人間派だからねぇ、って。
 礼瀬さんは、風羽々さんを見ました。アレマジか、と確認します。
「うん、言われた。幸知さんも早いからねぇ、発露」
「礼瀬さんと狼斗さんも発露してましたっけ?」
「あー。景斗と小依もだな」
 礼瀬さんは、気のない風に答えました。冬紀さん、ぐうっと唸って。
「同期はどっちも発露してんのにって、オレだけまだかって、あいつ嫌みったらしくー!」
 吠える冬紀さんに、シャインくんは耳を塞ぎました。相変わらずの騒々しさだなぁ、とかって思いつつ、言葉が通じる風羽々さんに訊きます。
「絆の発露って、そんなにすぐなもんなんですか?」
 シャインくんには刻んでる相手、いないので。
 風羽々さんは、うーんと唸って。
「……はっきり言って、礼瀬と狼斗も、景斗と小依も、超早いよ」
「人によっちゃ数十年かかったりするからねぇ、発露まで」
 狼斗さんも、うんうんと頷きます。
 だから、と風羽々さんは言って。
「オレはあんまり気にしてないよ、そういうの。……ちょっと悪いかな、って思うけど」
 冬紀、幸知さんからは目の敵にされてるからねぇ、とおっとりと笑った風羽々さんです。
「別に悪くねぇだろ、風羽々は」
 礼瀬さんは、憮然とした表情で言いました。ヘコんでる冬紀さんを見て。
「下関幸知程度の言葉に、いちいち過剰反応してるこいつが悪い」
「いたっ! 痛いって礼瀬!」
 ばし、と頭を叩かれて、涙目の冬紀さんでした。と、その目を瞬いて。
「……そういえば、これ、香?」
 甘い匂いがする、と言って、礼瀬さんはシャインくんを見て、シャインくんは目を逸らして、狼斗さんはからから笑って。
「香だよー、鳴子さん」
「あ、やっぱり。オレ結構好きだな、あの人」
 冬紀さん、綺麗じゃん、大人の女性って感じ、とにこにこご機嫌です。
 と、残念だったな、とふと礼瀬さんが言って。
「……なにが?」
「鳴子さんの好みは女みたいな年下だな。あと体格は悪い方がいい」
「なにそれ!?」
 冬紀さん、ぎょっと目を剥いて。シャインくんはむっと口を開いて。
「礼瀬さんに体格悪いとか言われたかないです!」
「ええ奈南!? 奈南なの!? っていうか怪我なのに、ちょっと奈南ー!?」
「うっせえ! お前に比べたらまだ背ェあるわ!」
「背ェばっかりのが危ないんですよーだ!」
「いや、ちょっ……鳴子さんもなんでえ!?」
 あららぁ、と狼斗さんは首振って笑って、ぎゃんぎゃん吠えてる犬三匹見て。
「急に騒がしくなっちゃったねぇ」
「んー。まあ、冬紀も奈南も、あんくらい騒げれば大丈夫なんじゃないの」
 ふたりとも、何も言わないときが危ないからねぇ、と風羽々さん。あ、礼瀬もか、と付け加えて、にこにこ笑ってるのでした。


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