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 暗い。
 暗い。
 暗い。
 目を開いても闇しかなくて、手を伸ばしても空を切って、捉えられるものなどどこにも存在しなかった。
 ならば動くしかない。歩き出すしかないと分かっていても、足が竦んで動かなかった。何も見えないのに、今立っているところが脆く不安定であることを理解していた。
 頼る相手も縋る相手も見つからず、暗闇から逃れる術を持たずにただそこに座り込んだ。何も見えないのだからと、目を閉じて頭を抱え込んだ。
 そうすれば怖いものを見なくて済むから。これから来る恐ろしいものを直視しなくていいから。

 その腕はきつく目蓋を伏せた私の手を取って引き寄せた。

「サーシャ?」

 呼びかける声は、優しくあたたかく包むような声。
 愛しい愛しいあの人の声。
「……、あ……」
 目を開けて飛び込んできた世界のあまりの眩しさに、意識がぐらつきそうになる。それを呼び止めたのもまた彼だった。
「大丈夫かい、サーシャ。ずいぶん魘されていたようだけど」
 こちらを見下ろす彼の背後に見えているのは天井で、見慣れた寝室のベッドに私は横たわっているのだと自覚する。彼が寝台の電灯をつけてくれたおかげで、夜であるのにも関わらず彼の顔が十分に見えるくらいに明るい。
 その明るさに、瞳に映る彼の姿に、心の底から安堵する。
「大丈夫よ、あなた。……ありがとう」
 そう返すと曇り気味だった彼の表情が和らいで、そのまま手を伸ばして頭を撫でてくれた。よかった、と、穏やかな男の人の声が本当に気の抜けたように言うものだからおかしくなって、
 同時に、なんだか物足りなくなった。
「……どうしたんだい?」
 私の横に寝転がった彼を、今度は見下ろす。さっき彼が起こしてくれたときと真逆の体勢だった。
 彼の身体の上に私の身体を横たえる。戸惑いを隠さない彼の首に腕を回し、その耳に精々かわいらしく囁く。
 彼が目を丸くしてこちらを見た。鳩が豆鉄砲を食らったようとでもいうのか、どこか抜けた顔がひょうきんで、折角こちらががんばって「かわいらしさ」を演出したっていうのに、直後にそんな風に素の「かわいさ」を見せてくるだなんてずるい。
 そう思って不満に頬を膨らまそうとしたけれど、その前に伸びてきた腕が大きな身体がいっぱいに抱き締めてくれたから、作りかけの不機嫌の顔など一瞬でどこかに吹っ飛んでいってしまった。だってこんなに大きくてあたたかいのに、かわいくない顔をしているだなんてもったいない。彼が喜ぶ顔をしていたい。
 抱き締める力は強かったけれど加減されていて、私の身体を労ってくれていることがひしひしと伝わってきた。でも物足りなくて、こんなんじゃ全然物足りない。
「……抱いて、って私は言ったのよ」
 ちょっとうらめしい思いで言う私は身動きが取れないから、彼がどんな顔をしているかは全然分からない。おかしがっているような雰囲気は伝わってくるから、なんとなくからかわれているようで機嫌を曲げてしまいたくなる。
「言われたとおり、抱き締めてる」
 ほら、やっぱり。
 言わないと分からないの?
「……しましょ、って言ってるの!」

 今はちゃんと不機嫌な顔を作れているはずだ。でもかわいくない顔は見せたくないから、彼からはつんとそっぽを向いてる。
 そんな私を後ろから引き寄せて抱え込んで、けれど顔を覗き込んだりはしない彼は、ごめんね、といつもの声で謝った。
「魘されていたばかりだったろう」
 性根の優しい、彼らしい言葉。
「どうしたって心配になるんだ」
 滔々と、諭すような語り口。
 それらは全身から伝わってくる彼の体温とともに、私のなかへと染み通ってゆく。
「……君は、あのときを思い出して、傷ついたりはしないのか?」
 それは大人の男の人ではないみたいな、迷いばかりが込められた心情の吐露だった。

 ――そういうの、反則。
 彼の腕の中でくるりと身体を反転させて、顔が見られないようにその胸板に顔を埋めた。背中に回した手で強く彼にしがみつく。離れぬように、すがりつく。
「サーシャ?」
「……あ、あなたは、私の大好きな旦那さんなんだから」
 女の子にわざわざこんなことから言わせるなんて、優しすぎてその後に柔不断っておまけがついてきてしまいそうなくらいだ。そこも含めて大好きな人だけれど、こんなときはそれがひどくもどかしい。
「そ、そういうちっちゃいことを気にしているくらいなら、さっさと私のこと、あ――安心させてくれるべきだって思います!」
 一気にまくし立てた。もう、多分今すっごく顔が赤い。彼にしがみつく力ばかりがどんどん強くなっていって、このままじゃ抱いてもらうことだってできやしない。それは嫌なのに、力を緩めることができない。離れられない。ずっとこのままだ。
 そう思っていたのに、彼はいとも簡単に私の腕を引き剥がして、私の顔にその顔を寄せた。間近でじっと見つめられて、顔から火が出そうっていうのはこういうことを言うんだと思う。いっそ出てしまえばいいのに。
「……可愛いなぁ、もう」
「〜〜〜! きゃっ」
 破顔してそんな風に言う彼に反論する暇もなく、身体をベッドに引き倒される。
 起こしてくれたときと同じように、彼は上から私を見下ろした。
「愛してるよ、サーシャ」

 寝間着の前ボタンをひとつひとつ開けられて、外気に晒された肌が少し冷たい。その冷たさを埋めるように胸に触れてくる彼の掌があたたかくて心地がよい。丁寧に撫でるような手つきの指先までが労るようで、くすぐったくもいとおしい。
「ねえ、電気、消さないの?」
「消してほしい?」
 僕は君をずっと見ていたいくらいだけど、と、どうしてそんな風に何事もないように言ってのけるのだろう。言われる側は結構照れくさい。彼と目を合わせられなくなるくらいに。
「……は、恥ずかしいもの」
「そっかぁ」
 それじゃ仕方ないね。彼は名残惜しげにしていたけど、手を伸ばしてライトを消した。

 再び暗闇が訪れる。先程と同じ暗闇が。それももう怖くない。
「わっ、と……サーシャ?」
 抱き締めた大きな身体の体温が直接伝わってくる。生きている人の温度だ。生きていて、温かい人の温度。見えなくても触れられるそれが、この上なく頼もしい。
「んっ……ふ、う」
 唇を重ねられて、それに応える。口の中を探る舌は温かいというよりもむしろ熱いくらいで、その熱を逃したくなくて自分の舌を強く絡めた。舌も唾液も、彼から送り込まれる全てを受け止める。
 触れるだけだった手はいつからか、胸の弾力を楽しむようなものへと変わっていた。今はまだ穏やかというか、あまり激しくない、慣らすような弱い刺激を緩く与えられて、気持ちいいというよりはくすぐったい。
 そして同時に、とても嬉しい。
「ふぁ……っ」
 唇を離される。離れていくそれを引き留めたいのを我慢して、口を閉じて舌に残る彼の温もりを楽しんだ。
 そのまま唇が首に触れて、小さな音を立てて肌を吸われる。きっと跡が残るだろう、点々と刻まれていくそれが暗い中でも目に映るようだった。心が躍る。
「ひ、ゃん!」
 胸の突起を甘噛みされて、不意打ちに思わず高い声が漏れた。自分の吐息が熱いことを自覚して、その熱さには彼から受けた温もりも含まれているのだと思い出して惜しくなる。彼から貰ったものはひとつだって手放したくないから。
 そう思うのに、一度声が上がってしまうともう抑えられない。
「あっ、んん……ふ、ぅあ、あぁっ」
 舌で乳首を転がす一方で、掌は乳房を掴み、もみしだく。標準より大きめのこの胸を、彼は好んで構い倒す。
 以前そんなに好きかと尋ねたら、サーシャのなんだから大好きだよ、と恥ずかしげもなく答えられた。もうちょっとだけでもいいから恥ずかしそうにするべきだと思う。そんなところも大好きだけれど。
「んっ! やぁ……あぅっ」
 胸を襲う強い刺激に誘われてぞくぞくと背中が粟立った。与えられる快感に耐えきれない身体が逃げを打ちそうになるけど、シーツを握り締めて気を紛らわした。
 逃げてはならない。逃げたくない。
 彼から与えられるものすべてを、全力で享受したい。
 びくびくと跳ねる身体の感触は、身体を重ねる彼にも伝わっている筈だった。胸を責め続ける彼が、一際強く乳首に歯を立てる。
「ひっ……っあ! だ、駄目!」
 唐突な刺激に意識が飛び上がりそうになり、慌てて彼の頭を掴んで引き剥がした。絶頂に達しかけた身体が熱を孕んでがくがくと震える。
 行き場を無くした熱を持て余すのは辛いけれど、それ以上に辛いことがあった。
「……駄目? 何が?」
 気遣わしげな声で耳元に囁かれる、それだけで達しそうになる敏感さをうらめしげに思いながら、暗闇の中彼を押し退けて身体を起こす。えい、と彼の身体をベッドに突き倒して、その大きな身体に馬乗りになった。
 彼の身体を探りながら言う。
「ひとりでいっちゃうの、嫌なの……っ」
「って、ちょっと、サーシャっ」
 辿った指先で確かな硬さを探り当て、服の中に手を滑り入れて握り込む。もう片方の手を添えて昂りを撫で上げると、掌の中で一回り大きくなったそれを服の中から引きずり出した。
 戸惑い気味に伸びてくる手を振り払い、一気に口に含む。
「っうわ、待っ……!?」
 慌てたように上擦った声が可愛らしくも微笑ましい。思わず口元が緩みそうになる。
 口の中にあるモノを根本まで咥え込み、喉奥で亀頭を絞るようにしてディープスロートを行った。唾液と先走りとが混ざり合い、激しい行為に卑猥な水音が響き渡る。
「っ……」
「んむ、ぅっ……っふ……ん、ぷ、はぁっ」
 一度陰茎から口を離すと、竿を掌で扱きながら今度は先端だけを口に含む。鈴口を舌先でねぶるようにして滾々と溢れる液体を味わった。
 ただの手扱きにも飽き飽きしてきたので、硬く屹立したそれを先ほど散々弄り倒された双丘で挟んで唾液を垂らす。
「ふぁ……よし、これで……っあ、ひぁうっ!?」
 どろりと粘液に塗れた欲望を再び頬張ろうと開いた口は、思わず高い嬌声を漏らした。
「ま、まっ……あな、た……っ、や、あぁ、だめ、って」
「と、言われても……やられっぱなしってのも沽券に関わるし」
 別にそんな風に思う必要はないのに、と、それを口に出すほどの余裕はなかった。
 彼の手が濡れた蜜壺に触れて、ひだをなぞられるだけで全身に電流を駆け巡って体勢が保てなくなる。ならばせめて、と、自らの柔肉で包み込んだ屹立にしゃぶりついた。
「んぶ、うっ……んんっ……あっ! あ、んん! ふ、ぅ……んむっ」
 意地悪な手が肉芽を転がして遊ぶたびに甘い悲鳴が溢れる。もう何もかもが分からなくなって前後不覚に陥って、もうこれ以上は耐えられないと身体を起こした。向かい合うようにして上体だけを起こした彼に抱きつく。
「っも、もう、ひどいん、だからっ!」
「わ、いや、サーシャすごい大胆な」
「うるさいっ!」
 彼の暑くはち切れそうな怒張を自分の秘所に宛がい、一気に腰を下ろす。重ねられた愛撫に十分すぎるほどに濡れそぼったそこはいとも簡単にその大容量を受け入れた。
「っは、ああ、あぁ……っ!」
 硬いモノに内膜を強く擦りあげられて強い感覚が背中を駆け上がり、耐えきれずに身体が弓なりに逸れる。快感を逃すことができずに震える身体を抱きすくめ、彼は笑った。
「ちょっと、イっちゃった?」
「ば……っ、ば、ばかばか、一緒にって、言ったの――にっ!?」
 抱きしめられたままでベッドに倒され、背中から襲い来る振動にすら身体が打ち震えた。首を竦めてそれに耐えていると、強い攻めとは裏腹の優しさで頬を撫でられた。
「ごめんね、あんまり可愛いから」
「そ、んな、こと言って……ひゃ、あぁ、んんっ」
 ゆっくりと始められた抽送に、達したばかりの敏感な身体は惜しげもなく反応してしまう。膣壁を抉られ、胎奥を貫かれて、身体を揺すりながら乱れに乱れてはしたない。
 けれど、どうしても抑えられない。
「く、ぅあ! あ、やっはあ、ああっ! あっ――ひうっ!」
 聞こえるのは自らを掻きまわされて絶えず響く粘性を纏った音と、止まることなく溢れる高い嬌声ばかり。ひどく卑猥なそれらに聴覚全てを犯されていくようで、
「サーシャ? どうしたの?」
 彼の声が、欲しかった。
「……抱いて」
「え?」
 さっきとは違う、単純な意味の懇願。
「抱い、て! さっきみたいに、ううん、もっと、強く……っ、抱き締めて! お願いっ」
 暗い部屋の中で、彼に向って手を伸ばす。私からだけでは届かない、その手を取って彼は、私を引き寄せてくれた。
 強く強く、抱きしめてくれた。
「……これで、いい?」
「うん、い、いいのっ、あ、あっ、ああぁっ……」
 外からは彼の腕で身体で抱きしめられて。
 中からは強く突き上げられて揺さぶられて。
 外も中も、全てが彼に包まれて、全てで彼を感じているようで。
 まるで、夢のようだと思った。
「あ、あぁ、ぁっ、あ……あな、た」
「な、に? サーシャっ」
 彼の背中に腕を回してしがみついて、彼の鼓動も息づかいも何もかもがダイレクトに伝わってきて、歓喜と快楽に身体が打ち震える。
 昇りつめていくのを確かに感じながら、せめてこれだけは告げなければと必死に言葉を紡ぐ。
「あ、あいし――あいして、る! だいす、き、――っ!」
「――っ」
 思うように動かない口で必死に愛の告白をして、震える身体で彼の吐き出す欲望を受け止める。体の隅々まで満たされていくような感覚と同時に、全身の神経を灼き切れてしまうような錯覚に陥る。飛びそうな危うい意識の中で、ただ彼に縋り付いた。
 縋り付く腕に応えてくれる人のいる幸せを、どうしようもなく味わった。

「……ええと、いつまでこうしてるの?」
「ずっと!」
 彼の背中に腕を回してがっちりと離れずに、繋がったままで強く断言する。彼の戸惑いが伝わってくるのが面白いけれど、それだけじゃない理由があった。
「せめて、ほら、抜くとか」
「嫌! ずっとこうしてるのっ」
「そんなこと言われても……」
 少しだけ身体を伸ばして、困り果てた様子の彼の耳に囁く。
「ずっとこうしてると、なんとなく、子供ができるような気がしない?」
 ちょっとだけ悪戯っぽく、でも本当のところ、とっても真摯に。
 彼がこちらを見て、きっと目を丸くしているだろう。見なくても分かる。それがおかしい。
 彼は私を責めないけれど、私は私を責めるから、こういう冗談は私の専売特許だ。
「……サーシャ」
「? きゃ……んんっ」
 私を抱え込んだまま、彼はベッドに身を倒した。繋がったところが擦れて身体が少し跳ねる。
 今度はこちらが目を丸くする番で、そんな私に彼は笑って提案した。
「……もう一回、する?」
 そう言われて、答えを返したときの私の顔だって、きっと彼にはお見通しなのだ。

「するっ!」










カフェのサーシャさんなので、表の本編のサーシャさんとは別人です。

(2010/09/24)


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