わり、ちょっと匿って、ってな礼瀬くんに、別に構いませんけど、ってシャインくんが答えたのが、この状況の始まりだったわけですが。
「はい」
どうぞ、と、散桜くんに出されたお茶を、礼瀬くんは、ありがとうございます、と丁寧に受け取りました。ちなみに普通だったら、散桜くんはお茶なんか出しません。今のは、シャインくんの助言を受けた礼瀬くんが、米を持って転がり込んだことが功をなした結果のようです。というか、そうでもないと、許すはずもありませんし、散桜くんが。
いやぁ助かったァ、やっぱ貴族っていーわぁ、ってな、極めて単純な思考の散桜くんは、行儀良くお茶を飲む礼瀬くんを眺めました。シャインくんやナイトさんには、貴族らしくない、と評されてしまう彼ですが、散桜くん的には、まったくそんなことはない、と思うのです。少なくとも今の彼の立ち振る舞いを見る限りは、貴族社会に放り込まれても、大丈夫なように見えます。散桜くんの見知っている女将さんのように、てきぱきと礼儀正しい感じです。
それにはシャインくん曰くの、借りてきた猫、というのがあるかもしれません。確かに彼の、シャインくんやナイトさん、それと雪白くんに対する態度と、自分たちに対するそれには、だいぶ差があるように思えます。というか、実際あります。
裏表が激しいのかな、と、散桜くんの心が少し翳りました。実は散桜くん、裏表の激しい人、というのは、あまり好きではないのです。相手によって態度を変える、というのは当然のことではありますけれど、なにせ散桜くん、宵姫ちゃん以外には大して変わらない態度ですし。さらに普段の周囲が、あまり人によって態度を変えるようなことをしない、というのも大きいかと思われます。
そんなことを考えながら、じっと礼瀬くんを見ていた散桜くんでしたが、ふと目が合ってしまい、慌てて視線を逸らしました。やば、ガン見し過ぎた、ってな具合です。
「……ごめん」
流石に気を悪くしただろう、と謝罪した散桜くんでしたが、礼瀬くんは、は、と首を傾げました。散桜くんが謝った理由が、分かっていないようです。
「いや……なんか、じろじろ見られていい気分しないだろうなって」
礼瀬くん、ますます分かっていないようです。しかしとりあえず、ここはなにか言うべきか、という風に思ったのか、手のひらを振って、お気になさらず、と返しました。
「それほど無遠慮な視線でもありませんでしたよ」
「……そう」
と、とりあえずは言っておいた散桜くんでしたが、内心は釈然としない、というか、明らかに今のは無遠慮でした。むしろ失礼なくらいでした。
やっぱり変な感じするなぁ、内心何考えてるかわかんないし、と顔には出さず散桜くん。まあこの子、普段の周囲がわりかしわかりやすいっていうのも以下略で、ナイトさんはもうアレ天然だからって割り切ってしまっていまして、読めない人は苦手です。自分以外。
もう引っ込んだ方がいいかな、なんだかドツボにはまりそう、と散桜くんがそわそわし始めたそのときでした、
「礼代?」
散桜くん的には救いの神、なナイトさんが現れたのは。
ナイト来たならもういいや、あとまかせた、とでも言わんばかりにトンヅラぶっこいた散桜くんでしたが、そんなこととは露知らず、散桜くんにお茶のお礼を言った礼瀬くんでしたが、ナイトさんは、その礼瀬くんの向かいにぺたんと座って、狼斗は、と訪ねました。
「……は」
「狼斗」
いない、とナイトさんは首を傾げました。礼瀬くんは、ああ、と言って、お呼びがかかったんだと、と返しました。どうやら、こちらが素のようです。
お呼び、と疑問符を浮かべるナイトさんに、そ、お呼び、と礼瀬くんは言って、お茶を飲みました。間が持たない感じです。
でもまだおかしい、って言って、礼瀬くんを見てくるナイトさんです。礼瀬くんは、困ったような顔をしました。何がおかしいかなんて、礼瀬くんだって分かっているのでしょう。だって、こんなの初めてですもの。
「冬紀のとこは」
いつもだったら、礼瀬くんが転がり込むのは冬紀くんのところです。今までだって、礼瀬くんが家にいられなくなることくらい、いくらでもありました、まあワケありで。そのたびに礼瀬くんと狼斗さんは、体よく寮住まい、で幼なじみ、かつ同じ中立派、の冬紀くんと風羽々くんのところにお邪魔して、それで過ごしたものでした。
それが、どうして今回は、と、ナイトさんは言っているのです。
「……まあ、色々と」
礼瀬くんは、伏し目がちで、お茶を濁しました。深い緑の瞳が翳ります。礼瀬くんの嫌う色です。
礼瀬くんが、この眼さえなければ、と思っていることは、ナイトさんには薄々察せられたことでした。けらけら笑ってるシャインくんや、おっとりとした冬紀くん、にこにこ穏やかな風羽々くん、あたりがどうだかまではわかりませんが。
けどナイトさん的には、礼瀬くんの瞳の色は好きでした。ついでに本人も。
その深さも時折見せる鮮やかさも、とても彼に似つかわしいと思います。わりと世話好きでしっかりしてるのに、偶にぐらついたりするところとか、そういうのもあって放っといたらやばそう、って思わせるところや、いざという時見せる、はっとさせられるほどの一途さや、はらはらさせられる無防備さとかも相まって。
それは、ナイトさんがシャインくんを好ましく思う理由と、重なるところが多いのでした。シャインくんは、もっと迷いのないというか、一度決めたら一直線なアレですが。それだけに、迷いまくったりもする礼瀬くんの方に、可愛げを感じたりもするんですが。
そういえば、マリンさんをいいなと思った理由も、似たようなもんでした。意外と分かりやすい趣味してるのかもしれません、ナイトさん。
礼瀬くんは、すっかり冷めてしまったお茶を啜りました。おいしいお茶でしたが、こう冷めてしまってはなんだかな、というか。
礼瀬くんとしては、今、シャインくんの家に転がり込んでいるのは、なかなかに不本意というか、申し訳ないことでした。いつもみたいに冬紀くんのところに行けたのなら、それが最善だったんですが。
礼瀬くんは、ごめん、と言った冬紀くんを思い浮かべました。本当は、冬紀くんが謝ることなんてなんにもないのです。それに、風羽々くんが礼瀬くんの心配をする理由だって。冬紀くんも風羽々くんも、なにも悪くなんかありませんから。
結局のところ悪いのは、
「……あ、礼瀬さん?」
名前を呼ばれて、礼瀬くんは我に返りました。隣を見ると、真っ白い体の、
「雪白?」
なんでだか、包帯やら絆創膏やら、やたらと痛々しい雪白くんです。どしたん、と礼瀬くんですが、雪白くんは、なんでもないよと首を振りました。
なんでもないよ、と言われましても。
「明らかになんかあった怪我だろ、大丈夫かよ」
お前もともと体強かないしさ、無理すんな、と礼瀬くん。雪白くんはむっつりと黙り込みました。
礼瀬くんとしては、初めて会ったときから病気がちで、体の弱い雪白くんを心配しただけだったんですが。そんな雪白くんが、こんな風にたくさん怪我をこしらえてる、というのは、歓迎すべきことではありませんし。
いや、まあ、誰であろうと怪我は良くないことですが。シャインくんとか冬紀くんとか小依ちゃんなら、まーたこいつは、で済むことなので、礼瀬くん的には。
また礼瀬くんは、雪白くんが、やたらシャインくんについていきたがるのも心配なのです。雪白くん、仮にお世辞を言ったとしても、強い、とはとても言えない子なので。危なっかしいったらありゃしません。
「……ね、礼瀬さん」
なので、その後に続いた雪白くんの言葉に、礼瀬くんは目を丸くしたのでした。
「強くなるには、どうしたらいいの?」
礼瀬さんにそう訪ねた雪白くんでしたが、礼瀬さんが目を丸くするのを見て、少しむっとしました。もとからちょっとむっとしてたので、さらにそれに加算されるような感じで。
「……強くなりたい、って」
なんでいきなり、と返されて、雪白くんはさらにむっとしました。三回目です。
いきなりじゃないよ、と、雪白くんは言いました。いきなりじゃない。雪白くんは、ずっと前から強くなりたかったんですから。
つってもな、と、礼瀬くんは頭を押さえました。
「お前、強くなりたいって、どういう理由なワケ?」
雪白くんは、きょとんとして、顔をあげました。理由、って。
「……理由?」
「そ」
雪白くんは俯きました。強くなりたい理由、そんなのは簡単で、雪白くんはお手伝いをしたかったんです。そしてこちらを、見てほしかったんです。はじめての頃から、慕う彼に。雪白くんは見たかったんです。はじめての頃に、慕っていた彼を。
「……僕、は」
そして雪白くんは、なにもできない、弱い自分が嫌いです。最近は、それを痛感させられてばかりです。
あのときの、支えた肩越しの今にも耐えそうな息づかいを――二度と、感じたくないのです。
「……守られてばっかは、いやなんだ」
ふと礼瀬くんは、雪白くんの頭に、ぽん、と手を置きました。それは、雪白くんには、とても大人びたものに思えました。
礼瀬くんは、ひとつ唸ってから、お前さ、と言って、
「お前を守ってくれた人たちが、今まで、あー……どんぐらい、強くなるために努力してきてたか、とか、そういうの……考えたことあっか?」
え、と、雪白くんは顔をあげました。どんくらい、って。
礼瀬くんは、伏し目がちでした。あんまり流暢な口調ではありません。
「……誰だって、一朝一夕に強くなるワケじゃねぇだろ。今までずっと鍛えてて……それでやっと、今があんだし」
雪白くんは、そんな簡単に強くなれるって思ってないよ、と言いました。けれどそれは、とても弱々しい口調でした。
礼瀬くんは、雪白くんの頭をぽんぽんと叩きました。優しい感じがしました。
「だから、最初は怪我治して……それから地道に頑張れ」
「……うん」
礼瀬くんはそこで、あー、とうめきました。後が続かない感じです。
雪白くんは、くすりと笑って、礼瀬くんに抱きつきました。びっくりして雪白くんを見下ろした礼瀬くんの顔は、さっきと違って、ずいぶんと幼く思えました。えへへ、と雪白くんは笑いました。
「ありがとう」
雪白くんは、そう言いました。礼瀬くんがなんだか困ったような照れたような顔になるのが、とてもおかしかったです。
シャインくんは、礼瀬くんにしがみついてすやすや寝てる雪白くんを見て、おや、と眉を上げました。なんでまた。
「あ、礼瀬さーん……も、寝てる」
なんでなんで、と二人を眺めていると、ナイトさんがむくりと身体を起こしました。
「お、ナイトただいまー。なに、どーしたのコレ」
しかしナイトさんは、鼻を動かしました。シャインくん全無視です。
「……くさい」
「え」
ナイトさんは、むっつりと言いました。あまったるい。
そして、またぱたりと突っ伏してしまいました。
「……えと」
「お前」
「あの」
「香はやめろって言っとけ」
「……はぁ」
「せめて会うときだけでも」
シャインくん、抗弁しかけましたが、ナイトさんはもう寝息を立てはじめていました。
「……そんな、移るもんかなぁ」
シャインくんは、自分の衣に鼻を近づけました。嗅覚、麻痺しちゃってるのかもしれません。視覚と聴覚には、バッチリ自信のあるシャインくんですけれど。
しかしナイトさん、いつから気付いてたのか。
怖いなぁ、と呟いたシャインくんなのでした。
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