年が明けてもハイデルベルクの風は変わらない。
昇る太陽の眩しさも少し透明感を増した空の色も静かに落ちる雪の軽やかさも、何ひとつ変わりはしない。
ただそこに存在するのは、深く浅く横たわる、決して留まらぬ時の流れだけ。
開け放しの窓に手を掛ける。吐く息は白く。風は頬を撫でてピアスを揺らす。染み入るような冷気に身を浸される。
それがひどく寒い。
単純な寒さで比べればニヒツブルクの方が上ではある。
あの街は雪が多くて、道がすぐに真っ白になって、窓なんて開けていられないのに換気は大切だのなんだのと言われて開けられて凍えて震えて。
それであの人は軽く笑うのだ、すっきりした、気持ちいいだろって。
全然寒くなんてなかった。
「一人ではないだろう《
体温のない掌に頭を撫でられ、そこに温もりを見出すのは愚かなことだろうか。
そうでもしなければ――そうしてもなお、全身を這い回る震えは止まらないまま。
心はずっと竦み上がっていて、喧しく警鐘を鳴らして主張を続ける。
喪った繋がりに、どうしようもない欠落に、あなたが去ってしまうことに怯えている。
誰もいなくなってしまうのだと子供のように駄々を捏ねて、けれど何より子供なのは、それを否定できず首を振る自分自身だ。
「少なくとも今、私はここにいる。協会でできた友も多いだろう《
そうなのかもしれない。
ここにいるあなたに安堵して、他愛ない話に笑うひとに心を重ねて、ただそのためだけに繋がりを作るのだ。
傍にいてくれるように。
「独りでなどあるものか《
ひとりになど、ならぬように。
空を見上げる。澄み渡った空気に広がる青、吹き付けるマナの匂いが濃い。
ほの青く光るティアドロップに指先で触れると、深く息を吸い込む。
肺腑を満たす冷たい空気が心まで凍らせてしまわぬようにと願って、
緩やかに吐く息に懐かしいうたを載せ、そっと空へと紡ぎ放った。
Je fais souvent ce rêve étrange et pénétrant
わたしのよく見る夢はへんてこで、
D'une femme inconnue, et que j'aime, et qui m'aime
わたしの知り得ぬあなたがいるのです。
Et qui n'est, chaque fois, ni tout à fait la même
会うたび会うたび違うあなたは、けれどみな同じ愛で、
Ni tout à fait une autre, et m'aime et me comprend.
わたしを慈しみ包み込む。
Car elle me comprend, et mon coeur, transparent
あなたの愛に揺蕩うわたしは、
Pour elle seule, hélas ! cesse d'être un problème
すべてを許してあなたに委ね、そう、見透かされてしまいたいとさえ思う。
Pour elle seule, et les moiteurs de mon front blême,
あなたにこそ。あなたにこそそれを願い、
Elle seule les sait rafraîchir, en pleurant.
零れ落ちた涙がわたしの額をやさしく拭い去る。
ひとりは嫌だった。
求める温もりのない日々が、溺れる先の見当たらぬ夜が、いつだって心を涸らして縛る。
そこにいたはずのあなたが、笑っていたあなたがいない。
ただそれだけの事実に打ち拉がれる。
そう語った先、掌を伸べたあなたは、一体なにをその心に抱えていたのでしょうか。
Est-elle brune, blonde ou rousse ? - Je l'ignore.
栗色か金色かはたまた紅か、あなたの髪はどんな色か、
Son nom ? Je me souviens qu'il est doux et sonore
その吊すらも定かではないのですが、
Comme ceux des aimés que la Vie exila.
ひたすらに甘やかなその囁きは、最早届かぬ懸想を思わせるそれでした。
Son regard est pareil au regard des statues,
無機質に彫り込まれたまなざしに似て、
Et, pour sa voix, lointaine, et calme, et grave, elle a
遠く在るあなたからの穏やかで荘厳なひびきに、
L'inflexion des voix chères qui se sont tues.
燃え果つ魂の気高さを見出しわたしはひとり浸るのです。
叶うことならばこのうたのように、あなたを感じながらわたしは沈む、安らかな夢を見られたら。
都合のいい迷妄であっても捨てることができない程度には、ただ、あなたに焦がれています。
それが最早届かないものだと知って。
傍にあるひとに身を寄せて縋り生き延びる日々に終止符が打たれる日が来るならば、それは一体どういう形になるのか。
それを自分はどう受け入れるのか。
それを、自分は望んでいるのか。
何ひとつ答えを出せぬまま、呼び込んだマナの奔流が部屋を満たして踊り回る。
軽く指先を振って光を灯せば、連鎖的に光がきらきらと散った。
この光が何かを照らしてくれればいいのに、と、漠然とそう願う。
何を照らせばいいのか、誰の空を、足元を道を、行く先を、具体的にそれはどういうことなのか、そんなことは全く分からないけれど。
寝台に身を沈める。
投げ出した掌が示した先、隣室の彼に光を願ったとて、
彼自身がそれを願っているようには思えないのだから、どうしようもない。