飯櫃に並ぶ白米の魅力についての一考

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 呼び鈴を鳴らして、返答を待たずにドアを開ける。それに伴い軋む音がアパート全体を揺らし、この建物の耐久性に疑問を抱いた。地震が来たら一発で崩壊しそうなボロアパートである。というか、今ここでソーニャが蹴り飛ばしただけでイチコロな感じもする。
 ドアを開けた玄関には靴が散乱していてスペースもなく、ソーニャはそれらを足先で蹴散らして自分のスニーカーを脱いで揃えて置いた。散乱した奴の靴を揃えてやるような真似はしない。ただでさえ片手が塞がっているのだから。そもそもが面倒くさい。
 流し台やコンロ、水回りへのドアなどに挟まれた狭い廊下の先に決して広くはないワンルームがある。未だに段ボールが床に置かれたまま(片付けようとしている様子を見たことがない)、布団も敷きっぱなしの殺風景な部屋に、目的の人物はいた。
 正しく表現すると、寝転がっていた。
「……オイ、マリアット」
 何故か布団から離れた床で眠りこける男の名前を呼ぶ。身体が痛くならないのだろうか、横向きに弛緩した身体に右手のビニール袋を中身ごとぶつけてやろうと余程思ったが、その中身が何であるか思い出してすんでのところで踏み止まる。
 その代わりに、寝転ぶ頭を軽く足で蹴ってやる。閉じられた瞼が薄く開いたかと思いきや再び閉じられそうになって、ソーニャは慌ててマリアットの耳を引っ張った。
「起・き・ろ! 何時だと思ってんの、十時だぞ! 鍵もつけずに寝てさぁ!」
「んー……あと五分……」
「んな待ってやる義理はない!」
「じゃあ十分」
「伸ばすな!」
 ビニール袋を床に置き、動かない頭を軽く持ち上げて床に打ち付ける。鈍い音が響いて、マリアットは大きく目を見開いた。後頭部を押さえて勢いよく起き上がる。
「いっ……何すんだお前!」
「君が起きないからでしょーがー! ったく、何が楽しくて真昼間からこんな男の家に……」
 ぐりぐちと文句を垂れるソーニャを前に身体を起こしたマリアットは、こちらも渋面を作りながらも言い返す。
「仕方ないでしょう、今日は五時までバイトだったんですし」
「仕方ないとか言われても……何のバイト?」
「パチ屋」
 深夜は割がいいですからね、と伸びをしながらマリアット。だからって昼夜逆転させたら話にならないんじゃないかと思うソーニャだったが、そこまで忠告してやる義理はなかった。とりあえず、とビニール袋を示す。
「伊鶴さんから差し入れ持ってきたから。筑前炊きと卵焼きとー……あとなんだったっけな、まあなんか食べ物。有り難く食えよ」
「あー。どーも。テキトーに冷蔵庫に突っ込んどいてください」
「アイカさんあたりが聞いたら羨ましさに涙を流しそうな厚意をあんたはまあ……」
 ぼーっと座り込んだままで部屋の片隅に鎮座する冷蔵庫を示す相手に対して、ソーニャは呆れて肩を落とした。渋々とビニール袋を持って冷蔵庫に向かう。
 あまり大きくない冷蔵庫を開いて、驚きに目を瞠った。
「……なんで空なんだよ」
 冷蔵庫の中は空っぽだった。ケチャップやらマヨネーズやらの調味料はギリギリ見受けられたが、それ以外は何もない。食材はおろかミネラルウォーターなどの飲料すらなかった。
 ビニール袋を入れようとした体勢のまま思わず動きが止まってしまったソーニャを見て、マリアットは気怠るそうに答えた。
「……なんか、面倒で」
「朝何食った?」
「米」
 びし、と地べたに置いたままの炊飯器を指差すマリアットである。
「……米」
「炊飯器の中の米って、どうしてあんなに美味しそうに見えるんですかねぇ……」
 あれですよ、ラップに包んで凍らせたりとかタッパーに詰めて冷やしちゃったりすると駄目なんですよ。炊飯器の中にいるのが一番なんですよ。それで大量に炊けば大量に炊くほど美味しそうに見えるんですよ。まあこの炊飯器小さいから三合までしか炊けないんですけどね。
 果てしなくどうでもいいこと(ソーニャにとって)をつらつらと並べ立てるマリアットの声を背中に受けながら、ソーニャは何も言わずに炊飯器を開いた。見事に空である。空。
「……三合炊いたの?」
「まあ」
「……三合食ったの?」
「はい」
 なんかもう、どっから突っ込めばいいんだかわかんなくなってきた。
「……白米だけ食ってると脚気になるんだよ」
「そーなんですか」
 うん、と力なく頷いて。
「どっかの国の海軍軍医が証明したことなんだけどね。ビタミンB1が足りなくなるんだ」
「そーですか」
「………」
 あまりにも気のない返事に、ソーニャはサラがこいつを心配する理由を嫌でも納得させられてしまった。
 うんざりとした表情を隠さずにマリアットを振り向く。
「君、サラちゃんにもこんな食生活させてたの?」
「馬鹿を言わないでください。彼女がいた頃はちゃんと三食作ってましたよちゃんと野菜も肉もお魚も盛り込んでお弁当持たせて」
「うわあ逆に気持ち悪い……」
 本音が漏れるソーニャである。それが一人暮らしになった途端コレかと思うとさらに気持ち悪い。サラだけに。いやなんでもない。
「自分で作れるんだったらわざわざ伊鶴さんの手を煩わせるのやめてくんないかな」
「頼んでないですよ。……感謝はしてますけど、正直オレに気を回すくらいならもっとサラに気を回して欲しいもんですね」
 そのサラちゃんがお前を心配してるから伊鶴さんがこんなことする羽目になってんだろうが。
 そう思ったがそれをそのまま告げてやるのはなんだか癪だった。精々あとで気付いて後悔しやがれ、そう思って何も言わずに再び冷蔵庫を開けてビニール袋を中にぶちこんだ。

「……ところでアンタはどうなんですか、食生活人のこと言えんですか」
「オレ寮。三食完備。君も入れば?」
「あそこの寮高いじゃないですかブルジョワめ」
「特待生ナメんな、寮費免除だ」
「……この野郎……」


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