24.かれらのはなし

 その姿は気高く美しかった。
 自分とは違う論理と根拠で生き方を選択し、信じた道を貫いた彼を染め上げる粘ついた血潮の色。
 殺戮の跡に限界まで汚され尽くした筈なのに、ただひたすらに見惚れるほどに。

 なのにどうして泣くのだろう。
 それをどうして悲しむのだろう。
 お前の摘み取った芽に、選び取った命に、何の後悔があると言うのか。



 ――ああ、嗚呼、瞳があかい。







 ――彼らは異邦の妖魔だった。

 招かれざる客。
 この世界に生まれ出づることのないモノども。
 欠け落ちた歯車の破片。

 本来この世には存在し得ぬ、生き物ですらない、意思を持った塊。あるいは魂。
 形だけを残された歪。

 異界の狭間を溢れ出で、この世界に辿り着いた。
 神と、運命と呼ばれる悪趣味が彼らをいたずらに導いてみせた。
 されど後が続く筈もなく、放り出された異邦の地で、彼らは彼らとして振る舞った。

 その地で暮らしていた人を、動物を、生き物を、気の向くままに喰い散らかした。

 それが彼らの流儀であり、それが彼らの当然だった。
 人間より強い力を持った彼らだからそれができた。
 彼らは最初はこう思っていたのかもしれない。
 ”この世界には手軽な餌がいる”と、”これこそお導き、自分たちはツイている”と。

 だがそう甘い話がある筈もない。

 人々は結託した。
 一人ひとりは儚く弱く、格好の餌食でしかなかった筈の人間どもは、しかし結託すると不思議に力をつけ始めた。
 もしかしたらその中に、特別な力を持った人間も紛れ込んでいたのかもしれない。
 そうであってもそうでなくても、異邦の妖魔達が嘗て好餌として扱っていた人間どもに打ち負かされ、追い立てられた。
 その事実だけは揺るぎない。



 ――異邦には異邦の領域があり。
 人には人の領域がある。
 混在することはあれど、表面化することのない交わり。
 その境界の存在を、この世界の新参者である彼らは悟り得なかった。



「それでクロたちはこの山に逃げ込んだのか」
「近からずも遠からず、だ。この山にはこの山を棲家とするあやかしがいたから、本来我らの縄張りにはなり得なかった」
「はぁ?」

 子どもは眉を上げてみせた。いみわかんねぇ、と零す。
 話を遮られた格好になった黒色の狼――クロと呼ばれている――は、その足元でぱたりと一度尾を振った。

「あやかし同士でいがみ合ってたっての?」
「人間も同じことをしているだろう。あやかしでも同じだ」
「ふぅん。……ま、確かに、地元の山で見かけたような奴らとあんたらは印象違うけど。もっとなんかこう、もこもこしてたっていうかさ」

 獣からはみ出したような奴らが多かった気がする。
 不思議な手振りと共にそう語る少年に対してクロは目を細めてみせた。
 赤い口を開く。

「我らのような異世界からの来訪者は、渡来の者と呼ばれることもあるそうだ」
「とらい、トライねー。でもあんたとか、マシラとかは目無しみたいなのとは違うっていうか……普通のケモノっぽい感じするけど」

 マシラというのは呼称通りに猿のような外見をした妖魔の眷族だ。
 子どもとは目線が近いからか、純粋に馬が合わないからか、たびたびいがみ合っては問題を起こしている。

「我らの器はこの世界の獣だからな」
「器?」
「ああ。特別力が強いせいで、世界に馴染むのにも時間がかかってな」

 保てず身体が崩れていったのだ、そう何事もないように。
 理解が及ばなかったのか、子どもは訝しげな表情を崩さない。
 言い含めるように続ける。

「強すぎる力は、代償を伴うものだ。異世界のものとなれば尚更」
「……そういうもんか」
「そういうものだよ」

 納得したのかしていないのか、腕を組んで何やら考え込んでいるのを横目に。

「行き場を失った我らは異邦者として迫害され、そのまま消え去るさだめにあった。それを救ったのが我らが主だ」

 その名を聞いた途端、あからさまに嫌そうな顔をするのが面白い。
 全く素直な子どもであった。

「この一帯を縄張りとして結界を張り我らを招き入れたのも、形を留めることができずにいた者に肉体を与えたのも」
「俺をここに連れてきて閉じ込めたのもあいつ、ってか?」

 刺々しく声を張って立ち上がる。
 振り返る眼光はまだ幼いが、敵愾心に研ぎ澄まされたそれだった。

「俺はあいつを許さねぇからな」
「家族から引き離されたからか?」
「当たり前だ!」

 肩を怒らせて吐き捨てる。

「……あいつ、何がしたいんだよ。俺になんの用があって、何をさせたいんだ」

 ぎりと握り締めた拳が白い。
 低く抑えられた声はまだ安定しておらず、大声を出せばすぐに裏返る。

 ――この世界の人間の男子には、声変わりというものがある。
 語る横顔は穏やかだった。
 あんななりでも立派に成長してるんだよと、おかしげに或いは微笑ましげに笑う。
 表情の変化に乏しい彼には珍しいことだ。

 連れて来られた当初に比べて、随分と背が伸びた。
 悪戯者の妖魔たちにからかわれることはあっても大怪我をすることはなくなったし、体調を崩している様子もない。
 誰にも頼らずに狩りをし、生計を立て、横顔はどこか精悍ですらある。

 力も付いた。妖魔どもに惑わされず生きるだけの力が。
 昔はマシラと取っ組み合いなどしたら一方的に殴り倒されるだけだったのが、この前見掛けた時などは十分に対等な存在として張り合っていた。
 調子に乗って自分に挑んで来た時などは、即座に地に叩き伏せて思い知らせてやったものだが。

『腕白小僧に育ったな。悪いことではないか』

 そんな風にも言っていた。
 あのあかい瞳に子どもの姿はどう映っているのか。
 この贄の姿は。

 親のように暖かく柔らかな眼差しで、その行き着く果てを。

「あんたはなんか聞いてないのかよ、クロ」
「……主の考えは我らの及ばぬところにある」
「……そ。期待してなかったけどさ」

 深くため息を吐く。落胆の色は薄い。
 諦めている訳ではないが、順応してしまっている。
 そういう印象をこの子どもからは受ける。

 生来、気の優しい子どもなのだと思う。
 強引に連れて来られたことに対する文句や怒りは専ら「自分がいなくなると家族や周囲の人間が困る」という焦りから来ていた。
 あまり自らのことを語りたがらない彼だが、彼を取り巻いていた環境は少なくとも彼という人間を充足させていたのだろう。
 確かな自負と役割を与え、そして、他人に対する思い遣りを培った。

 そのせいで怨敵とも言えるこの山の妖魔とも馴染んでしまっているのは皮肉と言うべきか。
 それでも時折こうして敵愾心や苛立ちを覗かせるものの、その感情は憎悪と表現するには何もかも幼く未成熟だった。



「――愛されていたのだろうな」

 頂から子どもの様子を見下ろしながら言う。
 子どもは眷族どもと戯れている。当初玩具扱いされていた子どもは、成長するに従っていい遊び相手として扱われるようになっていった。

 見下ろす主は、クロよりはこの世界の”人間”の機微に聡い。
 呟きは或いは感慨深く、或いは無感情に響いた。

 人の形をした主の長い髪が風に靡いた。

「屈託なく愛されて、健やかに育ってきたのだろう。苦難に直面しても、その経験を糧に生きられるくらいには」
「……まさに今がその”苦難の時”であるように思われるが」
「そうだな。間違いない」

 納得尽くに頷きが返る。
 罪悪感などまるで感じさせない口調は、あの子どもを贄として、餌としてしか見ていないからだろうと分かる。
 それなのに妙に親愛を滲ませる主のこの振る舞いを、クロはどうしても理解し得なかった。

 自分たちの勝手で野放図な論理に従い気ままに生きゆく妖魔の眷族たちの中にあって、責任というものを解し理路整然とした思考を好むクロは異端だった。
 一団の長のような形で振る舞うこととなったのも、単純に”一番強いから”というだけの理由ではなかっただろう。むしろこの性質を面白がり好んだ妖魔たちがクロにまとわりつき、慕うようになり、一つの群れを作り上げたと表現すべきかもしれない。
 何の因果か元の世界を迷い出で、異世界で苦境に立たされた時も、彼らはクロの言うことにはそれなりに忠実だった。
 それはひいては、クロが見上げるこの主に対しても同じく。

 クロもまた主を慕っていた。
 そもそもが自分たちがこうして形を保ち暮らしていけるのも、主の力と助けによるものだ。
 この世界ではそういう存在を恩人と呼ぶのだと図々しくも教えられたが、実際、この主はクロと眷族どもの恩人であった。
 ――主は”人”ではないから、厳密には何か間違っているのだろうが。

 だが恩人であり、慕っている相手であろうと、解し得ぬ振る舞いというものは確かに存在する。
 ことあの子どもに関しての主の振る舞いは不可解なことだらけだった。

「なあ、真朱よ」

 彼が振り返る。
 あかい瞳と視線が合う。



「――”何のために”、あの子どもを連れて来た?」
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