こいはなし

NEXT TOP


<<ケース1:アイカ・カルヴァンとサラ・セレーニの場合>>


 緊張を抑え切れないままに、ちりり、と呼び鈴を鳴らして声を張り上げる。
「伊鶴さん、いますか? アイカで――」
「はーい」
 遮るように聞こえた声は別人のもので、当然ながらど扉を開けたのも別人だった。顔を出したソーニャが冷ややかに笑う。
「お使いお疲れさまー、アイカさん」
「……えーと、伊鶴さんは?」
「『急用』だってさー」
 やたらと強調されたその単語が耳に痛い。
「まあいいから上がってけば? 君がいるうちは戻ってこないと思うよ、伊鶴さん」



 ニコラからの預かり物と言伝、ちょっとした仕事の話を終えたところで、アイカは疲労感に襲われてソファに身を沈めた。テーブルを差し挟んだ向かいのソーニャが、紅茶を啜りながらのらくらと笑う。
「それにしても相変わらず分かりやすい嫌われっぷりだねー」
「……別に嫌われてるわけじゃねェよ」
「えー? どっから来るのさその思考。明らかに避けられてんのに」
 ソーニャの冷笑には苛立たされるが、アイカはわりと本気でそう言っていた。
 というか、一応、確信はあるのだ。嫌われていない確信は。避けられている理由も分かっている、本人に言われた。
 それが少しも納得できないだけで。
「つべこべうっせーな、思考とかじゃねェよ知ってるんだよ。嫌われてないって」
「アイカさん、思い込みひどーい。フられてんのに未練たらたらっていうか、往生際悪いって」
「うっせ」
 フられてねーよ。いやフられたけどアレはフられたうちに入らないというか、理由がいくらなんでもそれはない。
 言い返す気も失せて冷めたお茶に口をつけるアイカの前で、ソーニャは指折り数えながら好き勝手述べてゆく。
「だってアイカさんが来るたびに急用作るしー。まあ急患のときとかは仕方ないけど、それでもすっごいなんかテンション低いし。もう完璧迷惑されてるってー、そもそも全然その気なしでしょーあの人? アイカさんに異性としての感情抱くってのが本気で有り得なさそうっていうか……そもそも旦那に操立ててんだから諦めなって。略奪愛は不毛だよー?」
「不毛なのはあの人もだろ」
「死人に操立てすんのが?」
 ソーニャの声はあっけらかんとしすぎていた。アイカが押し黙る。
「全然不毛じゃないと思うけどなー。成就した愛だよ。君のと違って」
「………」
「っていうか実際諦めた方があの人もちゃんと会ってくれると思うんだけど。諦め悪すぎるとシャレなんないよ? ストーカーじみてくるっていうか――」
 がしゃん。
 つらつらとまくし立てるソーニャの言葉を遮ったのは、何かが割れる騒々しい音。
 キッチンへと続く廊下から聞こえたその音の、発信源を向くと、
「……サラちゃん?」
 びくりと身を竦ませた少女の足元では陶器が割れ、紅茶がぶちまけられていた。湯気を立てるそれを見て、アイカとソーニャが思わず身を浮かす。
「大丈夫? 怪我してない? 熱いでしょ、火傷とかない?」
「……わ、わたし」
 呆然と答えたサラの身体は竦み上がり震えていた。
「?」
「わたし――ご、ごめんなさいっ!」
「あ、ちょっと!」
 怪訝そうに眉をひそめるソーニャの前を、踵を返して去っていく。アイカは追いかけようとしたソーニャの肩を掴んで止める。
「お前、そこ片付けとけ」
「は?」
 間が抜けたソーニャの声には取り合わず、アイカはサラを追った。え、何なのさ、とかって混乱気味のソーニャの声を背中で聞いたが、まあなんとかするだろうと片付ける。
 ちょっとだけ、というかかなり、いい気味だと思った。



 玄関を出たところでサラの腕を捕まえる。掌の中の腕は恐ろしく細く、少しでも力を入れたら折れてしまいそうな気がして慌てて力を緩める。
 サラはびくりと身を竦ませて振り返る。罪悪感を募らせたアイカは、その目の端に涙が溜まっているのを見てとった。
 少女の涙を直視できず、アイカは目を逸らした。
「あー……なんか、悪ィ」
「え……?」
 戸惑いを見せる少女に、アイカは目を合わせぬままに言う。
「いや、その……ソーニャは別に全部俺に言ってんだよ。別にお前が気にしなくても――」
「……それは、分かってるんです」
「あ?」
 ごめんなさい、とサラは頭を下げた。そんなことをされるとますます自分が悪いような気がしてくる。いや、実際悪いのか。一番悪いのはソーニャだと思うんだが。
「勝手に、なんか……同じだな、って思っちゃって。だから、ユーグも、本当は嫌なのかなって……」
「いや、それはないだろ」
 反射的に否定する。実際有り得ない。
 あの男はこの少女を何よりも大切にしているはずで、それは何度も見せつけられた。はっきりと殺意を向けられたことも一度や二度ではない。
 それなのに、この少女のことを厭うなど――天地が引っくり返っても、有り得ない。
「……なんで、そんなことが言い切れるんですか」
「あーっと……だって、あいつ、お前のことすげェ大切にしてるだろ? だから――」
 サラがアイカを見上げた。その目に、アイカの口が止まる。
「……大切にしてるからって、そういう目で見てくれるとは限らないんですよ」
「……いや、でも……少なくとも邪険にはしないだろ? それにお前がストーカーになんかなりっこないし」
「分かりませんよ」
 俯くサラは悲しげで、色んなものが入り混じった複雑な表情をしていた。アイカが言葉を失うくらいに。自分には分からないものがそこにあると、悟ってしまうほどに。
「――分かりっこ、ないんです」
 だが、アイカには納得できないことがあった。というか、言っておきたいことがあった。自分の沽券のために。
「……一応言っとくけど、俺別に伊鶴さんに嫌われてるとかストーカー扱いされてるってわけじゃないからな?」
「え?」
 弾かれたようにサラが顔を挙げる。頓狂な表情をしていて、ああ、多分結構本気で思われてたんだろうな、と思うとそれなりに切なくなる。世間ずれしてないから仕方ないのかもしれないが。
「いや、本当……まあフられたのはそこそこ事実だけど、あれは納得いかないっつーか……本当アレはねェよ」
「……一体、伊鶴さんと……何が……?」
「聞くな俺に言わせるな悲しくなるから。……本人に聞いてくれ。教えてくれるかわかんねェけど」
「……はあ」
 なんだろうこのやるせなさ。
「……まあ、あいつがお前のこと嫌うってのは絶対に有り得ねェってのは傍目に明らかだから、そんな心配すんなよ。……上手く行くかまでは全然保証できねェけど」
 やや釈然としない様子のサラの頭を軽く撫でてから、アイカはぎこちなく笑った。
 その笑顔の不器用な柔らかさにサーシャは思わず頷いていた。説得力というか、信じ込ませてしまうだけのなにかがそこにはあった。
「俺もう行くわ。どうせくだんねェ話しかしてなかったんだ、ソーニャによろしく頼む」
 サラの頭から手を離し、アイカは彼女に背を向けた。急き立てられるように歩く、その背中に、精一杯張った少女の声が届く。
「あ、アイカさんっ!!」
 振り向いたアイカは、サラの目を見た。どこか物憂げな、けれど強さを秘めた、不思議な目。
「がんばります。……ありがとう、ございます!」
 深々と頭を下げられて、妙な居心地の悪さを感じた。感謝されることは決して嫌いではないが、正直感謝されるようなことは何一つしていないのだが。
「……ま、いいか」
 とりあえず、なんか力になれたみたいだし。



「お? おかえりアイカ。すまなかったな、わざわざ」
 事務所に戻ったアイカを認め、書類相手に格闘しているニコラが顔を上げた。アイカはその中の一枚を手に取り、自分には手伝えない種類のものと確認するとそれを元に戻す。
「いえ、いーですよ別に。つってもまたいなかったんですけどね、伊鶴さん」
「またか。……相変わらず間が悪いな、お前」
 ははは、と乾いた声でアイカは笑った。いや本当、間が悪いだけだったらすごくよかったんだけど。
 というか全ての元凶はこの人にあると言えないこともないのだが、流石にそれは逆恨みにも程があるので考えないことにする。
「まあ仕方ないっす。……ことにニコラさん、浮いた話ってあんま聞かないけどなんかないんです?」
「ん?」
 ニコラは今度は顔を上げないで返事をした。それなりにどうでもよさそうな顔である。
「いきなりどうしたんだ、脈略もなく。……まあ、しばらくはいいな。面倒くさいし」
「面倒って……」
 思わずアイカが肩を落としてしまったのも仕方ないことだと思う。とりあえずなんか身を固めてくれれば自分も結構楽になるというか、希望が見えてくるというかなんだが。
 それをストレートに言うわけにはいかないのだが。余計なお世話すぎるし。
 なんというか、全体的に報われない。
「いつまでもそんなんだから、伊鶴さんが心配するんですって」
「あいつは心配性なんだよ」
「まあすごい過剰に心配しすぎですよねマジで本気で心ン底から……」
 全力で同意する。心配性というか、病気の域だろあれ。冗談抜きで。
 色々とやるせなさ切なさが肩に沈んで、なんかもーどっかに倒れ込んで寝たい気分だった。でもアイカはとりあえず倒れ込まずにテーブルの上の書類を片付け始めた。



 サラは使用済みの医療器具をひとつひとつ消毒しながら、思い出したように伊鶴に尋ねた。
「あの、すみません……ちょっとお尋ねしていいですか?」
「構いませんわ。何でしょうか?」
 いつもの笑みをたたえたまま、伊鶴はサラを見降ろした。
「……アイカさんと、何かあるんですか?」
「アイカさん、ですか?」
 サラはためらいがちに質問を口にした。それに対し、伊鶴の方は全く頓着していない様子だった。
「何か、というか……そうですね。いい人ですから、これからもずっとニコラのことを支えてくれると嬉しいんですけれど」
「へ?」
 なんか斜め上から答えが返ってきた。
「しっかりしてるし、素敵な人ですからね。ニコラには辛いことがたくさんありましたから、今みたいにずっと――いえ、今以上に彼女の力になっていて欲しいものですね」
「え、ええと、それって……」
 サラは視線を宙に彷徨わせて、しばしば考え込んだ。伊鶴の発言を整理して、ひとつの結論を導き出す。
「……アイカさんとニコラさんで、そのう……」
「そこまでは干渉しませんけれど。――そうですね、でもそうなってくれたら素敵です」
 そう言い切った伊鶴の顔は、友を案ずる女のそれだった。あくまで、友の方を。
 サラは肩を落とした。
「……なんだか、私……アイカさんの言ってたこと、分かった気がします……」
「? 彼が何か?」
「いいえ、何も。……あ、消毒これで終わりました」
 ありがとうございます、お疲れ様でした、と微笑む伊鶴は物腰柔らかだけど、無邪気に残酷さを持ち合わせてる人なんだなあと思うとサラはそれが誰かと重なって、とりあえずこの上なくアイカ・カルヴァンという男に同情したり親近感を抱いたりしたのだった。まる。

(10/07/12)


NEXT TOP


Copyright(c) 2012 all rights reserved.