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「……いや、お前それどーしたんだ」
 開口一番、唖然となった架禄の言葉はそれだった。
「……こっちが聞きたいですよ」
 襖を後ろ手で閉めながら答えるシャインの表情は酷く暗い。
 がくりとうなだれたその頭に生えていたのは、どうにも可愛らしい黒い猫耳。あと裾から覗く同色のしなやかな尻尾。
「俺に聞かれたところでどうしようもないだろ。……え、何? なんかすげえ面白そうなんだけどちょっとこっち来いお前」
「他人事だと思って面白がってんじゃないですよ……」
 テンションの低いシャインだったが、手招かれるままに架禄の前に座り込んだ。
 架禄の指がそのちょこんと生えた三角を捉える。
「おー……あ、取れない。本当に生えてんだな」
「っちょ……そんな触んないでくださいって、引っ張んなっ」
「いいだろ、減るもんじゃなし」
 シャインは無遠慮に弄ぶ指を鬱陶しげに払ったが、それ以上にこの状況を面白がっていた架禄の指はしつこくその耳を追い、弄り倒す。
 そんなやり取りを幾度となく繰り返されて、とうとうシャインが切れた。
「いーいーかーげーんにしてくださいっ! 変な触り方しないでくださいよっ気持ち悪い」
 架禄の腕をがしと掴み、その黒い瞳を睨み上げる。頬を上気させてふうふうと唸り、荒い息を上下させる様子はまさしく威嚇する猫のそれである。
 そしてそれはただの猫でなく、
「変な触り方ぁ?」
「……っあぅ!?」
 不意に耳を強く引っ張られ、シャインは思わず漏らした。慌てて口を押さえるが時既に遅し、架禄は訝しげにシャインを見降ろす。
 訝しげな顔が、何かを見つけたような楽しそうな笑顔に変わっていった。
 シャインは正直今すぐにでもこの男から離れたいところだったが耳を掴まれているためそれもできず、腰が引けた様子でおずおずと尋ねた。
「……な、何を」
「いやー? 何にも」
「何にもってんだったら離してくださ、ぁ! っ……ちょ、いい、加減……っ」
 黒く柔らかい耳をなでられなぞられ、その度に耐えきれずシャインの身体がびくびくと震える。
 気勢ばかりが空回り、抗議する声そのものは艶を帯びて苦しげだ。
「こっちはどうなんだ?」
「っひゃ! あっや、何し、て……っ、だ、だめぇっ」
 ぱたぱたと震える尻尾にも手を伸ばされ、毛並みに沿って指を通されて擽られる。
 耳と尻尾とを同時に責め立てられ、シャインは目蓋をきつく閉じて耐え忍んだ。身体が震えるのと同様、耳もぴくぴくと快感に揺れる。
「何でこんな敏感なんだよお前、これもともと生えてたもんじゃないだろ」
「だ、だって……ッ、なんか、分かん、な、いっ……! ですけど、なんか、おかしくって……ふあっ」
「逆転の発想か」
「い、いいからぁっ、それ、やめ……お願いっ」
 絶え間なく与えられる刺激に限界を訴え、シャインは自分を弄ぶ大きな腕に縋り付いて架禄を見上げた。
 熱く灯った洗い息、上気して桜色に染まった肌、熱に浮かされて潤んだ瞳。人間じゃないけど半妖だけど、とりあえずは健全な青年男子の架禄が見たのがこの光景である。
「……やめろって言われてもな?」
「? ひぁうっ」
 畳の床へと痩躯を引き倒し、着物の合わせから差し込んだ手で適度に柔らかな胸を掴む。
 やや乱暴な手つきに身を強張らせるシャインの耳に、低い声が流し込まれる。
「――お前、エロすぎ」
「っ――!」
 その声の色に、シャインの身体が一際大きく跳ねた。一瞬弓なりに反らされた身体は、やがて力なくだらりと床に転がる。空気を求めて喘ぐ胸が激しく上下していた。
「っは、ぁ、はあっ……っ!」
「……声でイくかよ、普通」
「……だ、って、でもっ」
 その声が好きなのはそんなんじゃないのに。
 そう抗弁するわけにもいかず、シャインはなんだか泣きたいような気分だった。もうやだ。何もかもやだ。
 やや自暴自棄になりかけたところに、架禄の手が伸びる。

「――ハイ、そこまで」

 勢いよく振り下ろされた踵が、架禄の掌を畳に縫いつけた。
「ッいってえ!?」
 唐突な展開に勢いよく振り向いた架禄。
 誰にも気づかれない間に背後に立っていた種違いの弟に思いきり噛みつく。
「テメー礼瀬、何してやがるってかお前ココ結界張ってんだぞ!?」
「んな場所でナニしてんだアンタは! つーか常識的に考えて止めるべき光景だろコレ、常識的というか倫理的道徳的に!」
「だからってお前わざわざ結界乗っ取るよーなアホをっていうかさっさと止めろ! お前今結構負担来てんだろ足元ふらついてんぞ!?」
「アホな真似させたのは誰なんだこの色情狂いが――!」
「………」
 目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩に目を白黒とさせていたシャインは、とりあえずは危機を脱そうと架禄の下から這い出ていた。
 結界が解かれる気配がして、外界との繋がりが戻ると共にシャインの耳にもいつも通りの音の氾濫が流れ込んでくる。
 激しい口論を遮るような形で何かを蹴っ飛ばす音がして振り向くと、床に落ちる架禄と心配そうにこちらを向く礼瀬の姿が目に入った。その目が慌てて逸らされて、シャインは目を丸くした。
「……そのなんていうかありがとうございますなんですけど、どうかしましたか礼瀬さん?」
「……いや、お前、いいからそれさっさと直せ、服。オレはなんも、見てね……ぇ」
「あ。……すみません、今直し――ッ!?」
 忠告通り服を直そうとしたシャインは、倒れこんできた身体を咄嗟に抱き留めた。苦しげに寄せられた眉に脂汗、ぐったりと重い身体に耐えきれずもろとも床に転がる。
「あ、礼瀬さん!? 大丈夫ですか!? っていうかこんなんなるなら放置してくれてもよかったのに!」
「おまえ、それでいいのかよ……」
「いやまー助かったんですけど! ……って、うわ、これってもしかして」
 自分より大柄な身体にのしかかられた状態でにっちもさっちもいかないシャインの耳が、とある不吉な喧騒を捉えた。なんか凄い不吉な。
 何やら洒落にならない感じではあるが、自分の上の身体が重くてどうにもならない。
 とりあえずどうにか礼瀬に伝えようと口を開くが、既に手遅れだった。
「礼瀬さんっどうかしたんですか!?」
「いやちょっ小紅ちゃん今取り込み中だからホント――」
 勢いよく襖を開けた小紅、に縋るようにして止めようとしている狼斗――が見たものは、床で昏倒している架禄――こっちはとりあえず問題ない――と、なんか結構くんずほぐれずな感じの男女。しかも下敷きになっている女の方は着衣が乱れている。
「………」
「……ええと、小紅さん。これは――」
「こべに……?」
 気怠げに顔を上げた礼瀬に叩きつけられたのは、夢見る乙女のやや一方的な罵倒。
「ひどいですっ、礼瀬さん! 礼瀬さんは伊鶴姫を今でも想って――身も心も捧げていらっしゃるのに! それが他の女の子に手を出すなんてッ」
「出されてないです」
 びし、と身動き取れないままに突っ込みを入れたシャインだったが、小紅には届かない。ちなみに礼瀬の方は反論する気力もないようでぐったりと頭を落としている。
「それなのに、それなのに……ッ、不潔ですわ―――ッ!!!」
「だから違うからね、小紅ちゃん!? 小紅ちゃ―――ん!?」
 誤解したままでぱたぱたと走り去っていく小紅、その誤解を解こうと追い縋る狼斗もまた慌てて駆けていった。あとに残されたのは、
「いやちょっとせめて狼斗さんはここ残っときませんか!? 礼瀬さん! 大丈夫ですか礼瀬さーん!?」
「……あたま、ガンガンすっから……ちょと、黙れ、耳元で叫ぶな」
「んなこと言われても!? 架禄さん起きて、起きてくださいっておねんねしてる場合じゃないですよそこのろくでなし―――ッ!!!」
 ……まあ、とりあえず、大変そうです。


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