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 ろくに手入れもされておらず、乾いて荒れた色のない唇。
 その褪せた色は、覗く舌の鮮やかな赤を、強く映え立たせるものだと思った。

「何食ってんだ」
「ケーキ」
「んなんは見りゃ分かる」

 ソファに仰向けに寝転がったまま鷲掴みにショートケーキ食う女は初めて見たが。
 傍らのテーブルには大雑把に切り分けられたイチゴのホールケーキ。一般的女性が好みそうなそれは、けれど目の前の人間にははっきり言って不似合いなことこの上ない。
 柔らかなスポンジを、生クリームを、味わうでもなく咀嚼して、首を傾がれる。

「じゃあなんだ」
「どっから持ってきたんだそれ。お前自分でそういうの買うタイプでもねえだろ」
「知り合いに貰った」
「あんたにそんなもん流す知り合いいるんか……」
「貴様の知らないところでな」

 会話の一方で一切れを食べ終え、残り半分近いケーキに掌を伸ばしまた一切れ。
 甘いものは好まないどころか苦手と言っていた筈だが、特に不満もなさそうに甘ったるさの結晶を口に含んでいく。

 ドア・アッシュクロフトという人間は食に頓着がない一方で、食物を無碍にすることは決してない。
 一応の嗜好はあるようだが、最終的なところを言えば食えれば一緒、あらゆる食物は皆全て平等にカロリーの塊として扱われる。
 栄養素の概念など以ての外、身体を動かす燃料となればそれで良いとする反面、否、むしろそれが故に、与えられた食物をみすみす食べ漏らし廃棄するようなへまは全くしない。
 かと言って、

「一切れくれ。腹減った」
「構わん。適当に取れ」

 このように求められたならあっさり明け渡すのだから、食い意地が張っているという訳でもない。
 許可を得て、切り分けられたケーキを自分も一切れ、拾い上げる。上質なそれは少し力を込めればそれだけで崩れ落ちてしまいそうで、到底手掴みで食べることを想定した菓子ではない。

 スタンダードな作りのショートケーキを齧れば口内に広がるのは、予想を裏切らない生クリームの甘ったるさ。

「……あっま」
「だろう」

 せせら笑うような涼しい顔で、全く笑いもせずに返される。

「よくこんなん食えるな」
「人から貰っておいてその台詞か。罰が当たるぞ」
「お前見てるとそこまで甘くないように思えたんだよ」

 しかし言われたことは正論も正論なので、大人しく一切れは食べ切ることとする。
 齧った赤い苺の酸味が、生クリームに慣らされた舌には妙に爽やかだ。

「こういう甘さならまだいいんだけどな」

 一方でまた一切れを食べ切って、感慨も堪能もない瞳が、残りの二切れを軽く見遣った。
 再び手が伸びる。

「……お前、一食でホール食い尽くすつもり?」
「冷蔵庫が壊れていてな」

 ナマモノはこれだから困る、と、淡々とした。

「あー」

 つまるところ、自らに与えられた食物が食物でなく朽ちゆくことを許容しないと、ただそれだけなのだろう。
 自分が不自由を感じないうちは特に求めない。頓着もないので要求されたら分け与える。一応の嗜好は持ち合わせているが、それに当て嵌ろうが外れようが食べ物は食べ物であり、身体を動かすエネルギー源だ。

 その役割さえ持ち合わせていれば十分であり、持ち合わせた役割を腐らせる愚は犯さない。
 言ってみればそれだけの、酷くシンプルな原理。

「気持ち悪くなんねえの」
「曲がりなりにも食べ物だ、問題はなかろう」
「何事も過剰摂取は毒に等しいんだぜ」
「この程度なら過剰でもなんともない」

 淡々と。淡々と。
 軽いやり取りの間に掌の内を食べ切って、最後の一切れを拾い上げる。
 つまらなそうな色の琥珀が、意外だとでも言わんばかりにこちらを見た。

「甘いだろう」
「甘いな」

 冷蔵庫が壊れているのは自業自得。嗜好から大きく外れた品であろうと関係ないのは本心だろうし、”この程度”、ワンホールが過剰の量でないというのも間違いなく本心。
 強がりも何もなく、ただ単純な原理に従った結果の行動として甘い甘いホールケーキを処理するその作業の、
 ”お手伝い”をしてやろうだなどと、馬鹿げて酷く、甘ったるい。

「甘いか?」
「すげー甘い」
「それは良かった」

 戯れのように呟いて、指先のクリームを舐め取る赤色。
 苺と同じ鮮烈さで、されど酸味など僅かもない、極上の甘露を帯びるようだった。


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