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 がちゃり、と腕を拘束する鎖が音を立てる。硬いものに締め付けられて肌が痛んだ。
 どろりとした液体が頬を伝い、石造りの床に跳ねる。赤いはずの液体は、薄暗い中では黒く見えた。
 自分を囲む集団の装束と、同じ色。
「そろそろ分かってくれましたか?」
 その中でも最も高い地位にいるのだろう、見降ろす男の表情は楽しそうだったが、瞳の奥はどこまでも冷たい。
 値踏みするような視線が不快なことこの上ない。
「……何をでしょうか?」
「御冗談を」
 にっこりと笑われて、顎を掴まれて強引に上向かされる。急に動かされて、切れた口内がちくりと痛んだ。
「っ……」
「もう助けを求めてもよい頃だと思うんですよ」
 一見優しいような言葉の、その思惑が透けて見えて厭らしい。頭を振って指を外し、目の前の男をぎろりと睨み上げる。
「もう十分頑張ったと思うんですよ。……あんまりひどい目には、遭いたくないでしょう?」
 そのささやかな抵抗も鼻先で笑い飛ばされた。耳元へ口を寄せられて、入り込もうとするのは悪魔の囁きだ。
 けれど、そんなものには興味はない。
「……ひどい目、ですか」
「そうです。お願いを聞いてくれないというのなら、こちらとしても止むを得ません」
 いけしゃあしゃあと言ってのける、その理屈は理解できる。それでも屈する気はなかった。こんな者たちの言うなりになど。
「あなたの2つの式に、助けを求めるだけでいいんです。……この苦しみから解放されるんなら、安いものでしょう」
 当たり前のように言ってのける、その神経は理解できない。だって。
「……いくらか、言いたいことがあります」
「ん?」
 やや期待したようにこちらを向く男の考えを裏切ってやろうと言葉を吐く。
「1つ、彼らを2つ呼ばわりするのは頂けません。ちゃんと意思を持った個人ですからね。2つ、助けを求めるったってそんな簡単なことではありません。何を言ったってこちらには駆け付けないように、と厳命してありますからね」
 そして、精一杯の笑顔を向ける。
「そして3つに――そんなことは、全然安くない。今なんかよりも、あなた方の言うなりになった後の未来の方が、今のオレには余程恐ろしい」
 そう、こんな苦しみなどなんということはない。
 どんなに弄ばれようと、嬲られようと、蹂躙されようと、それは自分の身に起こったことに過ぎない。ただ自分が耐えれば済むのだから、そんなことは苦痛には成り得ない。
 一番恐ろしいのは、彼らに被害が及ぶこと。
 何年もの離別の末に、ついに確かめ合ったお互いの温もりを、彼らが失ってしまうこと。
「だから――何を言おうと、叡那様には指一本触れさせません」
 矜持などそんなものはどこにもない。ただ自分がしなければならないことを、貫き通すだけのことだった。
 そうでなければ生きる価値がない。
 犠牲に塗れたこの命など、役立てなければ意味がない。
「――なるほど」
 どこか感心したような色を含む、冷たい声が耳を打つ。弾かれたように顔を上げると、襟口を掴まれて大きく開かされる。露出された胸板には殴打の跡、青黒い痣が点々と散らばる。
 その痣を指で押されて鈍痛が走る。そのように遊びながら、男は傍に控える者の一人に声をかけた。
「そろそろあなたの出番です。この分ならなかなか折れないでしょうから、好きにやってくださって構いません。……ああでも、死なない程度に」
 声をかけられた方の覆面をした男は無言で、けれど大きく頷くと奥に下がった。その様子を見送り、男は不穏な言葉を漏らす。
「あんまり、あの男は使いたくなかったんですけどねえ……」
「……はあ」
「先ほど、何を言おうと、と言いましたね?」
 値踏みされる苛立たしさに眉を寄せるが、その様子など意に介せずに男は続ける。
「まあ――何をされようと、だったとしたら、そこはそれなりに尊敬しますよ」
「じゃあ尊敬してもらわないといけませんね」
「はは」
 間髪いれずに言葉を返すも、まともに取り合わない男が気に食わない。もうこちらもだんまりを決め込むつもりで口を閉じた、その次の瞬間には突き倒されて仰向けに寝転がっていた。
 後ろ手に回されて拘束されていた腕を下敷きにする形になり、鎖の存在も相まって背中と腕がひどく痛んだ。
「っ……」
「準備ができましたか? ああ、じゃあ――」
 男が目線で合図をすると、周囲の集団が即座に反応して既に拘束されている身体を押さえ込んだ。今までが縛られていたとするとまさしく押さえ込むという表現が相応しい様子で、頭も肩も足の先まで、無数の掌でがっちりと掴まれていて身動ぎ一つ許されない。
 そのやや異様な様子に戸惑うと、先ほど奥に下がった覆面の男がこちらに近づいてくるのが見えた。分厚い手袋をしたその掌が持っているのは黒い火鉢で、立ち上る灰が赤く燃えているのが異様だった。
 その火鉢から何本か鉄の棒が突き出ている。覆面の男は押さえ込まれる自分の隣に膝をついた。鉄の棒を何度か弄り、火鉢から取り出す。
 熱されて十分に赤くなったその先は、桜の花びらに形作られていた。
「桜――、って、」
「おや、流石にそこまで無知ではありませんか」
 うちに喧嘩を売りましたものねえ、とどこか呑気な声。
 その形の意味するところに、思わず喉が引き攣った。
 覆面の男が手にした桜型――真っ赤に熱された焼き印が、ゆっくりと近づいてくる。はだけられた右胸を目指して、ゆっくりと、同時に一直線に。
「まだ、引き返せますよ?」
 柔らかな声が、優しさを込められた敬語が脳髄を犯す。しかしそれは見せかけの、作られたものでしかないのだ。
 誘うようなその声など、いともたやすく跳ねのけられる。
「――お断りします」
 無理矢理に作った笑顔が、引き攣ってなければよいと願う。
 す、と見降ろす目が細まった。
「残念です」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、
「――ッ! あっ――は、がッあああああああ!」
 ――全身の細胞が沸騰して蒸発していくような、おぞましいばかりの感覚。
 激痛というのも生温いそれをどこかに逃がそうともがこうとする身体は複数の男に抑えつけられている。身体中で苦痛を受け止め、許されたのは喉が張り裂けるまで絶叫を上げ続けることだけだ。
「はっ――あァ、ぐ……っ、はぁ、あ、あぁ」
 空気を求めて喘ぐ胸、そこに残されたのは、くっきりと黒い桜の痕。
 焼き印が離されても後を引く痛み、押しつけられている間とは比べ物にならないがそれもまた十分すぎるほどの激痛だ。全身を伝う汗が気持ち悪い。先ほどまで意にも解さなかった鎖での痛みまでもが鬱陶しい。
 覆面男が火鉢に焼き印を戻すのを横目に見ながら、男は挑むように問いかけた。
「それで、彼らを呼ぶ気には?」
「っ――りま、せ……ん」
 掠れ掠れの応答でも、男には十分伝わったようだった。小さくため息をついて、覆面の男に合図する。
 思わず唾を飲み込もうとするが、その飲み込む唾すらない。そして――
「うああぁぁぁぁッ! ――あ、ぎぅっ、ひぎっああああいあぅっ」
 あまりの絶叫に喉までもが焼かれ焦げきつそうになる。あまりの熱さに全身を火の中に放り込まれたような錯覚に陥り、動くことすら許されない身体はただ小刻みに跳ねるだけだ。
 肌を伝う汗の感覚すら痛みに変わって、押さえ込んでくる掌までもが赤く熱された鉄であるように感じられる。身体に触れる全てが苦痛の種となっていた。
 こんな中でも聴覚ばかりは鋭敏で、自分の肌を焼く音が鮮明に脳に刻まれていくのだ。
「ご、あが、あ――あ、ああぁ、あ……は、あ……ッ、うぐ……」
 いくら息を吸っても吸い足りない。限界まで吐き出した息が、際限なく上がった叫びがその喉を苛んで、漏れる呻き声は既に掠れてざらついていた。全身が熱く、痛みに呼び起された感覚はどこまでも研ぎ澄まされてしまっていた。
 留まるところを知らず溢れる汗までが沸騰したような熱を孕んでいる。汗に濡れた髪が顔に張り付く。その全てが苦しく、疎ましい。
「……頑張りますねえ」
 見降ろしてくる男の顔が、遠のきそうになる意識のうちにぼやける。繰り返される懇願、それだけは鮮やかに耳に入る。
「――お願いを、聞いてはくれませんか?」


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