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 ハロウィンの喧騒は路地裏にまで届いていた。
 もともとが無法者の溜まり場であるこの街は、理由なしに不穏なざわめきに支配されているものだ。そこに騒ぐ言い訳が加われば静けさなどは消え失せるのが道理である。
 もちろん祭り騒ぎだからと言って、その賑わいは決して陽性のものではない。蛮行や血、暴力に悲鳴、乱闘と喝采等が集まりできている。

 その路地裏にアスクは佇んでいた。廃ビルの冷たいコンクリートに背を凭れ、人を待つ格好である。
 冬へ変わる途中の、秋の冷たい夜風がコートを揺らす。その下から一振りの刀が覗いた。武器はこの街で生きるものの必需品であった。
 加えて、アスクは武器なしでも常人以上の強さを持ってはいたものの、見たぶんは隻眼の女性というなりである。一人歩きでは絡まれないことの方が少ないくらいだった。得物を見せるだけで相手が静まることは多くはないが、ないよりはマシというものだ。
 必要に迫られて抜くことも日常茶飯事だ。彼女並の、また彼女以上の手練れもこの街では少なくはない。
 総括して言えば、この街で気を抜ける者は誰一人としていないのだ。
 ――そう、
「やあ」
 気を抜けば、誰に背中を取られるか分かったものではないのだから。

「あ――アゼル?」
 背後の男はアスクの待ち人ではなかった。振り返るアスクの、一つにくくった緋色の髪が流れる。彼女が向き直った男は自分の緋色の髪を軽く弄ぶと、常と変わらぬ酷薄な笑みを深める。
「うん。久しぶりだ」
 アゼルが一歩前に出る。アスクが一歩足を退く。彼女の手は隙なく腰に差した刀の束に添えられていて、彼女の目は警戒心に満ちていた。
 アゼルは残念そうな表情を作ってみせた。溜め息をつく。
「実兄相手につれないなあ」
「嘆く前に少しは兄らしくしてみたらどうだ」
 軽い態度のアゼルと対照に、アスクは声を低く唸った。威嚇の意を込め刀の鍔を鳴らすがアゼルは頓着しない。
 アゼルは軽く顔を上げ、煽るように言った。
「先にアスクが素直になれよ」
「くだらん。戯れ言は壁に向かってお話して――」
 アスクは刀を抜き放った。
 闇に二振り、白光が煌めく。ふたつの刃が交差し、硬質な音が響いた。
「っな……」
 アスクの揺れる瞳に黒い影が映り込む。いつからいたのか。いつの間に背後を取られたのか。アゼルと話す間にも、彼女は警戒を解いた覚えはなかった。それにも関わらず――
 短剣と刀での鍔迫り合いが続く中、放たれた二撃目にアスクは身を反らしたが、銀色の軌跡は彼女の左頬を掠めて小さな傷を作った。アスクは内心舌打ちした。毒でも仕込まれてなければいいが。
 アスクは力任せに鍔迫り合いを振り切り、相手を突き飛ばした。相手が数歩後退し、再度構えを取る――癖の強い黒く長い髪、爛々と光る金色の瞳、ボディラインの強く出る衣装に包まれたメリハリのある体躯。相手は女だった。
 女の全身には、返り血と見られる赤黒い彩りが窺えた。彼女の赤い唇が開かれる。両手の短剣もまた、赤かった。
「んで――なんだァ、殺ればいいのか? コイツも」
「んー。とりあえずそのつもりで」
 緊迫感のない口調でアゼルが答えた。彼はアスクの後ろ、二人からは少々距離を取ったあたりにいた。手出しをする様子はないが、
 女の左手が閃く。アスクの顔を狙って投げられた短剣を顔を倒して避ける、その間に女はアスクに躍りかかった。新たに握った左と右、振り下ろされる両方を刀で受け止める。
 アスクが足を引く、女の足払いが空を切る。女が僅かに体勢を崩したところで、アスクは刀を傾けた。受け止めた双剣を流し、女の両手首を捉える。刀が地に落ちる音が響いた。
「テメっ!」
 女は手首を掴まれてアスクを睨みつけ、腕を引こうと力を込め――アスクは、その力ごと利用して女を地面に引き落とした。
 背中を擦って女の顔が歪む。その頬に、アスクの頬から流れた血が弾けた。
 アスクはそのまま女の手首を地に縫いとめた。這い蹲るようにして女を組み伏せ拘束する。胸が胸で圧迫される窮屈さに女の眉が寄った。
「――なんのつもりだ」
 それに関せずアスクは低く言った。アゼルに向けられた問いである。
 アゼルは肩を竦めた。
「聞きたい?」
「なるべく簡潔に話せ」
 アスクの返答は素っ気ない。アゼルは不満そうな表情を作ったが、すぐにやれやれと頭を振った。
「ま、簡単に言えば。おひろめみたいなもん」
 アスクの身体から力が抜けた。
 女の踵がアスクの腰へ振り下ろされていた。女が踵を跳ね上げると、嫌な音とともに鮮血が溢れた。女の踵に銀光が閃き、刃は靴に収納された。
 アスクの身体がゆっくりと傾ぐ。女の手が彼女を乱暴に突き飛ばし、地に叩きつける。
 今度は逆に、女がアスクを組み敷く形となった。
 女の手がアスクの腰を辿る。まるで愛撫をするような手つきで、彼女の傷口を抉る。
「ぁ――がっ! あぁっ」
「感度のよろしいことで」
 喘ぎにも似た悲鳴がアスクの唇から漏れた。嘲る女の言葉。
 女は血のついた顔を歪めて笑い、アスクの頬の傷に舌を這わせた。頬を伝った血を舐め上げ、舌先で傷口を嬲る。腰を這う指先は傷口に深く突き込まれて蠢き、ダイレクトな痛みにアスクの身体がびくびくと跳ねた。
「はあ、ぁ、く……うあ! やぁ、はっ」
「気持ちいいかよ? イキそうか? なァ」
 愉悦に彩られた女の瞳がアスクの隻眼を覗き込んだ。苦痛に苛まれ、唇を噛み締めながらも、アスクは女を睨み返した。
 女の柳眉が軽く跳ねる。
「ふゥん――余裕じゃねェか」
 腰の傷口に、加えて女の親指が潜り込み、アスクの喉がひゅっと鳴った。痛みに目を眇める。
 その目に、女は短剣を突きつけた。
「残り一個、抉っとくか?」
 女の宣告が残酷に響いた。
「! 止ま――」
 女が短剣を振り上げる。アゼルが声を上げる。初めての彼の焦燥が込められた声。
 女は頓着しない。静止は今更だった、女は短剣をアスクの隻眼目掛け振り下ろす。

 銃声が響いた。

 女の短剣が弾き飛ばされた。女は驚愕に目を見開き、飛び上がるように身を起こし視線を上へ向けた。廃ビルの窓から手が伸びている。銃を握った手だ。
 その手は引き金を引いた。銃声が二、三発。そのうち一つの銃弾が女の右肩を貫く。
 落ちてくる薬夾を払いのけ、女は銃手へと短剣を投げつけた。不意の反撃に発砲が止まる。
 アゼルが声を上げた。
「退くよ!」
「あンだと? てめェなに言って――」
「口答えできる立場」
 にっこりと笑み、女に言う。女は忌々しげに舌打ちすると、路地の奥へと駆け出した。
 アゼルは銃を握り、廃ビルの窓に向けて撃った。邪魔が入らないことを確認し、女を追って走る。その前に一つ、アスクに笑みを残していった。
「っ――アゼル! アゼ、ル、」
 アスクは叫び身を起こしたが、不意にその動きが固まった。横に倒れ込み、ごほごほと咳き込む。苦しげなアスクの隣に人影が降り立つ。アスクの血潮がびちゃりと跳ねた。
「――なーんか、妙に官能的な光景ですよね」
 悩ましいと言うか。
 本来の待ち人はアスクを見下ろして、冷めた口調で呟いた。その口端に僅かに血が付着していた。
「……マリア、ット」
 震える声で名前を呼ばれ、マリアットは頬を掻く。その手は、先ほどの女から受けた傷の処置なのか、血に染まった布で縛られていた。口の血は恐らく毒を警戒して血を抜いた時に付いたのだろう。
 マリアットは膝を折ってアスクを見下ろした。冷めた青い瞳が彼女を射抜く。
「とりあえずまあ、助けましたけど」
 小首を傾げ、余計でした? などと訊いてくる。
 アスクは首を振った。助かった、と掠れた声で答える。
「それは良かった。で、オレにどうして欲しいんです? 今はお仕事の話は保留しといてあげます。さっきまでのもサービスで。貸し一つにしてもいいですけど。見た分じゃ動けない感じですね。このままだとアレか、よくて出血多量で死ぬ。悪いとまあ、適当なチンピラに見つかって慰み者にされるとか? ウェンデルさんわりと美人ですし。あ、でもなまじっか変態とか人買いに拾われるよりマシかな」
 で、どうします?
 マリアットはつらつらと話した。口数の多い男だった。
 小さく息をつくと、アスクはマリアットを見上げた。絞り出すように声を出す。
「運ん、で……欲しい」
「ん」
 マリアットは指を二本立てた左手で、広げた右手の掌を叩いた。
「いいですね?」
「……好きにしろ」
「はいはーい」
 マリアットは笑みを浮かべた。序でに処置もしときましょう、これも出血大サービスでー、などと臨時収入に浮かれた声で言う。
 アスクに応える余裕はなかった。彼女は朦朧とした意識で、姿を消した実兄に思いを馳せていた。

「――ち。興醒めだ」
「ま、潮時だったんじゃないか」
 冷たいコンクリートの部屋だった。
 肩に包帯を曲かれた女が行儀悪くベッドに胡座をかいている。見た分には、機嫌は最悪な様子だった。
 男は――アゼルは、立って女を見下ろしていた。こちらは逆に気分が良さそうだった。それが女の神経を刺激する。
「だいたいてめェなんで止めたんだ。殺れっつったろ」
「だって相手増えちゃったろ? どんな相手か分かんないし」
 嘯いていたが、アゼルには大体の予測はついていた。
 ユーグ・マリアット。故ウォレス・セイシャス、医者であり科学者である彼の拾い子であり、子飼いであり――奴隷。
「そっちじゃねェ」
 女が低く唸った。
「あの女の、目ェ取ろうとしたときだよ」
「――ああ」
 そっち、とアゼルは笑った。女は苛立たしげにアゼルを睨みつけた。
「だってさ、殺せって言わないと、手抜くだろ?」
「抜かないと殺しちまうだろ」
「それじゃ困るんだ」
「あ?」
 女の眉が跳ね上がった。
「手抜いたら、アスクには敵わないだろうから――っと」
 アゼルは投げつけられた時計を受け止めた。女がぎらついた金色の眼でアゼルを睨む。
「――今、なんつった」
「君は手を抜いたらアスクには敵わない」
「てめェ!」
 女はいきり立ったものの、肩の痛みに膝を折り座り込んだ。くそっと悪態をつく。
「実際手抜かないでも組み伏せられてたし」
「やり返してやった」
「アスクが甘くなかったら、隙見せる前に斬られてたんじゃないか」
「甘さがあるから弱いんだよ」
「甘さがなかったら弱くないと?」
「………」
 黙り込む女。アゼルはくすくす笑った。
「ま、今はしっかり休みなよ」
 そう言って時計をベッドに戻す。
「やってもらうことは少なくないし、君も物足りないだろ?」
「――なあ」
「今度はなんだ」
 アゼルは女を振り返った。
「てめェ、あいつをどうしたいんだよ?」
 アゼルは意外そうに目を丸くした。これはまたまた、意外な視点な。
 ふむ、と考え込むように口元に手を添える。女がアゼルを胡散臭げに見ている。
「まあ、そうだな――どうしたいんだろ?」
「は?」
 あの女は父を殺した。殺したその身で悔やんだような顔をして、父の跡を継いだつもりでいる。
 アゼルの鼻持ちならないのはそこだった。あれに父の遺志が分かるものか。父を殺したあれが。誰よりも赦されるべきでないあれが。
 だから――
「……ま、おいおい考えるさ」
 今は誰にも、教えるつもりはない。


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