爆発すべき当人はその事実を自覚しない(つまり、必要となるのは審判そして断罪である)

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「ふっふーん、お疲れ様なのですよソーニャくん、今日も早いですねー?」
「……なんでわざわざそんなこと言われるのか分かんないんですけど。オレより早い人もいるのに」
 集中講義一日目、授業のシメに出された課題レポートをTAのグラシア・オルティスに渡したソーニャは、不敵な笑顔とともに妙な言葉を浴びせられて顔をしかめた。
「だってソーニャくんは別に早く出そうと躍起になってるワケじゃないですもの、それに適当にてきぱき面白い観点から要点まとめたレポート出してくれるから結構楽しみなんですよー? 流石学費免除」
 そもそもそんな言葉を吐く目の前にいるオルティスも首席で、それもソーニャのように努力でなんとか維持している程度でなく他の追随を許さないレベルであったと聞く。研究室に所属するや否や医療倫理規定スレスレの実験を繰り返し、その度とんでもない論文を書き上げていたとも。色んな意味で問題だらけの才媛だが研究者としての素質は本物らしく、学会でも論文は高い評価を受けているらしい。ただし毎度毎度凄まじい論争の渦を巻き起こすらしいが。
 そんな女がなんでわざわざTAなんかをしてるんだろうと内心首を傾げていたソーニャだったが、グラシアは彼の内心を見透かしたかのように言った。
「クリスマスまる被りの講義ですからねー、今日はともかくとして明日明後日はクリスマスとクリスマス・イヴでしょう、やっぱりみんな忙しいんですよー。というわけで問答無用で拘束された学部生のみんなの代わりに呪いの言葉を吐いてあげましょう。――リア充爆発しろ!」
「……ええー……」
「っていうのは冗談ですー。みんなそんな色恋に夢現になってるわけじゃないですよー、ちゃんと研究で忙しいのです、年末なら帰る子もいますしねえ就活だったり。私だってお金が足りなかったりするのです、TAぐらいやります。ワリのいいバイトなのです、待ってる間は論文書いてりゃいいですしーラクですよー? ソーニャくんもどーですかー?」
 ソーニャはグラシアの相変わらずの妙なテンションに腰が引けてしまった、彼女はお構いなしに机に置いたノートパソコンを叩いて笑った。やけに乾いたというか、響かない笑い声である。軽いとでも表現すればいいのか。
「……ゼミに入ったら考えますよ」
 グラシアからの誘いを軽く断ると、ソーニャはコートを羽織って荷物をまとめた。マフラーを首に巻き付けて、手袋を嵌める。グラシアに背中を向けて講義室を出る、その際に能天気な声に見送られた。
「おつかれさっまでーす♪ 明日のイヴもがんばりましょうねぇー」

 かつかつと、冷え切った廊下を白い息を吐きながら歩く。一応室内なのだからもう少し温かくてもいいと思うのだが、そんなのお構いなしのこの寒さである。ソーニャはマフラーを口元まで引き上げた。
 外は既に暗かった。最終的にレポートを課すことで足りない講義時間の埋め合わせをされたのだが、どうにも時間がかかってしまったが故に普通に5コマ分やるよりも遅い時間である。早い方の自分でさえこれなのだから、時間がかかるタイプの人は大変だろうなとソーニャは肩を竦めた。
 最終日までもがこんなに時間がかからないといいのだが。最終日の後には学科のクリスマスパーティが予定されていて、居酒屋に飲み放題と食べ放題で予約を取ってある。その時間に間に合わないようでは大変だ、今からでも予約の時間をずらした方が安心かもしれない、幹事に提案しておこう、そう検討するソーニャの思考を携帯電話の振動が遮った。
「……?」
 誰だろう、と手袋をした手で携帯電話を取り出す。手の中で震えるそれの画面に映し出された名前に、ソーニャは慌てて手袋を取って通話ボタンを押した。
 ハスキーな落ちついた声がソーニャの耳を打つ。
『ソーニャ、今大丈夫かな』
「あっ、うん、大丈夫。どうしたの? 紬」
 妹との共通の友人である彼女が、ソーニャに直接電話をかけてくるのは珍しい。白い息を吐きながらソーニャは内心首を傾げた。
『……サーシャがさ』
「……うん」
『マルクさんと明後日の夜予定あったんだけどさ、駄目になっちゃったらしいんだ。大層荒れてるし、明後日一緒に何か食べに行くってことになったんだけど……私一人で宥め切れる自信がない』
「……ああ、それはよく分かる……けど」
 歩きながら紬の言葉を聞いて、ソーニャは薄々次の展開を予測しつつあった。
 この流れは、もしかしなくとも。
『ソーニャも来れたら嬉しいな。三人で食べるの、楽しそうだし』
「あー……」
 言い淀んだソーニャに、淡々とした、しかし明らかにこちらを気遣っていることが分かる声が帰ってくる。
『無理だったらいいんだよ、別に』
「うわー、うん、ごめん。学科でクリスマス会あってさ、そっち出ることになってるんだ。折角誘ってくれたのにごめん」
『そっか。明日は私が学科の会あるから無理なんだよね、サーシャは今日仕事だし……うん、大丈夫、二人で行くよ。サーシャのことは任せといて』
「ごめん、よろしく。……頑張ってね」
 拗ねた彼女を慰めるのはなかなかに大仕事であることは二人とも分かっていたから、ソーニャは紬を励まさざるを得なかった。ありがとう、とどこか力無い言葉が帰ってくる。
『そういえば、ソーニャは今日これからはどうするの。集中終わったの』
「うん、終わった。もう帰るだけ」
『へえ、お疲れ。……のところ申し訳ないんだけど、もうひとつ提案があって』
「何?」
 そのまま入口へ繋がる階段を降りながらソーニャは首を傾げた。電話越しの彼女に、その動作は見えていないはずであったが。
「もしこれから暇なら、一緒に夕食でもどうかなって思って」
「え、……へっ?」
 その提案は電話越しでなく肉声で聞こえて、冴え冴えと冷たく広い医学部棟の入り口に響き渡った。
「……つ、紬? なんで?」
「私も大学にいたから。丁度いい時間だし、迎えに来ようかなって」
 携帯電話の通話を切りながらそう答えた紬の頬は赤かった。それなりに長い間ソーニャを待っていたのだろうか、林檎のような色とは対照的に息が白い。
 ソーニャといえば、通話を切ることも忘れて紬を見つめていた。白いニットの耳当て付きの帽子と赤いマフラー、灰色をベースにしたノルディック柄のこちらもニットポンチョ、アースカラーのフリルブラウス。カーキのショートパンツから覗く肉付きの薄い足には黒いタイツで、足元はハイカットの白ブーツである。
 いつになくめかし込んだコーディネートは彼女が選んだものとは思えないと言うか、別に彼女にセンスがないというわけでなく、こういう風にタイツ越しとはいえ足を見せるボトムスをあまり彼女は選ばないし、そもそもタイツだって今まで履いているのは制服以外で見たことが無かったし、ポンチョやフリルブラウスだってもしかしたら初めて見たかもしれない。全体的にサーシャが好む服装である。
「……まあ、サーシャを宥める第一弾をさっきまでやってたわけだけど」
 ソーニャの視線の意味を薄々察したのか、紬は肩を竦めて苦笑した。彼女には珍しく、ややはにかむような色をも含んでいる。
「着せ替え人形にされちゃった。……似合わないね」
「い、いや、そんなことないよ!」
 思わず声が裏返ったソーニャであった。通話を切った携帯電話をポケットに仕舞い、自分の情けなさにほとほと嫌気がさしながらも慌てて続ける。
「……けど、なんか、いつもと雰囲気が違ったから驚いたっていうか……うん、サーシャの見立ては流石っていうか、その……」
「その?」
「……いよ」
「?」
 独り言のように口の中で零された言葉は、紬には聞きとれなかったようだ。怪訝そうに首を傾げられて、ソーニャは躊躇いがちに呟いたその言葉を再び、今度は大きめの声で口にせざるを得なかった。
「……か、可愛いよ! すごく似合ってる。大丈夫、っていうか、いいっていうか、普段からそういう格好してていいんじゃない?」
「……そう?」
 やや饒舌気味になってしまったソーニャに対し、紬の反応はシンプルだ。目を丸くしてソーニャを見返す、それだけで言葉を詰まらせてしまいそうになる自分をソーニャは必死に叱咤した。
「うん、そう。オレは好きだ」
 あ、いや、その格好が、と慌てながらもやや情けない言い訳をしているソーニャを前に、紬は素直に笑ってみせた。
「――ありがとう」
 おそらくきっと、多分むしろ間違いなく。
 今のソーニャの顔も、彼女と負けず劣らずに赤いんだろう。
 それをこの冬の寒さのせいと片付けつつ、ソーニャは紬の横に立った。それじゃ、と彼女に切り出す。
「行こうか。……オレの方は全然めかしこんでない普段着だしお金もないから、そんないいお店は行けないけど」
「私の格好だってサーシャにとっては普段着だよ。……それに」
 何の気もなしに垂らしていた掌を取られた。丁度携帯電話を操作するために手袋を外していた方の掌である、伝わる体温は冷たくて、
 ――けれど、人肌の温もりがそこにはあった。
「……これ、普段着にしてほしいんでしょ」
「!」
「お金がないのもお互い様、学生の身空で年末は出費は目白押し。一緒に安くてよさそうなところを探そう。それも楽しいと思うよ」
 そう言いながらソーニャの手を引く、彼女に連れられてソーニャは医学部棟の外へと出た。降りしきる雪は息よりも白く、月明かりを移して周囲を照らす。
 幻想的なその風景も、それを背にする彼女も、綺麗だと思った。
「……うん、そうだね。二人で相談して決めよう」
「よし。じゃ、決まりだね」
 淡々と相槌を打って笑って紬の手を、今度はソーニャが引いた。大学の正門を目指して彼女を連れ添い歩いている、ただそれだけのことが、この上なく幸せなことに思えた。
 それこそ、これから訪れる今以上の幸せが、全く想像できなくなるくらいに。



「……あらあら首席くんったら、だからリア充爆発しろって言っても同意してくれなかったんですねー」
「あの、グラシアさん? どうしたんですか、ソーニャですか?」
 窓から外を見降ろしていたグラシアは、やっと書きあげたレポートを提出に来た学生に相変わらずの笑みを浮かべてみせた。いいえ、とレポートを受け取って笑う。
「あなたはリア充爆発しろ派ですかー、オレが爆発したら困る人がいるから派ですかー?」
「……はい?」
「いいえー、ひどい裏切りを見た気分なのです、私明日あの子いじめ倒しちゃいまーす」
「……は、はあ……」
 グラシアのエキセントリックな言動に翻弄される気の毒な学生は、恐らく明日もっと気の毒な目に遭うであろう青年に思わず同情した。
 そして彼女の視線を辿った結果、最終的にこう思った。

 ――リア充爆発しろ。


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