九日目

「いらっしゃいませー、一名様で、……あ、お連れ様が先に? はぁ」

 ややかったるげなウェイトレスの声に喫茶店の入り口を見る。そこに認めた知己の姿に、やっとか、とリーはとうに冷め切ったブラックコーヒーを啜った。
 腕時計を見る。約束の時間からは一時間強、リーがこの店に着いてからは二十分。上々かね、とため息をついた。自分も奴も。
 向かいの席に腰掛けながら、そいつは図々しげに笑顔を見せて。

「よ。元気そうじゃないか」
「誰が。さんざ振り回されてうんざりしてるっての」
「おいおい、それはこっちの台詞だぞ。この前だってギリギリでキャンセルなんてしてくれやがって」
「馬鹿みてーに待たせるてめえが悪い。反省しろ、今日だってどんだけ待ったと思う」
「……十分?」
「倍は待った」

 なんだ、思ったよりも待ってないじゃないか。悪びれずに笑う壮年の男は、界隈で”高鳩”と呼ばれる情報屋だった。実名もその由来も知らない。少なくとも鳩のように平和の象徴とは結びつかない仕事をしていることは確かだった。
 むしろ狂った鳩時計のようにひどく時間にルーズで、代わりと言ってはなんだが、情報の正確さには定評がある。
 リーはこの男のことをハトと呼んでいた。

「で、ハト、俺はあんたと与太話しに来たワケじゃねえんだが」
「はいはい。ちょっと待った待った」
「場所は移さなくていいのか? 前は人の目を気にしてたじゃねえか」
「んー、まあ、お前がそうしたいっていうなら適当に。俺としては最初からどっちでもいいんだ」
「なんだそりゃ。まあいい、さっさと話せ」
「そう急かすなって」

 運ばれてきた紅茶に口を付ける情報屋の悠長な様子に、リーは舌を打った。これだけ待たせておいてこの様子、時間は金なりという言葉を誰かこの男に教え込んでやって欲しい。
 リーの内心など知ったことではないと、彼は草臥れた革カバンから書類ケースを取り出して広げた。

「言葉で語るよりも実物を見たほうが早かろう」

 彼がテーブルの上に差し出した一枚の写真。
 褪せてぼやけたそれに目をやった瞬間、リーは思わず腰を浮かした。

「ミリア!?」
「……ああ、やはりか。では話が早くて良いね」
「おい、お前、これどこでっ」

 少し癖の強い赤毛に、利発そうなヘーゼルの瞳。
 リーが最後に見た姿から少し成長して、また痛ましいことに疲れきった表情をしていたが、確かに捜し求める妹がそこにいた。

 前のめりに熱を帯びるリーを掌で制してハトは、だから人目のないところが良かったんだが、と呟き、新たに書類の束を引き出した。

「これ以上は少し高くなるが、いいか?」
「構うか、言い値出すからさっさと続けろ! てめえだって分かってんだろうが」
「はいはい。……じゃあこれな。君の妹さんの写真が出てきた元だけど、簡単に言えば人身売買の下請け企業だ。主なターゲットは子ども。金で買い取る場合と浚ってくる場合とあるけど、清々しくブラックだね」

 留めようもなく表情が強張っていたのだろう、怖い顔するなよ、ハトはこんな時ばかり平和ぶって笑ってみせたが効力はない。説明を続ける。

「ここは集めた子どもたちを需要に合わせて他の同業者に売り捌いてるんだね。浚うほうのノウハウと交渉のノウハウに長けていて、使うほうには長けていない」
「それが?」
「要するに、君の妹さんはここからさらに他の人買いのところに売られてるってわけ。……この写真の裏を見てごらん、数字があるだろう」
「ああ。Eの491って」
「それが彼女の品番だね。これだ」

 ハトがまた一枚書類を差し出す。掠れて劣化した上にコピーを重ねられ、あまりにも読み辛くはあったが確かに同じ番号が認められた。
 記載されている内容には彼女の特徴や態度などがあった。ハトは太枠に囲まれて強調された一覧を指で指し示す。

「問題はここだ」
「これがなんだって?」
「……多分、彼女が売られる先の候補だろう。どれも人身売買に携る業者の名前だ。候補として三つが挙げられている」
「そのどれかにミリアが居るって?」
「落ち着け。そもそもこの写真だって随分前の写真だろう、今の彼女はもっと年嵩のはずだ。……だが、どこに売られたかで、今の彼女がどうしているかの想像はつく」

 とん、と指を叩く。

「この企業。ここは比較的まともでね、家政婦やメイド、店の下働きだとかかな。次はここだが、……まあ、明るくはないね。売春が専門だ」
「…………」
「……最後が、ここだが」

 潜められた声、暗い表情に、リーはその先を聞きたくない、とさえ思った。



「この企業が取り扱うのは臓器販売だ」