「どうして、泣いているんですか?」
仰向けに寝転がったオフィーリアの顔を真上から見下ろして、マリアットは彼女の頬に触れた。ひたりと触れた掌は濡れていて、オフィーリアの頬が冷たく浸される。
「……泣いてない」
小さな声で返すとおかしそうに笑われた。マリアットの顔が近付き、温かな舌先が自分の目尻を撫でる。ぴちゃり、水音が跳ねる。そのまま撫でるように舌先を伝わせ、耳まで舐め上げてオフィーリアに囁いた。
「ほら、濡れてる」
オフィーリアは首を振った。泣いてなんかいない、濡れてなんかいない。濡れていたのは彼の掌で、彼の舌だ。彼がそんな風に言うのは、薄暗くて見間違えたからだ。今泣く必要などないのだから。
否定を続けるオフィーリアを見降ろして、マリアットは困惑に顔をしかめた。その顔もすぐに愉しげなものに変わり、オフィーリアに覆い被さって額をくっつける。胸を圧迫される苦しさにオフィーリアが息を詰めると、マリアットはオフィーリアを抱きしめて身体を回し、オフィーリアを仰向けで見上げる体勢になる。
額はくっつけたまま、顔は覗き込まれたまま。
「否定する必要なんかないじゃないですか」
彼の顔が、声が、瞳が愉しげなのは、オフィーリアを通して再確認しているからだ。オフィーリアと同じように、自分の犯した罪のことを。
彼はそれをこの上なく大切に扱う。罪を抱いて美しく笑う。罪に縋るようにして生きている。
「泣いてるあなたも綺麗ですよ」
かけられる言葉は全て空虚で、それはマリアット本人も分かっていることなのだろう。
自分たちの間にそんなものは必要ないのだから。
「……泣いてない」
自分が泣くのは、槍を握る時だけで十分だ。
オフィーリアは同じ言葉を繰り返し、マリアットから顔を背けた。こんな駆け引きとか、案ずるような言葉とか、気づかいとか、そういう全ては全部いらない。オフィーリアは必要としていないし、マリアットだって同じのはずだ。
なのにこんな干渉は、いつだってルール違反だ。
「……ふーん」
マリアットは面白くなさそうに息を漏らし、オフィーリアの褐色の肌に手を這わせた。愛撫の一方、噛みつくようなキスを喉に刻みつけた。
「……っあ」
オフィーリアが小さく声を漏らすと、執拗に同じところを責め立てるやり方が彼は好きだった。びく、びくりと身体の震えを抑えられないで、立て続けに小さな喘ぎが漏れる。太腿を這う手はいやらしくも優しく、オフィーリアでなければ誤解してしまいそうだった。
自分たちをつなぐものが何なのかを、どちらもよく分かっている。
「い……、あ、やぁっ……」
太腿を辿った奥、濡れた蕾をなぞられて、オフィーリアの身体がふるふると震える。ぎゅっときつく閉じた目に温かく濡れたものが触れて、瞼を上げたオフィーリアの赤と、下から見上げるマリアットの青がかち合う。オフィーリアの瞳が映した予想外に厳しい色に、彼女は一瞬息を呑んだ。
目を閉じるな、と。
この行為の意味するものを、意図するものを、忘れることなど許されないのだと。
そう――彼の瞳の、自分の瞳の奥にあるのは、純然たる罪の色だ。罪を抱く者だけが、本能的に見透かすことができる色だ。
お互いのそれが何を意味するのかなどは知らない。知ろうとも思わない。
ただ、ひとつひとつ刻み込むだけだ。自分の身体に、この罪を、ひとつひとつ、重ねるようにして。
刻みこんだそれを自分は背負う。
刻み込んだそれに彼は縋りつく。
「は……ぁ、んっ……、ふふ」
「?」
思わず笑い声が漏れた。そんなことは初めてだったからか、マリアットが手を止めてオフィーリアを見返した。呆けたような顔がこちらを向いて、なんだか胸がすくような気分になった。
こんな状況なのに。こんな状況だからこそ。
「どうしたんです?」
彼はこれがないと生きられないのだと、色んな事が腑に落ちた。
捨てることなどできない、捨てる権利など持っていないオフィーリアが抱く罪とは違いとは違い、彼のそれは、どこかおぼろげで、実体のない、不確かなものなのだと。
だからこそ、彼はそれを求めてやまないし――拾い上げて、本当に嬉しそうに笑う。
「……なんでもない」
腕を伸ばし、彼の頭を抱え込んだ。戸惑いに上がった声を胸で押し潰す。
本来忌むべきものに縋って生きるのは、どういう気分なんだろう。
いくら大切に抱いてるといえ、罪の意識は酷く重いもので、枷のようにこの身体を、この心を縛り上げる。それを、自分から望むなど。
「あの……イーリ、むぐっ」
この頬を伝うのは、彼の涙だ。
明るい道を自ら切り捨てて閉ざして、どろりと暗い、救いのない道を選んだ彼の。
そこに幸福を見出す彼の。
「………」
閉ざされた選択肢を前に、泣くことも嘆くことも知らない彼の、本来流れるべき涙が流れているだけだ。
二人に通ずる罪の意識だけを導線として。
この関係のどこにも、恋など存在し得ないのだ。
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