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 もうこの世界には、私が生きている意味も資格も、ないと思った。

 消灯。夕を演出する灯が一つ一つ弱まり消えゆき、夜が訪れる。
 街はそれでもまだ明るい。人のざわめき、命の足取り。知らない人が沢山いて、知らない世界がそこにある。
 それを避けて、遠ざけたくて、駆ける足は自然、闇を辿る。

 死んだ人が沢山いた。
 殺された人が沢山いた。
 壊れてしまった人が沢山いた。

 人工的な雨が降る。
 そういえば今日は雨の降る夜だったと、傘も持たずに飛び出してきた私は足を止めずに天を見上げる。
 僅かな漏光の恩恵に与る程度では、天井など見えようはずもなかった。
 手を伸ばしても、闇。

 ノイズ。
 画面にも音声にも同等に。
 臥した腕のない躰も、伝い落ちる赤い色も、堪えようのない叫声も、雑音ごと全て色鮮やかに再生できる。
 躰を喰らう白い牙が、ただ、憎かった。

 雨が降る。
 この雨は確か一晩中。
 勢いのない液体が、それでも少しずつ、私の身体を浸していく。
 雨宿る建物もある。足を止めればこの雨を遣り過ごせる。

 遣り過ごして行く先が、私にはない。

 不意に胸元に圧迫感。
 せり上がるそれを咳と代えて、何度も何度も空気を吐く。
 この身体はそもそもそういう風に出来ていない。
 長時間の走行で過負担を掛けられて、雨に全身を冷やされて、それでも耐えられるようには出来ていない。
 足が止まる。膝をつく。
 コンクリートの硬さに構う余裕もなく、肩が腕が、頬が落ちる。意識が沈む。
 雨は止まらない。この街はそういう風に出来ている。
 だからこのまま、濡れ鼠のまま、浸されるままに朽ち果てようと――

「――何してんだ」

 ひとのこえがした。

 顔は上げない。上がらない。そんな力は残っていない。声も出ない。
 ただこうして、軽装のままに水浸しに地に蹲る姿はさぞかし滑稽だろうと、そんな風に思って、
 そこで、身体が掬い上げられた。

「うわ軽――っていうか、熱――おい、」

 急激に体勢を変えられたせいで、不自然に血が巡る。朦朧とした意識が揺れる。
 きもちがわるい。
 けれど身体に触れるこの掌も、気遣わしげに落つ声も、不思議ときもちがわるくない。

「大丈夫か? なんでこんなとこに、ったく――」

 でももうおしまい。
 最早こぼされるその意味も諒解できない。
 ひときわ大きく揺らされた頭が、意識が、再び深く沈められていく。

 腕も掌も落ちたまま。
 縋りたいと願う先は、もうこの世界のどこにもない。


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