胸のすくような感情は湧いてこなかった。
苛立ちの原因がただ一つなくなっただけだ。
男は何が起こったのかわからないという顔をしていた。男の日に焼けた脚から力が抜けて、砂の上に倒れ臥す。テントの中には血の焔の匂いが漂っている。
「貴様が言ったんだ」
顔が引きつっていた。それが堪え切れない笑みだと気がつくのには、時を待たねばならなかった。ただ顔だけが歪んで、心は何もついてはこなかった。ただ、憎いだけ。憎いだけだ。
「憎いものを殺せと。己の心に枷をつけるなと。これが俺の答えだ。くそったれ」
胃の腑から穢れを吐き出すように罵る。油の撒かれた砂の上を焔が舐め、燃え上がる。
夜を明々と照らす篝火が、門出を呪っているようにも、祝福するようにも思えた。
◇ ◆ ◇
生温い湿気をはらんだ潮風が、木組みの足場の上を爽やかに吹き抜けていく。
ディドは眼を開き、自分がどこにいるかを理解した後で、ゆっくりと歩き出した。
準備が必要だ。呪いのように、祝福のように。己の感情を果たすために。
胸のすくことはなかった。心の軽くなることも。
ただ、腹の底にある黒く凝った穢れが、口からこぼれでるだけだ。