十三日目
暗い部屋の中、唯一の明かりはテーブルに置かれたタブレットの光だけで、画面にはもう何度も目にしたカークライトの記録が表示されている。
見直す度に空っぽの胃からただ胃液だけを吐き出した。あの日から彼とは碌に顔を会わせていない。会わせる顔も無かった。
だって嘘を吐いた。
視界が滲む。涙だけは枯れることなくいつまでも流れた。
彼はどうしているだろう。もう居ないあの子を探しているのだろうか。カークライトの名前は出したから、屋敷にも乗り込むかもしれない。
乗り込んで、探して、真実を知って、それで、 それで?
気付けば部屋を飛び出していた。
急げ急げと足を急かす理由はただ一つ。
浮かんだ憶測が全て、最悪のシナリオのように思えたから。
*
「――メリス?」
ベッドの上。突然の訪問にお兄さまが驚いたように私を見る。
それもそうだ。帰るなんて一言も連絡していない。私は単に嫌な予感に突き動かされ、ひたすらに走ってここまで来ただけ。けれど予想に反して屋敷は静かだった。警備の者の話では今日はもうすぐ家具の運び込みがあるそうだが、彼が居る気配は無かった。無駄足、でもそれで良い。
「……ただいま、お兄さま」
「ああ、おかえり。急に帰ってくるなんて驚いたよ。お疲れ様、ずっと会いたかった」
布団から出てお兄さまはベッドの縁に腰掛けた。私を見て優しく微笑む姿は、寒空の下、迎えに来てくれたあの日と変わらない。
「ねえお兄さま、尋ねたいことがあるの」
「構わないけれど、ちゃんと着替えて休憩を取ってからでも」
「今、聞きたい」
首を振って言葉を遮る。戸惑いがちに首を傾ぐ姿を、笑み一つ浮かべることも出来ないで見返した。
「――どうして私を選んだの」
問いの意味を、お兄さまはすぐ理解出来たらしい。目を瞠り、それから視線を落とした。
「メリス、君は」
「全部見たの、データベース。私は機械苦手だから、誰も私が繋ぐだなんて思っていなかったでしょうけれど」
「そうか、……」
アセンブルを繰り返し、ウォーハイドラを動かしている内に、機械の操作にもいつの間にか慣れた。データベースに繋ぐことが出来たのもその結果だ。
暫くの沈黙の後、お兄さまは何も言わずに立ち上がると、私の頬にそっと手を寄せた。
「……最初は、どうでもよかったよ。僕を生かしたいのは両親の勝手だったから」
けれど知ってしまった。好奇心で隠れて足を運んだ地下室。扉の向こうで一人遊んでいた女の子の姿。
聞けば半分は血の繋がった妹でドナーに最適だと。だから捨てずに此処まで育てていたのだと。
その父の言葉を、今まで通り単なる事実として受け入れ流せれば良かったのに、出来なかった。
「だってね、その子、僕が遊びに行くと笑うんだ。撫でれば抱きついてきて、兄だと教えればお兄さまって嬉しそうに」
「……お兄さま」
「可愛かった、守りたいって思ったよ。だから移植はもういいと父上に言って、けれど受け入れてくれないから」
なら代わりを見つけてほしい。妹の命を使うことだけはやめてほしい。出来ることなら一緒にこの屋敷で、兄妹として暮らしたいと。
両親に対して我儘を口にしたのは、その時が初めてだった。
そうして要望通り妹ではない、一人の少女の命が犠牲になった。
「メリス、世界はね、全ての命を拾い上げてはくれないんだ」
頬に寄せた掌に雫が落ちる。
分かっていた。この人はただ一人の妹を救おうとしただけだということ。
その姿は、立場は違えど彼と変わらないものであるということも。
なら、どうすればいい?
救われなかったあの子は、救われない彼は。
「――?」
と、そこで急に耳に入った騒音に振り返る。下の階から、家具の運び込みの騒がしさではなく、これは。
「ッ、リー……!」
「メリス!?」
お兄さまの手を離れて駆け出す。騒音はすぐに止んだが、逆にそれが不安を掻き立てた。
階段を駆け下りて廊下を見渡すも人は見当たらない。おかしい。
足音を忍ばせて廊下を歩く。そして一つ、中から話し声の漏れる扉に気づいて近づいた。
誰かと誰かが話していて、その両方の声に聞き覚えがあって、
『まあ、いい。どこまで知ってる?』
『は?』
交わされている言葉の内容に足が震えた。
扉を開けようとしていた手が止まる。
『折角だから君の知らないことを教えてやろうと言っている』
お父さまは、何を言おうとしているのか。
やめて、と唇を動かす。声にならない。首を振る。
お願いだ、その事実だけは、彼には。
『君の妹は、メリスの代わりに臓器を提供するために連れて来られた、だとか』
言わないで、欲しかったのに。