「……あれ、アイカじゃん」
図書室行こうとしていたソーニャくんは、その室から出てきた人間の顔を認めて思わずそう漏らしまして、同時に相手の顔が分かりやすく顰められたものですから、あまりにも率直な反応が可笑しくてうっかり笑い声をあげそうになりましたけど図書室の前だし一応控えときました。かわりに尋ねます。
「どしたのー? なんか借りた? 射撃の教本とか? また数学の本? アイカ一時期偏執的にそういう本ばっか借りてたよねえ」
「先輩と呼べ。……ちげぇよ、本も読みたいけど。勉強」
アイカさんが示す通り、その腕には参考書が抱えられていて、現代文と古文と漢文。とっても分かりやすいラインナップに思わずソーニャくん。
「……国語総合からやり直せば?」
教科書の音読とか意外と効くらしいよ、と一年下のくせに思いっきり上から目線のアドバイスに対しては。
「あの教科書は二度と見たくねぇ」
特に現文、とかって吐き捨てるアイカさん、話によると一年生の時に現文担当から気に入られてたという話です。主に珍回答的な意味で。というか珍回答的な意味で。授業の度に当てられるわ真面目に答えればクラス中から笑われるわテストの珍回答晒すのが恒例行事だったそうで。
とりあえず、喧嘩して家を飛び出して行った弟を主人公が追いかけたのは何故か、とかそういう設問に対して、ぶん殴ってやりたかったからとか真顔で答えたのがいけなかったんじゃないだろうかと専らの評判でしかも本人真面目ですからね。大真面目ですからね。感情移入して答えるってことが出来ないわけじゃないんですけどどうしても自分の身に引き寄せすぎるし情趣足りないっていうかね。文法とか意味解読ならまだマシらしいんですけどね、小説とか解釈が本当にね。そもそもが苦手意識植えつけられたのがあるらしくてね。
「……まーセンター古文漢文程度なら文面読み取れれば深くは踏み込んでこないだろうし、小説さえ何とかすれば大丈夫じゃないの? 小論は死んでないんでしょ?」
「分かってるっつーの……つーか何お前受験生サマに向かって知ったような顔で語っちゃってんの」
「いやあ、受験生歴はオレのが長いっていうかね?」
去年から受験生の心意気ですからー、って舌出さんばかりのソーニャくんに苦虫噛みつぶしたようなアイカさんは何も答えませんでしたので、追い打ちかけるってわけでもありませんがとりあえず重ねて問いかけてみたりして。
「そういえば志望は? 決まった?」
「あー」
もう秋なんで。決まってないとヤバイって感じですが。
なんか適当っぽい相槌打ってから、ぼそっと零された大学名にえってソーニャくん、目を白黒させました。だってだって、だってそこって。
「……飛行機レベルに遠いじゃん!? 何しに行くの!?」
「何しにってお前……」
大学行くんだから目的は一個だろ、とかって呆れたようにアイカさん、まあそりゃそうだけどってソーニャくんは答えるけどでもやっぱり、って疑問は拭い切れない様子で。
「わざわざそんな遠く行くの? なんでなんで? 射撃部強いとか? っていうか推薦使うの?」
「や、推薦は使わねーし調べてみたら部活じゃなくてサークルしかなかったし大して強いわけでもなかったよ。部活目的じゃねーってそもそも」
「……ま、推薦使うんならそんなことする必要ないしねぇ」
まじまじと参考書眺めてから首傾げて、いつか話したことを思い出してみたりなんかして、ソーニャくんは人差し指を立てました。
「なんか数学とか医学とかスポ科とか医療福祉とかで迷ってたじゃん、結局どういう方面行くの? あ、あと射撃で選手の方、の選択肢、は潰したんだろうねそう言うからには」
「なげーよ。……ま、選手やれるほどでもねぇしな」
そりゃ好きだけどよ、とか、ちょっとだけ未練がましいような字面で、でもその割にはさっぱりした口調のアイカさんです。そんな様子にちょっと意外そうな顔したのはソーニャくんの方で、抱いた疑問をそのまま口に出します。
「え? でもエース級だしインハイ行ったんじゃん、それでも駄目なん?」
「駄目だろ。……っつーかあーいうとこ行くと尚更実感させられるっつーか、努力じゃどーにもなんねぇっつーか、才能が決める世界だよな」
割と決まり悪そうな事をすっぱり言うアイカさんはまあ結構悔しげではあるんですが貪欲さはあんまり感じられなくて、でもその言いようにはちょっと引っかかるところのあったソーニャくんはむって口尖らせました。
「才能ってなにそれー。一言で片付けないでよね、才能だけでインハイ行けるわけないじゃん。失礼だよ」
「や、まあ才能に胡坐かいてるよーなのはあそこいねぇよ。才能に加えて死にそうな努力上積んでるの、化け物かっつーレベルだぞ。……ま、それでも失礼か」
ちょっと自嘲気味に笑ってから、アイカさん。
「いーんだよ、別に射撃自体はやめる気ねぇし。でもとりあえずは休むよ、勉強しないとだし」
「あーで結局何しに行くの? んな遠くまで」
「とりあえず好きなこと、で数学かな」
矛盾してるみたいだけど。って軽く首振って。
「医学頭足んねぇし、そもそも伊鶴さん追っかけるって理由だけで行っていい世界じゃねーだろ。スポ科とか医療福祉とかも変に引きずりそーでな……一番やりたい、となると最終的にあっちかと」
「ふーん。それでわざわざ遠くまで」
「遠く遠く、ってな……。まあ遠いけど」
すっごく遠いけど。
「伊鶴さんと離れたくはねぇけどさ。つっても将来に関わる選択にあの人ダシに使いたくねーんだよ、そんなんあの人にとっても負担だろ? だからまあ、そんな感じで」
ちょっと自分に言い聞かせるみたいな雰囲気になってきたアイカさんでしたが、多分本人気付いてませんけど、ソーニャくんはなんとなくそれを感じ取ってみたり。でも指摘しないのは武士の情けってやつなのかもしれません。武士じゃないけど。
「……ま、伊鶴さんになんかあったら即飛んで帰ってくるぐらいの心づもりで」
「重ッ!?」
「あ、アイカだー。合格おめでとー。後期滑り込めてよかったねぇ」
「……ありがとうよ」
祝う声が明るくて、返答がなんか妙に低くて呪うような声なのってなんでなんでしょう。いやまあ理由はしっかりばっちり、なければそんな返答することもないだろうアイカさんですけど。
「いやあ大変だったねセンター、外語とあと小説ボロボロだったって? だからちゃんと国語総合から読み直しとけばよかったのにー」
「いつのネタだよ!」
「いつかこう恥ずかしいことをつらつらと語ってくれたときのネ、痛ッ!?」
振り下ろされたのは見事な拳でした。頭にがつーんと見事にクリティカルヒットして、頭抱えるソーニャくんです。うーって反論込めてアイカさんを睨んで。
「いーじゃんよかったじゃん遠くからとんぼ返りで伊鶴さんドン引きさせることにならなくて! 引っ越さないで済んで良かったねずっと近くにいられるね! どうせ数学ならこっちでも出来んでしょ、いざとなったら院で行けばいいじゃんかーコネ作れば難しくないって!」
「ドン引きってなんだ! 言われなくても院行くわ! クッソお前来年覚えてろセンター……つーか今年か? Pat出ろPat。総倒れろ」
「オレ別に外語苦手じゃないし。今年のセンターは既に解いてますー。多分アイカより上だよ、後で比べる?」
「死ね」
既に会話の様相を呈していないんですけど。
「まあまあほら、志望校行けなかったのは残念だけどまだ近くにいてくれるのは嬉しいって紬が言ってたよ? 死ね」
「お前それ完璧八つ当たりだろ……そんなんだから進めないんじゃねーか」
「うっわ一番言われたくない相手に言われた……っていうか一番人の事言えない相手に言われた……」
呆然みたいなそんな感じでこれ見よがしに呟いたソーニャくん、あっそうだって手を打ってから。
「どうせならサーシャに数学教えてあげてよ。卒業危ないかもしんないって」
「無理」
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