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「……あら、気を失ってしまいましたか?」
 押さえ込まれたままでだらりと頭を下げたシャインの、その頬を男が何度か叩くが反応がない。
 その様子に、男が小さく舌打ちする。
「思ったより根性が足りませんね。そんな簡単におねんねされては困るのですが」
「……叩き起こしますか?」
「それでは起きないでしょう。さて、なにか――」
 シャインを見降ろす男の、彼らを取り囲む男たちが竦んだように動きを止める。その中で一人だけ、代表格の男だけが懐に手を差し込む。
 その腕を、背後から伸びた手が掴んだ。
「モンスターボールだっけ、いまいち好かねェんだよなー」
「っ――礼代礼瀬!?」
 誰にも気取られることなく、いつの間にかそこに存在していた男の、翠の目が薄暗い中で淡く発光している。
 異様な雰囲気を漂わせる礼瀬を、周囲の男たちが取り押さえようと身構え
「……なッ!?」
 ――一人残らず、その身体が地に伏せた。
 その場にいた者全てが見たものは、床一面を覆い尽くす淡い翠の紋様。図らずもそれは、その中心に立つ男の瞳と同じ色をしていて――。
「それ、返してもらうぞ」
 礼瀬が指差した先は、力なくうなだれたままのシャインだ。這い蹲る男たちを掻きわけて、取り押さえられていたシャインをいとも容易く奪い返す。腕の中でぐったりとくずおれる身体を見降ろし思わず眉を寄せた。
 そして、不快を隠さない様子の男に一方的に宣告する。
「こっちはこんなガキ一人どうこうされた程度で波風立てる気はさらさらねェ。返してもらえりゃそれだけで『なかったこと』にして不問にしてやるって意向だけど――どうだ、幸和殿よ?」
「……あなたが動く時点で、『こんなガキ』程度の扱いではないのではありませんか?」
 男の――幸和の勘繰りを、礼瀬は鼻で笑い飛ばした。
「買いかぶりすぎだ。使える駒を使う、ただそれだけだろ……ッ!?」
 不意に礼瀬の懐に飛び込んだ幸和の手に白刃が閃く。礼瀬の背中から銀光が突き出し――それは、確かに礼瀬の脇腹を貫いた。
 そのまま突き飛ばされ、礼瀬はシャインを抱えたまま床に倒れ込んだ。白刃を掲げ、幸和が笑う。
「詰めが甘いですよ? この程度で掌握されたと思われては――」
「……いや、まあ――そうだよな。ちょっと油断した」
「!?」
 刺し貫かれたはずの礼瀬が、何事もなかったかのように立ち上がる。シャインを抱えたまま、その衣装には穴が空いているが――血の一滴たりとも、流れてはいない。
 そして、幸和の手の中の短刀も、汚れひとつなく綺麗なままだった。
「つーわけだから、さっさと行かせてもらうぞ。こんなトコで時間食ってられねェからな」
 軽く言い放ち、礼瀬は踵を返した。封がされていたはずの扉を何事もないように開け、薄暗い屋内を出ていく。
 扉が閉まり紋様が失せ、薄暗さを取り戻した中でも、動き出す者は一人もいなかった。
「あいつ――一体……?」
 ただ、呆然としたような呟きだけが残された。



「……ありがとう。本当に助かったよ」
「あー。あんま気にすんな」
 頭を下げた叡那をを押しとどめ、架禄は掌を軽く振った。むしろ、と言い募る。
「お前もよく生きて帰ってきたもんだな」
「それもあの子と――あの子の式のおかげだよ。……相手方の本陣に乗り込んで、なんともないなんてのは本来有り得ないじゃないか」
「しかもあの下関家≠セしなあ……」
 眉根を寄せて考え込む架禄を前に、叡那は思い出したように顔を上げた。
「朱子さんのことには言及してこなかったし、気にする素振りさえ見せなかった。かまかけても乗ってこなかったし――完全にどうでもいいって様子だったよ」
 その言葉に、架禄は驚いたように目を瞠った。
「んあ? どーゆーことだよ?」
「どうもこうも、そのままだ。何かの材料に使ってこられるとばかり思っていたから、拍子抜けだったけど……」
「もういらねえってことか? んなまさか、巫女としてのあいつは相当優秀だぞ……そもそも最初に奪ってったのはあっちだっつーに」
 釈然としない様子で髪を掻き上げる架禄を前に、叡那が言う。
「あの子を、代わりとして見定めたとか」
「ありえねー」
 架禄は叡那の言葉をすっぱり切り捨てた。
「あいつは言霊の扱いに長けてるのと、強力な式従えてることぐらいしか価値はねえよ。元来の霊力が大したことねーんだ、わざわざ欲しがるような人材じゃねー」
 アレだぞ、と襖の外を指し示す。
 叡那は指し示された先に視線を向け、思わず肩を落とした。そうなんだ、と相槌を打つ。
「……もしそうだったんなら、もっと手厚く扱っただろうしね」
「だな」
 頷いた架禄の前で、叡那の顔は酷く陰鬱だった。



 溶けかけの氷を浮かべた盥に手ぬぐいをじゃぶじゃぶと絞りながら、冬紀は二つ並んだ布団を窺い見た。その隣に横たわる狼斗が冬紀を気遣うように顔を上げる。
「んー? どうしたの?」
「いや、なんでも……ない、ってことはないけど」
 絞った手ぬぐいを布団に眠る片方、礼瀬の額に乗せてやる。ぐったりと苦しげな彼を見やってから隣の布団のシャインの額の手ぬぐいに触れ、冬紀は思わず固まった。
 やや引き攣った顔をして狼斗を見る。
「……オレ、ついさっき手ぬぐい換えたよね?」
「うん」
「まじかよー……」
 既にぬるくなってしまった手ぬぐいを取り上げながらがっくりと肩を落とす冬紀。勢いよく手ぬぐいを氷水に浸して絞り、シャインの額にもう一度載せてやる。
 赤い顔をして熱い息を吐く彼は酷く魘されていた。
「……だいじょうぶかなー……」
「坊ちゃん、手ひどくやられちゃったみたいだしねー。礼瀬の方は、……うん、ちょっと調子に乗りすぎたかも」
「そこなの!? ……っていうか、狼斗も大丈夫なの? それ」
「んー」
 狼斗は胴体に巻かれた包帯を見降ろしてから、否定を込めるようにぱたぱたと尾を振った。
「大丈夫だよ。俺らは人間よりかは丈夫にできてるしね」
「ならいいんだけど……あんまり無理とかすんなよー」
 心配そうに狼斗を見つつ、礼瀬の額に手を伸ばした冬紀は、その手ぬぐいを取って再度動きを止めた。まじまじと手ぬぐいを見る。繰り返し見る。
 それからおずおずと手を伸ばし、礼瀬の額の上に置いた。
「……熱ッ! 礼瀬熱ッ!! どーなってんのこれ! ってうわァ奈南もすげー熱いんだけどッ!?」
「おちつけー」
 混乱の極みに到達しそうな冬紀と、それに反比例したかのように冷静な狼斗。
「いやだっておちつけって! おちつけとか言われても! っていうかなんでオレ一人なの!?」
「だってこんなことに景斗呼び寄せるわけにもいかないし……」
「別に景斗呼べなんて言ってないよ! ほら、えーと……小紅ちゃんとかさぁ!」
「話がややこしくなるじゃん」
「そーだけど! でもなんか理不尽だよ!」
「……病人を前にあんまり騒がない方がいいと思うんだー」
「今更!?」
「正論じゃんか」
 いい加減疲れてきたのか肩を上下させて黙った冬紀に、狼斗はあっけらかんと言い放った。
「それにもうすぐ来るみたいだよ?」
「え?」
 目を丸くした冬紀の後ろで襖が開く。顔を出したのは、
「氷もらってきたよ。足りてる?」
「あ、ふわちゃん」
「風羽々ぁー!」
「こらこら抱きつくな。……結構融けかかってるね、持ってきて良かった」
 思わず身を乗り出す冬紀を軽く受け流しながら、風羽々はさらしに包むようにして持ってきた氷を盥に落としていった。からりからりと、水面に浮く氷が涼やかで気持ちのよい音を響かせる。
「これで大分楽になるでしょ。……冬紀、ちゃんと手ぬぐい換えてた?」
「換えてたよ! すっごい換えてたよ! ほんと一人じゃ手に負えなくなるくらいだったんだからね!」
「それはお疲れ様です。……お手伝いしますね」
「ありがとー! ほんとお疲れだったんだからー、……って……?」
 反射的に答えを返した冬紀は、風羽々の背後から現れた人影を見てその身を凍りつかせた。
 控えめに頭を下げ、襷で袖をまくったその女性は、
「あ、……朱子さんー!?」



「……でも、あの子が目をつけられているのは間違いないよね」
「……そーだな」
 陰鬱な表情のまま続けた叡那に答える架禄の声もまた暗い。
「つってもお前の身内として、だけど。……ったく、めんどくせーことしてくれやがって」
「あの子のこと、またしばらくお願いできるかな。魑魅魍魎の類の話は僕にはわからないし、……あの子の手綱を、握り切る自信がない」
 叡那は自らを嘲るようにして訥々と語った。自責に満ちたその語り口に、架禄は、一瞬かける言葉を見失った。
「………。……まあ、また暴走して面倒起こされたらコトだしな。俺とも関わりないってワケじゃねーし、戦力になるのは否定しねーよ」
「助かる」
 深々と頭を下げられ、慌てて掌を振る架禄。
「ちょ、あのなぁ、俺は俺のやることをやるんだし、逆にお前はお前のやることをやればいいってだけの話だぞ?」
「それでも、今回は君に頼りすぎたよ。……何より礼瀬君や、狼斗君のこと――」
「うるせーうるせー! いいんだよ、あいつだってたまに霊力使わねーとパンクすんだろ多分。……狼斗の怪我は礼瀬が油断したせいだし、お前が気に病むことはひとつもねぇ」
「………」
 憮然と押し黙った叡那が気に入らず、架禄はぐいと顔を覗き込んだ。仏頂面、低い声で唸る。
「お前は悪くねーって話してんのに、随分と不満そうだなオイ」
「不満なんてことはないよ。……ただ、礼瀬君の出自がバレたら大変でしょう」
「バレるも何も」
 鬱陶しげに髪を掻き上げる架禄。
「あいつは直々に存在消されてんだ、バレよーがバレなかろーが表舞台の争いに参加できる人間じゃねーよ。大変なわけあるか」
 重ね重ね言い募る架禄を前に、叡那は案ずるような呟きを漏らす。
「……そう単純にいければいいんだけど」
 その呟きは必要以上に不吉に響いた。



 魘されながら身を捩るシャインを見降ろして、朱子は切なげに眉を寄せた。
「……あ、あのー朱子さん、うつったりすると大変ですし、無理に看病とかしないでも休んでてくれてもー……」
「いいえ。私もすることのない身、働かなくてどうします」
 恐る恐る切り出した冬紀に対して毅然と答える朱子は、それに、と言葉を重ねた。
「この子のこと――心配なんです。看病くらい、させてくださいな」
「……はぃ」
「それじゃあお願いしますー」
 すごすごと引き下がった冬紀と、あまり気に病む様子も見せない狼斗は礼瀬のもとへと戻ってゆき、風羽々などに至っては「冬紀は思ったより図太さが足りないよね」などと、妙に気の抜けた様子だった。こんな状況なのに、思わず笑みがこぼれてしまうような。
 朱子はシャインの手ぬぐいを拾い上げると、氷水に沈めて絞った。額に乗せてやると和らぐ表情、それが昔と変わりないものだと再確認する。
『――大丈夫ですか!』
 手を伸ばされたあの瞬間から、その変化のなさに言葉を失くしたものだった。
 背は伸びた、顔つきも少しは大人びたような気もするし、成長を窺わせるような部分は数え上げればきりがない。
 それでも彼は変わっていなかったと、何年も前から同じままだと、そう思えるところばかりだったのだ。
 それは精一杯に伸ばす手だとか、こちらを向く瞳の色だとか、必死にもがくような表情だとか、
 行動原理と思われるような、そのすべてが。
「………」
 それは小さな子供が力を手に入れた姿に他ならなかった。だだをこねることしか知らなかった子供が自分で動くことを教えられた結果だと、そう表現するにふさわしい姿だった。
「……いつまでも、手がかかるのは変わらないのね」
 その事実に安心すると同時に、危なかしさが否定できない。
 この子供はいつまでこのままでいられるのだろうと。この子供が変わるとしたら、どうなってしまうのだろうと。
 そのことばかりが朱子には心配で、――恐ろしい。
「ほんと、かわいいんだから」
 取り上げた手ぬぐいの生ぬるさが気持ち悪くて、朱子はそれをすぐに氷水へと沈めた。


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