未来予想図

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「……下関、邦道殿よお」
 常に笑みを崩さない相手をこちらは睨めつけながら、架録は雪駄も脱がずに座敷へと上がり込んだ。
「これはどういう了見なんだ?」
 低くどすを聞かせた声を放つ架録に対し、邦道の態度はどこまでも対称的であった。
 共通しているのは、お互いに対する敵意ただひとつだけ。
「……全く。折角こちらがお招きしてあげたのに、そんな礼儀もへったくれもない態度を取られるだなんて」
 やれやれと肩を竦めてみせる、その動作一つ一つが架録の気に障った。ずかずかと上がり込んだ勢いのまま邦道へと詰め寄る。
 その足が、差し出された掌を前に止まった。
「……あんだよ」
「少し、お話をしませんか?」
 口調だけは穏やかに、それを紡ぐ口元を物騒な笑みに彩って。
 信用ならない邦道の提案を、架録は一言で切って捨てた。
「知るか」
「あら」
「俺の用事は一つだけなんだよ。手前に言いたいことなんざ何もないっつったら嘘になるがな、今はどうでもいい」
 架録は邦道の背中に見える、閉ざされた襖に目を向けた。
 結界で封じられた、その向こうへと。
「……さっさと礼瀬と狼斗、返しやがれ」
「本当に大切にしているんですねえ」
 茶化すように放たれた言葉に柳眉が寄る。苛立ちを隠さない、素直な表情であった。
「いいじゃないですか、私にとっては余興のようなものです。――お話、しましょうよ」
「……っち」
 言外に秘められた圧力に気付かない本当にほど架録は鈍感ではなかった。
 どかりと、その場に品なく胡座で座り込む。
「よろしい」
 上から目線の賛辞。相手の言動ひとつひとつに、必要以上に苛立たされた。
「――で、手前、あいつ浚って何がしてえんだよ」
「はて」
「今更惚けてんじゃねえ。……あいつを消したのは朝廷そのものだ、利用価値なんざ――」
「その朝廷が、利用価値を見出だしたとしたら」
 ぞんざいな架録の口上を遮るように差し込まれた言葉。
 それは余りにも意外で、また勝手で、架録は思わず口をつぐんだ。
「……皇尊の直系である彼が今まで野放しにされていたこと自体、どう考えてもおかしいんですよ?」
「おかしくもなんともねえよ、野放しにされてたんじゃなくて黙殺されてたんだからな。それも随分と積極的に!」
「恨みがましく言いますねぇ」
「恨みがましくもなる」
 これ見よがしに肩をすくめる邦道と今にも立ち上がりそうな架禄の様子はあまりにも対照だったが、交わされる視線が散らす光は酷く苛烈であった。
「……これ以上、何を奪うつもりなんだよ」
「?」
 低く呻るような声。
「無理矢理連れ戻して産ませた子供の瞳が緑色だったからって引き離して、忌み子だのなんだのと迫害して! 母様も斎も殺したのは朝廷だろう、それからだってあいつは遠河の庇護なしには生きられなかった!」
「遠河の庇護、ねえ」
 侮るように漏らされた言葉に、架禄の肩が揺れた。険しい表情の中で、眉根が更に寄る。
「……なんだよ」
「いや、まあ――庇護と言うほどの庇護を、あなたが与えられていましたかねえ」
「――っ」
 相手の口元に常に張り付いた笑みは恐ろしく毒々しい。
 けれどそれは、鼻先で否定するにはあまりにも正鵠を得た問いかけだった。
「遠河の姓すら与えられず、彼に頼ることも多かったでしょう? あなたにとって彼は切り札でもあった」
「……うるせえ」
「ね、守られていたのはどちらでしたか?」
「……!」
 勝ち誇った目で覗き込まれ、架禄は思わず邦道から顔を逸らした。その事実を払拭するために身を翻し立ち上がる。
 未だ腰を下ろしたままの邦道は、架禄を見上げて悠然と笑った。
「逃げるんですか?」
「……逃げてやるよ」
 低い声で答えると、架禄は封を刻まれた襖へと手をかけた。
 織り込まれた術式を読み取り、結界を崩壊へと導こうとする――その作業を邪魔するかのようにかけられた声は、確かに架禄の動きを止めた。
「悪い話ではないのですよ。彼を、次代の皇尊に据えようという動きがあります」
「……は?」
 先程からこの男は何を言っているんだ。
 ぐるぐるに回る思考に水を差され、無理矢理止められたような気分だった。煮詰まることはやめたけれど、考えることもできない。
 凍り付いたように立ちつくした架禄に、邦道は容赦なく追い打ちをかける。
「先代の皇尊と遠河の巫女の間の子供です。騒がしい連中は黙らせておいて、事情があって秘されていたということにすれば――一時的にせよ、皇位に就けることは可能かと」
「……な、」
「穢れた腹から生まれた子供だのなんだの言う連中全員を一掃するのは難しいでしょうけれど――まあ、あくまでも皇位に就くのは彼一代きりであることを強調すれば、幾らかの了承は得られるでしょう。それでも反対するような強硬派には、こちらも強硬に出ざるを得ませんが」
 滔々と語る邦道の顔はいつもと全く変わらない笑顔で、
 その事実が、架禄の背筋に冷たいものと感じさせた。
「あれだけの力を持っているという事実だけで多くの者を捻じ伏せることができます。彼を朝廷の中心に据えて国力を強化すれば、この国を侵略せんと願う列強を相手取ることも、あるいは……」
「――ッ、待て待て待て」
 あまりにも唐突な展開に身を強張らせていた架禄は、それだけの制止を口にするのにも時間がかかった。喉が張り付いたように、声が上手く出ない。
「何考えてんだよ、いきなりそんな夢にもねえ。……そもそも、あれだけの強大な力を持ってさえ――あいつが皇族としてすら認められなかった、その理由を忘れたのか?」
「……え?」
 何のことだかわからない、とでも言わんばかりの様子を見せた邦道に、流石に呆れの表情を浮かべた架禄だった。
「目の色だよ。夷国人を連想させる、あの色だ」
 皇尊の直系としては有り得ないはずの、緑の瞳。
 それをすべての原因として、彼は全てを奪われたのに。
「あの目を持つ限り、あいつは皇位には就けないんだよ」
 そんなことも忘れて、こいつは何を言っているんだ。
「分かり切ってるだろ?」
「――何だ、そんなもの」
 念を押しながら振り返った架禄の背後で、襖が急に開け放たれた。
 吹き込む妙に冷たい空気、見開いた黒い瞳が映したものは、
「……礼、瀬……?」
 拘束されて床に沈む、ただ一人の弟の姿。
「こうして潰してしまえばいいでしょう?」
 力無く項垂れるその顔に巻かれた包帯が、彼の瞳を隠していた。
「――っあ、」
 分厚く巻かれた包帯に、それでも滲む赤い色。
「……礼瀬―――ッ!」
 その意味を理解できないほど架禄は愚かではなかったけれど、
同時にその意味を即座に認められるほど聡くもなかった。
「――ほら、あなたも」
 嘲笑うように吐かれた言葉ばかり、耳の奥にこびりつく。
 それが最後で、身体を貫く衝撃と共に、架禄の意識は闇へ落とされた。


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