23.むかしのはなし


 昔話をしよう。
 あなたがまだ、あなただった頃の話。
 私の愛したあなたの話。







 大変だ、大変だと大騒ぎの声がして、何事かと視線を向ける。
 冷ややかな空気の漂う洞窟へと、一匹、大きな耳が特徴的なあやかしが姿を現す。
 まろびでるよう、目無しと呼ばれる小さなあやかしは、こちらの姿を認めると、ばつが悪そうに大口を震わせた。
 大変だよ、と繰り返して裾を引く。

「またあれが面倒でも起こしたかね」

 返答は意外なほどに歯切れが悪い。
 この分では喧嘩両成敗といったところか、と、薄汚れた子どもの顔を思い出す。あれは存外に気が強くまた負けず嫌いだった。元気のいいことで何よりとも思うが。
 子どものことを伝えに来たであろう目無しは、普段はあれに負けず劣らずやかましいというのに今はただただ小さくなっている。
 その様子が少し可哀想になって、仕方ないな、と腰を上げた。



 ちち、と囀りを上げていた鳥が、空を見上げて枝から飛び立つ。
 空は近い。頂から認める色は特に深い濃青をして鮮烈だ。
 真朱からは程遠く爽やかな色。
 張り巡らされた結界越しでも、褪せることのない色。



 連れて行かれた先では、目無しと同じような妖魔の眷族どもがひしめき群れを作っていた。
 黒い毛むくじゃらや、ぬっぺりとした平たい丸、獣とも形容しがたい四肢を伸ばした円筒状。
 この世界の”生き物”とは一線を画した奇妙な風体の異形どもが取り囲んでいるのは、相反してこの世界によく馴染む、何の変哲もない一人の子どもだ。

 ざわり、ざわりと空気が軋んで、視線が揃ってこちらへと集まる。目無しは萎縮して視線から逃れ自分の背後へと隠れてしまった。
 呆れ半分に肩を竦める。退け、と一声掛ければ、彼らは揃って身を引いた。
 道が拓ける。

 追いかけすぎたんだ、調子に乗っちゃって、と、抗弁するような声が重なる。
 彼らの背後に聳え立つ、子どもが転げ落ちたであろう崖は切り立って高い。徒人であれば容易く命を落としていたであろう。
 そうではない子どもの傍らに膝をつき、唇に触れて息遣いを確認した。
 全身に作られた生傷、折れた腕、打ち身を作って腫れた頬が痛々しいが、総じて言えば大した怪我ではない。

 それを告げれば安堵のどよめき、それから、なんだ、と拍子抜けしたような声音。びっくりさせやがって、などと不満を漏らす者もいるが、それは心配の裏返しだ。
 丈夫な玩具を面白がってからかう割には、割合、素直に仲間として受け入れ心配する。どれも小心者で、ひねくれている面もあるが、結局は気のいいあやかしどもだった。

「驚かせて、とは言うが、俺の台詞でもある。あまり騒がせてくれるなよ」

 とは言え改めて注意しておかねばならないだろう。
 少しだけ語気を強めた言葉に、雰囲気ばかりは神妙になって、はあい、と表面だけは反省した返事が返ってくる。

 最初は滝へと引きずり落とし、次は木へ登らせてから叩き落とした。
 それから落とし穴に生き埋めにしてしまい、とどめにこうして崖から落とす。

 その度その度、肝を潰した彼らに自分が呼ばれている。
 遊び道具として戯れるの域をいい加減越してしまいかねないし、悪気がないで済ませるにはいかない程度には煩わしくなってくる頃である。
 これに懲りて大人しくなってくれればいいが。一瞬そう考えてから、無理だな、と結論付ける。
 眷族どもが懲りるよりは、子どもが成長するほうが早いだろう。

 借りるぞ、と子どもの身体を抱え上げると、眷族の一体が小さく声をあげた。
 くり抜いた角に手足を生やしたような風体のそれへと視線を向けると、座りが悪そうな様子でこちらを見返す。
 暫しの逡巡ののちにそれを差し出した。



 瞼が震える。
 血の気の失せた顔が顰められて、う、と小さな声が漏らされる。
 僅かに覗いた瞳の色の薄さ。

 あれ、おれ、と、舌足らずに子どもが呻いた。

「起きたか」
「……ぁ、あんた、……っ!」
「大人しくしておけ」

 身を起こそうとして声を詰まらせる子どもに忠告する。
 添え木を当てられたのとは逆の腕で腹を押さえる様子を見ると、あるいは肋骨とか内臓だとか、そのあたりも損傷しているのかもしれない。人間の身体のつくりには詳しくないから当て推量以上のものにはなり得ないが。
 様子を見るために立ち上がると、何故だか強く睨まれた。精一杯の子どものそれに、迫力は伴っていない。

「来んな」

 手負いの獣のように背を丸め、下手な呼吸に肩を上下させながら、こちらを睨み付けている。
 ふうふうと唸る息の根。
 どうしたものか、と諦めて、洞窟の岩肌に背を預けて座り直した。
 子どもは依然身を横たえたまま、苦しげに表情を歪めている。
 貼り付けられた感情は、苦悶、憎悪、怨恨。

 嫌われたものだなと目を細める。

「……ぁに、笑ってんだよ」
「?」
「あんた以外、いない、だろ!」

 刺々しく張り上げられた声が揺れていた。
 傷に障ったのか子どもが身体を丸めると、冷やさないようにとかけられていた毛皮がずり落ちて肌が露わになった。
 剥き出しの裸体が震える。清められた肌がぬくもりを求めている。

「! 来んなって、言ってん……」
「大人しくしろと言った筈だが」

 怒号を遮り、再び毛皮を掛けてやる。
 隣に座り込み、強張った身体を、背中を軽く撫でやって、休め、と繰り返し語りかけた。

「っ――」

 動揺と警戒心それと怪我、限界まで張り詰められた神経。
 精神も身体も削られるだけの要因は幾らでもあった。
 傷を負ったばかりの手負いの身であるのに、こうして強情ばかり張る負けず嫌いは、どのようにして培われたものやら。
 自分にはとんと見当がつかない。

 ぎり、と歯を食い縛る音。
 幼い瞳を怒らせて、ぎらぎらとした眼光でこちらを刺す。
 それをも受け流して、彼が意識を落とすまで、何も言わずに身体を撫で続けた。



 子どもはこの山を降りられない。
 この一帯は妖魔の巣窟で、許され得た者、または特別な力を持つ者しか、その方角を正しく知り得ない。

 子どもはこの山を出られない。
 空を見上げ、自分の感覚を頼り、星と太陽を辿り進んだとて、その活路が拓かれることはない。

 子どもは故郷へと帰れない。
 彼の愛する、彼が守りたいと願う、家族の元に戻ることはできない。



 ぜいぜいと息を吐く矮躯を乗せて見下ろす。
 怪我から発熱したのか、吐息の温度が高い。

 そうしたのは自分だった。
 彼をこの地に留め置いているのは、他ならぬ自分だった。
 自分の目的のために、利用されるために、彼はここに在り続ける。

 膝に乗った頭が小さい。頭だけではない、全身のどの器官も小さく繊細に作られている。
 改めて見つめれば見つめるほどに彼は、未成熟の、ひどく頼りない身体をしていた。
 これで家族が待っているのだと、自分が支えなければと叫ぶのだから、むしろ痛々しい。
 責務に囚われるにはあまりにも幼すぎるだろうに。

 その責務から取り上げて、自分が囚えて何が悪い。

 なるほどこの子どもである必要はない。それでも誰かを犠とするのだ。
 彼でなければならぬ理由はないが、同じように、彼であってはならぬ道理もない。
 それでもお前は運が悪かったのだとそう囁いて、全て諦めさせるには子どもは幼すぎた。
 だからこうして反抗する。だからこうして諦めずにいる。
 それを少し、心地よく感じる。
 なにか懐かしいものを目の当たりにしたように思う。



 ――彼は贄だった。
 喰らわれるその日を待ち続けるだけの、ただの哀れな被害者だった。
 さだめを覆す力を持たず、何一つ真実を知らされず、ただ囚われ続けるだけの無力な子ども。



 笛の音が巣窟に響く。
 子守唄代わりにでもなったろうか、苦しげな息遣いが、少しだけ穏やかなそれへと変わっていく気がした。
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