未来予想図

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静かに風の渦巻く、小さな森の中だった。
 森の開けたところにぽつんと立てられた墓標。その前に跪き、礼瀬は両掌を合わせた。
 隣で蹲る狼斗もまた彼に従い瞳を伏せ、静かに頭を垂れている。
 厳粛な雰囲気の中で、二人は目の前の墓標に眠る者に思いを馳せていた。
「……久しぶりになって悪ィな、伊鶴」
 その沈黙を礼瀬が破った。優しい声で語りかける。
 伸ばした掌が墓標に触れて、冷ややかで硬いそれに慈しむような視線を向ける。
「できれば毎日でも来たいんだけどな。そうもいかねェ」
 狼斗は相棒の姿を何も言わずに見守っていた。礼儀正しくお座りしたまま、風のそよぎに身を任せている。
 二人の――否、三人の間に流れる穏やかな時間。
 不意に揺れた狼斗の耳が、その崩壊を告げる合図となった。
「――狼斗?」
 座っていた身を起こし、背後を睨む。まとう空気を緊張感あるものに変えて、赤い瞳は明らかに何かを捉えている。
「……出てきなよ、何の用事か分かんないけどさ。こんなところでコソコソしてなんなの、不審だよ?」
「………!」
 狼斗の言葉を受けて、礼瀬もまたその表情を厳しいものへと変えた。膝を上げて立ち上がり、狼斗と視線の方向を揃える。
 暫しの待ちののち、彼らは低く笑う声を聞いた。
「そんなに敵意を剥き出さなくともよいではありませんか」
「……下関家の坊ちゃんが、こんなところに何の用だ?」
「坊ちゃん呼ばわりは心外ですね」
 不本意そうな顔をした下関幸和は、礼瀬と狼斗に対して一歩距離を詰めた。武器の類を持っていないように見受けられたものの、何を隠しているか分かったものではない。
 まだ触れることなど到底できない距離のうちから、礼瀬と狼斗は彼に対して身構えていた。
「……で、なんの用なの? 墓参りなんてわけないよね、君たちができたもんじゃなし」
「叡那様にしたように、墓でも暴くつもりか? 相変わらずロクなこと考えねェな」
 警戒心剥き出しのままの二人の言動を、幸和は鼻で笑い飛ばす。
「まさか。そんな女に興味などありません」
「――ッ」
「礼瀬!」
 顔色を変えて足を踏み出しかけた礼瀬を制し、狼斗は幸和へと吠えた。
「……じゃあ何? 用事がないんだったらさっさと去ってくれない、目障りだからさぁ!」
「酷い言い草ですね」
 狼斗の恫喝にも動じない、その様子が腹立たしかった。
「私はあなたに用事があるのですよ、礼代礼瀬殿」
「……あ?」
 意外な言葉に礼瀬の眉根が寄った。こんな男が自分に何の用があるのだ、どう考えてもろくな用事では有り得ない。
 そして次の瞬間彼の唇から紡がれたのは――ろくでもないことであったが、それ以上に突拍子もないことであった。
 それこそ、二人の想定の範疇外であった。
「あなたを次代の皇尊に据えようという動きがあります」
「――は?」
 あまりにも突拍子のない発想に、礼瀬の動きは完全に止まった。
「資格は十分でしょう? 血統に申し分はなく、霊力もまた群を抜いている。誰かが考えついてもおかしくないことですよ」
「何言ってんだよ、馬鹿だろ!」
「はい?」
 言葉を失った礼瀬に代わり、幸和に食いかかったのは狼斗であった。憤慨した様子で彼の提案を否定する。
「資格が十分だったら礼瀬は最初から皇族として認められてたんだ! それが無理だったから今こうしてるわけで、何を今更わけの分かんないこと言ってるんだよ!」
「仕方ないでしょう? 事情が変わったんですから」
 狼斗の反駁を涼しげに片づけた幸和は、彼には興味がないとばかりの態度で礼瀬に手を伸ばした。
 その指先が、妖しく光る。
「こちらへ来なさい、礼代礼瀬。拒否権はありません――下関家の中枢では、既に見解が一致しています」
「……っ、ふざけ、んなよ……」
「そうだよ――させるか!」
 四肢を突っ張らせて地を踏みしめた狼斗は、礼瀬を軽く窺い見てから一転、その身に緑光を纏わせた。隣に立つ礼瀬の瞳が、同じ色に輝く。
 爪で地に防護の術式を組み上げながら、挑むように幸和に語りかける。
「そもそもアンタがこんな風に来たってことは、正規の手順は踏めないわけだろ!? だったらこっちだって突っ返してやるよ、絶対にお断りだ! お前らに利用なんか――、ッ!?」
 断り文句を叫びながら、狼斗は異変に気付いて言葉を切った。
 礼瀬を中心に浮き上がった五芒星――彼の瞳と、狼斗が纏うのと、同じ色をしていた。
 狼斗がその意味に気付いた時には既に手遅れだった。
「……ッ、ぐぁ!?」
「っ――ぁ、狼斗ッ!」
 四方八方から放たれた矢の一本一本が礼瀬の身体を貫く。
 しかし同時に悲鳴を上げ、血塗れで大地に倒れ伏したのは――礼瀬ではなく、狼斗の方だった。
 力無く投げ出された指先に刻まれた防護の術式は既に完成していた。それを認めた礼瀬の瞳が瞠られる。
「なんっ――おい、狼斗! 大丈……っ、ぅあ……!?」
 自分の身体を貫いた矢など者ともせず、礼瀬は横たわる狼斗を気遣うように屈み込み、そのまま均衡を失って膝をついた。
 身体の中を食い荒らされ命を削がれていくかのような感覚が全身を駆け巡り、身体を支えることすらままならない。
「……不便なものですね。強大な霊力とそれを扱う技術が釣り合っていないがために、そうして他人を通してしか術式を発動できないというのは」
 冷たく見下ろしながら、幸和は距離を二人との詰めていく。
 矢で貫かれたままの礼瀬と血に塗れた狼斗。その様子を見下ろして、昏く嗤った。
「だからこうして横から霊力をかっさらってやるだけで、あなたは無力だ」
「……ッ!」
ぎろりと幸和を睨み上げた礼瀬は、重い身体を無理矢理持ち上げて彼に躍りかかった。
片手に握り締めた小刀で、彼の胸元を突き上げる。それを軽くかわし、幸和が取った反撃は単純なものだった。
礼瀬の身体に突き刺さったままの矢を掴み、捻り上げる。
それだけで、悲鳴が上がった。
「あッ――く、うぐあっ!」
「狼斗! くそ、離しやがッ、……!?」
「……余計な制約も付きますしね」
 狼斗の悲鳴に気を取られた礼瀬の足を払い、地面へと転がす。
 幸和は礼瀬を仰向けに倒し、その上へ覆い被さった。
「術者へ全てを傾けてしまうが故に、あなたが受けるはずの傷までもが――このように、彼を苛む」
「――っ」
 ぐり、と膝で矢で貫かれた太股を抉られようが、礼瀬は痛みを感じない。
 その代償は全て、
「ッあ、が……っは、ああ、あぁぁっ!」
「狼斗……ッ」
 悔しげに歯を鳴らした礼瀬は幸和に対し再び小刀を突き出すが、体勢が不利な上に元々霊力を奪われているが故に力の入らない身体である。いとも容易く突き出した手首を捕まれ、小刀を奪われる。それを喉元に当てられ、冷たい感触に礼瀬の喉が反った。
「……っそ、てめ、ェ……ッ!」
「――契約を破棄しなさい」
「……な、に言って」
 唐突な要求に、礼瀬は一瞬言葉をなくした。分からないのなら、と言葉を重ねる。
「彼との絆の契約です。あなたの霊力を使わせて頂く以上、その契約は邪魔なものにしかならない」
「何、勝手なこと……ッ」
「分かりませんか?」
 僅かに刃を押し込まれ、礼瀬の声が途中で途切れる。
「このまま喉を抉られて、死ぬのは誰でしょう?」
「………!」
 それは歴然とした脅迫であった。
「……っ、あや、せ」
「……狼斗……?」
 力無い声が耳を打って、礼瀬は地に横たわった狼に目を向けた。どす赤い血が、黒い毛並みを艶やかに染め上げていた。
「聞くなよ、どうせ……そん、な、ロクなことに利用、されない……から、だか、ら」
「……狼斗、でもお前、」
「……せめて、折れるなって、さ……こ、こで俺、生き延びた、って――っあ、ぐ……!」
「狼斗!」
「うるさいんですよ」
 適当に礼瀬の身体に突き立った矢を掴み抉りながら、幸和は冷たく言い放った。
「あなたはどうするんですか? 些細な矜持と彼の命。どちらを優先します?」
「―――ッ」
「絆の契約は契約者本人の破棄以外には失われない。確かにあなたがここで矜持を通せば、彼との絆は保たれますが――」
 幸和は組み伏せた礼瀬の耳元に囁いた。
「――彼、死にますよ?」

 礼瀬は後ろ手に縛られた状態で座敷へと転がされていた。囲炉裏の中、灰の中で赤く燃える炭を幸和が火箸で転がしている。その回りに数人か、弓を背負った黒衣の男が鎮座していた。
「……狼斗は、ちゃんと治療してくれてんだろうな」
「ええ、もちろん。ちゃんとした薬師と術師に見せておりますよ」
 炭を見つめながら、幸和はそう答えて礼瀬には目を向けなかった。
「あなたがちゃんと言うことを聞いてくれたからですよ?」
「………」
 その言葉に礼瀬は返答しなかった。ただ厳しい表情で唇を噛む。
「これからあなたには術式を刻ませて頂きましょう。その上で複数の術者による制御と力の発動を行います。そもそもが、彼一人に背負わせていたのが無茶だったんですよ――しかもあんな、獣ごときに」
「……ッ!」
 最後に付け加えられた一言には軽侮の念が込められていて、礼瀬は思わず幸和をきつく睨み上げた。
 礼瀬を見た幸和は、その顔を愉しげに見下ろして言った。
「だってそうでしょう? 罠にも気付かず、あなたの力を奪われた。彼の限界があれですよ」
「……あいつを侮辱すんじゃねぇ」
「敗者にそんなことを嘯く権利があるとでも?」
「黙れ!」
 ぎり、と奥歯を噛み締める礼瀬を見下ろして、幸和は冷めた表情を作った。やや苛立たしげにため息をつく。
「全く、生意気で困ります。……さっさとやってしまいましょうか。そうすれば少しは静かになるでしょう」
「……? 何の話――ッ、うわ!?」
 幸和が目で合図すると同時に、回りに控えていた男達が礼瀬の腕を取り、その身体を俯せに床へと組み伏せる。顔だけを無理矢理上げさせられて固定された礼瀬の瞳に、幸和が再び火箸で囲炉裏の中の炭を転がす様子が映る。
 幸和は礼瀬を見ると、先程の冷めたものとは対極の――愉しそうな、本当に愉しそうな笑顔を見せた。
「……んだよ、術式刻むってやつか? 手前がやんのかよ?」
「いいえ、それと他にもやらなければならないことがありまして」
 腰を上げた幸和は、礼瀬の前に膝を下ろした。先程まで炭を弄っていた火箸を持ったまま、変わらない笑顔で礼瀬を見下ろす。
「あなたが皇族になれなかった理由をお忘れですか?」
「………?」
「その瞳」
 とん、と火箸を持たぬ方の指で目の下を触れられる。
「その瞳の色を見ると、うるさい連中がいるんですよねえ」
「……んなこと言われても、俺にだってどうにでもできねェよ」
「ええ、だからこちらでどうにかしようと思って」
 幸和の笑みは、ずっと変わらない。薄ら寒い――妙に気持ち悪さを感じさせられる笑みで、礼瀬に妙な胸騒ぎを起こさせる。
「押さえていてくださいね」
「ッ! おい、何考えてんだ、どうにかしようったってそんな、――!?」
 強くなった拘束に抗議の声を上げた礼瀬は、自分に近づいてくるものを見て思わず凍り付いた。
 自分に近づいてくる、というよりも、自分の目に。
 それは自分の目に向けて突き出された、
「―――ッ、うあ、ぁ、ああああああああぁぁぁぁッ!? がっ、い、ぐ、ぅああぁあっ!」
 熱い熱い、火箸の先端。
「ああ、うるさいうるさい」
 痛みにもがく身体を押さえ込まれ、礼瀬にできたことはただ悲鳴をあげることだけだった。
 蛋白質の変質する嫌な臭いが鼻につく。それが何を意味するかなど、考えずとも分かることだったが――礼瀬には考える余裕すら与えられなかった。
 激痛に逸れる喉も痛みにもがく指先も、その痛みを堪えるのには全く持って不十分で。
 ただ蹂躙される苦しみだけが彼を苛む。
「ぎっ、は、あぁあ、あ……っ、は、あ、……ッう、あ、あぁ」
 潰された片目を、閉じることができているかどうかすら分からない。
 半分になった視界の中で、再び炭を転がす幸和の姿が目に映る。
 その掌にある、黒い金属製の火箸も。
「全く、もうちょっと静かになってくれないものですかね?」
 あっけらかんとそう語る冷静な姿の中に秘められた残虐性ばかりが目について、
 けれど恐らく、礼瀬が最後に目に焼き付けるものはこれになるのだ。

 そう考えると礼瀬の目には、世界が恐ろしく暗く汚いもののように映った。


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