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「変なこと知りたがるもんだな、アンタ」

 些か耳に合わない喧騒ではあった。
 頬杖をついてグラスを掲げて、耳に掛けたストロベリーブロンドの細かな束が落ちるその様はなるほど売り物になるだけはあると思わされるそれである。自分とは違う赤みを眇め明らかに面白がる素振りを隠さず一息に安酒を煽る。
 美味くもなさそうにグラスを落として、それで、と頬杖をつく。

「何に使うつもりなん? その情報」
「詮索は無用ではないのか。情報屋」
「いーからいーから」

 馴れ馴れしく身を摺り寄せ間近まで顔を近づけられるが溜息以外を返す気にはならなかった。
 掌で押し退けて、伝わる頬の滑らかさに思わず爪を立ててやりたくなる。痛みで顔を歪めるだろうか、売り物にならないとでも嘆くだろうか。
 不穏な気配を察したのか身を引いた男は、その際に肘で倒しかけたグラスをこちらに追いやって。

「ハヤミちゃんがかかりっきりだから嫉妬した?」
「呆れた観察眼だな」

 切って捨てる。倒されてしまっては堪らないとグラスを手に取り、度数ばかり高いアルコールで喉を灼く。
 ぐるり回った視界に映るは空虚な台詞を嘯く口に見透かしたような瞳、全く以て、実に忌々しい。
 殺す理由としては上々であろうか、と揺れる頭の片隅に考える。

「掛かりきりになれるような男であったら、こうも面白くはならんだろうよ」

 そうであったならばとっくの昔に一人転落死している。
 差し伸べて引き上げておきながらそれで終わる。それ以上手を引いてやることは出来ない。
 触れることにすら躊躇い気がついたなら一人綱の上。
 かつて掴んだその掌にすら、触れてやることも出来はしない。
 そのざまが。

「面白いって?」
「実に」

 ふぅん。
 返った声は満足半分疑問半分と言ったところか、立てた人差し指を一度回して首を傾いだ。
 薄暗い酒場の風景が陽炎のように揺らめきその中で眼光ばかりがやけに毒々しい。

「趣味わっる」

 それには返さない。
 遠ざかる喧騒の中ただ自らのグラスを飲み干して、視線で男に問い返す。
 求める答えは一つだけだと。

「ま、いい遊びなんじゃねーの? 好きだよオレ、そういうの」
「………」

 相変わらずの軽薄な笑みに厭味な酷薄さを載せ、自らの趣味の悪さを証明する一言。
 愉悦のままに言葉を弄んで伸ばされた指先が唇と同じように蠢いた。

 きれいにととのえられた爪が頬の傷をなぞる。

「……っ、あ」

 近い。ちかい。顎に指が添えられる。滑らかな感触。親指。軽く持ち上げられて脳が揺れる。
 上がった視線、虚空には、――何もない。
 誰もいない。誰もいない。誰もいない誰もいないだれもいない。

 あなたはもういない。

「好きだから、サービスしてやる」

 口元が三日月のように。毒々しい朱が歪み軋むような声が漏れる。
 違う、この声は。

「……何、を」

 吐き出す音が揺れている。目まぐるしく血が巡る、拍動が暴れている、皮膚が波打つかのような錯覚。
 這い回る感触に不快感、振り解けない。そんなものは存在しない。存在しないものは振り解けない。
 けれど、ここにある。
 ここにいる。

「何を……」

 誰に問うているのか。膝が折れた。腕を掴まれて吊り下げられるような感覚、否錯覚か、耳が聞こえない。音しか聞こえない。鼓動と怨嗟しか聞こえない。刻むビートに謡うように、ただ、呪詛が響いて、腕が引かれる。
 全身隈無く塗り込められる殺意の渦に沈む中、異物が腕を放さず捕えて、
 それが唯一の寄す処に思え、甚だしく、悍ましい。

「身体で売ってやるよ。存外アンタも面白そうだ」




 金属の擦れる耳障りな硬質の音、掠れた吐息を掻い潜って漏れる狂った喉笛、粘質を纏う衣擦れの響き、耳を深く侵し尽くすかのような水音。
 仄暗い部屋の中、無数の傷に穢し尽くされた肌を白い指先で撫ぜては辿る。

「は、っ――あ、……ァ、っふ、ッ!」

 罅割れた声に時折弾かれたような叫声が混じる。それに伴い、ぎぢり、と金属音。鉄パイプと鎖の擦れる音。
 頭上に掲げられた両腕を縫い止める二重の手錠が、引っ切り無しに上げる金切り声。
 ともすれば人の声以上に大きなその音が耳を刻む不快に、けれど柳眉は顰められるでもなく。

「ほら。聞こえるだろ」

 そう言って笑ったなら、ぐち、と中で指を曲げてやる。聞こえよがしに上がる湿った音が果たして耳に届いただろうか、ひゅう、と上擦った空気の音では返答になりはしない。
 であれば確かめてやろうと跨ったまま肩を掴み爪を立てて、その顔を見下ろしてやる。

「……わは」

 歓声。嘆声。
 どう表現すればよいか、何とも言葉の選択に迷う。
 熱に浮かされて赤みを帯びた頬がてらてら濡れ光っている。雫となった液体が指先にも似た動きで伝い落ちる、それにすら苛まれて首が、肩が震えた。立てた爪が、傷口が、勝手に広がる。血が滲む。
 乾いて割れた唇も例外でなく濡れて、噛み締める力すら失った歯が無力に姿を覗かせる。身体のどこかしこから幾らでも液体が溢れる一方でその口内だけは水分を失いがらがらに乾いて啼き叫ぶ。

「オレはまだ触ってるだけ。突っ込んでない出してない、この音セーエキのせいじゃねーワケだ。ほら」
「っい! んぐ、ッ……は、あァ、ひっぁ」

 反面その声は濡れたそれであるのだから酷く愉快だ。
 ――ただ、その瞳を見て取ると、単純に愉快愉快と言っている場合でもなくなるが。

「う、あ! ……っ」

 震える唇にも上気しきった頬にも反せずその赤琥珀は蕩け切って焦点も定まらない。目尻に滲む赤に泪が馴染み、なるほどそんな顔もできたのかと思わされる。
 それでもいやはや恐ろしい、――ここまで堕とされたその奥底に、深淵を窺わせるほどの殺意を湛えた人間がいてたまるものか。
 これは自分一人に向けられたそれではないだろう、と覗きこんだ色に察する。そのアンバーに自分は映っていない。恐らく今は何をも映していない堕とされきった女のその色で、それでも尚広がる昏さはこの人間の奥深くに根差すものだ。
 叩き付けられる嘲弄すら認識できぬ中で誰に向けたでもない怨念を抱き続けているのだから全く以て恐れ入る。
 指先が既に把握し尽くした好い所を抉ればその分だけ反応を返して深く沈む、案の定そもそもとしてこういった”抱き方”をされたことがなかったのだろう、自分にとっては容易すぎる仕事である。加えてアッパー系の投与によって唯でさえ薬なしでは抑えきれなかった意識の昂りを無理矢理に引き上げられたのだから溜まったものではないのだろう。

「ふ、くぁ――……や、ッは、ぅ」

 それだけの条件が重なって、ここまで溺れさせられたのにも関わらず、殺してやると叫び続けるその本質。
 寒気がする。ぞくぞくと走り抜けるそれは、最早快感と言っても過言ではない程で――。

「――ああ」

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだと。
 その言葉の意味を、分かったような気になった。





「………」

 喉が痛い。全身に酷い倦怠感、手首に爛れたような痛み。
 決定的な違和感を感じるのはつまりはそういうことなのだろう。全く面倒なことをしてくれた、とベッドから身を起こす。身体が軋みを上げるのがよく分かった。実に不快。
 体を起こして一番最初に目に入ったのが金色の頭で、机に突っ伏すその背中が上下する様に呆れ果てる。
 毒突く気力も無くしてベッドを降りるが、その際に伝い落ちた慣れない粘ついた感触に眩暈がした。

「づあッ!?」
「起きろ下衆が」

 これ以上ないという程に冷え切った声であっただろう。頭を抱えて涙目で振り返ったならうわ、と身を引かれて失礼なことこの上ない。

「もうちょっと優しい起こし方とかねーの」
「――安心しろ」

 我ながら優しかったと思う。声だけは。
 逃げ腰の身体の胸倉を掴み引き寄せつつ、腰溜めに構え突き出した拳を奴の腹部に捩じ込む。そのまま手を離してやれば壁に背中を叩き付けられて床に沈んだ。さてはて何本逝ったことやら。感触を鑑みると精々が三と言ったところか。
 身体を丸めて咽せ込むその前髪を掴んで持ち上げると口の端に血が滲んでいた。

「ぇほ、げ、あがッ……」
「用意は出来たのか」
「ちょ――けふっ、は、待ッ」
「ふむ」

 拳を握ると慌てて掌を振られる。

「ある、から! そこっ――っか、げほっ」
「そうか」

 掌を離して示された先を見やれば机の上、奴が下敷きにしていた茶封筒。受け渡し前の商品を枕にするとは随分と不遜なことをするものである。
 手に取ると随分と薄っぺらく、奴の仕事に不安を抱きかけたが――

「――はは」

 なるほどアレが形式上だけでも繋ぎ留めたがるだけの価値はある。どこかの崩れとは大違い、本業としての貫禄といったところか。

「十二分だ」
「そりゃどーも。あ、シャワーあっちな。タオルとかあるから適当に使え」

 頷き封筒を置いて示された先に足を向けかけたところで、あ、などと気の抜けた声が聞こえたので振り返る。
 奴は脇腹を押さえてベッドの上、何やら摘み上げてこちらに向けて振ると。

「流石に何持ってるかわかんねー女にそのまま突っ込む度胸はねー、中にゃ出してないから安心しとけ」
「気遣いどうも。その台詞をそのまま返そうか、ロジャー」

 返答の代わりに露骨に嫌な顔をされたが次の瞬間思い出したように腹部を抱えてベッドに突っ伏していたので正直胸が空いた。
 お前が仕事出来なかったら殺されなくなる人が喜ぶけどオレが仕事出来なかったら色んな人が悲しむんだぞ、だのなんだのと寝言を零していたのでそのまま眠ってしまえばいいと思う。


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