七日目
私の教育よりも貴方の部屋の中の方がどうかしてる、というのがメリスの弁だったが部屋が汚いからと言ってそれが命の危機に繋がることはなく、この娘の愚行とはまったく次元を別にする問題だ。
こんな夜更けにアポイントもなしに押しかけて来た分際で、うんざりと呆れた様子を隠さずに部屋を見回したメリスは、しかし腹を決めた様子で荒れ放題のベッドに腰掛けた。
それから少しして、おずおずと言った風情に恐る恐る視線を向けてくる。気遣わしげな仕草が目障りだなと密かに思った。
「ねえ、リー、……貴方、前はそんな足じゃなかったわよね?」
「そりゃ生まれつきこんな足のやつは……あ、いるにはいるか」
その時のリーは情報端末越し、急にキャンセルを入れられたことに不平を募らせる情報屋を突っぱねる方に意識を割いていて、それにしても遅れに遅れた分際で文句を言ってくるとは驚きだ。しかもこちらのキャンセルには即座に返信が来た。見てんじゃねえかよ、そう揶揄してやればこちらにはこちらの事情があるのだと帰ってくるが、同じくこちらにはこちらの事情がある。
からかうように指摘してやりながら、どうやらベッドに鎮座を決め込んだらしいメリスに、
「お前マジで寝るためだけにこっち来たのか」
「そうよ、怖い夢見たからリーに一緒に寝てほしかったの。……それだけの筈が予想外のことばかりで頭ぐちゃぐちゃになっちゃったわ」
「お前のその行動が一番の予想外だよ」
こちらのセリフだと端末の向こう側にも啖呵を投げて、リーは機器ごと放り捨てた。
ここは暖かくて平和なカークライトのお屋敷ではないとここまで理解できていないとは思いもよらなかった。
一方でこの娘を教育してやる義務は自分にはないと思い出してもいた。
どうせこのお嬢様、戦場に出ることだって一度きりだろう。今回の任務が終わってしまえばハイサヨナラ、きれいな箱庭におめでたく逆戻り。
もともとが違う世界の人間なのだ。骨を折ってやる必要などどこにもない。
その証左であるように、荒れ放題の部屋の中でもその佇まいは損なわれない。
それは忌々しいほどに。シャワー浴びてこなくていいのかとリーの揶揄に、その意図を掴めず自分は汗臭いだろうかと、明後日の――あるいは正しい――心配をしてみせるくらいに。
あまりにも馬鹿らしい。人を呆れさせるにも限度があるのだと、それすらもこの娘は分かっていないのだろう。
「……その足、今みたいな戦争で失くしたの?」
彼女の好奇心は尽きないようで、口振りに反して踏み込む内容は無遠慮だ。
「あー、戦場でパーツ漁ってたらボンってなー」
お前は迂闊に生身で降りるなよ、五体不満足じゃ嫁の行き場にも困るだろ。
リーの語り口は軽かったが、それは彼女を気遣って取り繕ったものではなく、むしろ取り繕うことを億劫がった結果だ。そもそも明かさぬだけで隠してはいない。何十回と繰り返した説明を同じくメリスにもしてやったのだが、何故だかそれが彼女の癇に触れたらしい。
ボンって、鸚鵡返しに抑えた声。
「――ボンッ、じゃないでしょリーの馬鹿!」
罵声とともに飛んできた枕が顔面を直撃する。
「あのね、前から思ってたけど今確信したわ、貴方自分の身体全然大事にしてないでしょう!? 五体不満足で困るのは私だけじゃなくてリーもなのに、なんでそこまで危険なことしてるのよ!!」
ぐらついた視界越し、見えた顔はまっすぐこちらを睨んでいた。毛を逆立てた猫のようにふうふうと唸っている。その様子に、特に心を痛めることはしなかった。
しかしだからこそかけるべき言葉も見つからず、リーはものぐさに髪を掻き上げて。
「……寝に来たんじゃねーのか」
「寝に来たわよ! 寝に来たけどリーがそんなに馬鹿だなんて思ってなかったの! もう!」
どうにも彼女の怒りは収まらないようだった。勝手に人の布団を引っ被って丸くなったのは顔も見たくない、というサインか。
どうしたものか見守っているとやがて塊はベッドの壁際に寄り、下から伸ばされた手がぽんぽんと空けたスペースを叩く。
丸きり子どもの仕草でおかしくなる。はいはいちょっと待ってろ、ベッドに腰掛けて義足を外していると、幾らか落ち着いたのかひょっこり顔を出して、痛くないのなどと。
「取れたほど痛くねーよ」
「そりゃそうでしょうけど」
答えてやったのに不満そうなのは何故だろうか。狭いベッドに潜り込みながら、それでも思ったよりは窮屈ではなかった。少女の身体は細い。自分の未発達で貧弱なそれよりも、さらに。
だからそう抱き着く必要もないのだと、伝えてやることもできたはずだった。