二日目

 ぎぢと脳髄の軋む音がする。
 勿論それは錯覚だ。一方で神経は悲鳴をあげていた。

「……あーくそ、なんてザマだ」

 機体大破。
 今回の初陣はさんざんばらの結果に終わった。
 補助金が入ることを見越して強気に挑んだとはいえこの結果は本当にざまあない。
 久しぶりの実戦で訛っているせいだ。そう思わなければやっていられなかった。

(兵士のメンテナンスまでは、やってくれねぇよなあ)

 そんなものは期待するだけ無駄だに知っている。
 あんなド素人ですら気にせず投入されるこの戦争で、またそういう雇い主だ。
 金払いのよさを頼みに長く世話になってきたが、ここに来て頭を悩まされるとは。

 そうして拠点を出ようと通りがかったロビーで、一番会いたくない相手を見つけた。



 ベンチの上で膝を抱えた一人の少女。相変わらず残像領域には似つかわしくないその姿は随分と意気消沈しているように見えた。思わず足が止まる。声も漏らしたかもしれない、彼女はゆっくりと顔を上げて、

「……リー」

 声はやはり沈みきっていた。
 こりゃ大負けしたな、と当たりをつける。
 自分のことを棚に上げて、いい気味だ、とも思った。同時に都合が良いとも。
 これで懲りただろう、と。

「んだァそのシケたツラは、初陣で無様に負けでも――」

 それが途中で途切れてしまったのは、彼女の目の端に光るものを認めてしまったからだ。喉が詰まる。誤魔化すようにため息を漏らして、舌打ちをした。

「帰れっつった意味が分かっただろ」
「ふん、……意味は、わかったわよ、自分の考えがどんなに甘いものだったかってことも。……でも」

 視線は依然落ちている。
 その目がこちらを向かないことに安心していたが、一方で口振りはどうやら、

「……でも帰ったりしないんだから。こんなところで、諦めるもんですか」

 至極残念なことに、まだ折れてはいないようだった。

 目には涙が溜まっている。
 意地を張っているだけなのは明らかだった。

「お前なあ、分かってねーだろ。っつーか分かってない」
「わかってないって、何が――」
「……なあんでわざわざあったかいおうちから出てきてこんなトコで戦わなきゃなんねーんだよ」

 メリス・カークライトは名家の令嬢だ。
 もともと戦いとは無縁な箱庭で蝶よ花よと育てられた箱入り娘。
 自分とは生きる世界が遠く違う。

 そんな彼女がどうしてこんなところにいるのか。
 どうにもどうしても、世界というものは、忌々しく呪わしく形作られている。

 苦々しさを紛らわすように煙草を咥えた。



「お兄さまのため、戦わなくちゃいけないから戦うの」

 兄のためだと言い募る。
 リーの記憶の中にあるメリスの兄と言えば、いつも寝台に臥せている覇気のない男だった。病弱なためか気が弱く、反比例してお転婆なメリスには手を焼いていたように思う。
 ――お友達かい。メリスのことをよろしく頼むよ。
 そんな言葉を掛けられたこともあったか。ふざけた話だと思った。
 ただ、その言葉から、ひどく妹想いであることだけは伝わった。



「だからこんな中途半端なところで帰れないの。……初戦で惨敗して帰ってきましたなんて、恥ずかしくて言える筈無い」
「へー。じゃ、死体で帰るつもり?」
「……っ」

 リーの言葉は効果覿面だった。
 細い肩が跳ねる。未発達な、まだ幼い、弱々しい少女の肩だ。
 戦う者の肩ではない。

「わ、たしが、……選んだ道でそうなるなら、仕方ないわ」

 声は震えている。
 再び上げられた顔も、身体も、やはり同じように。
 反して顔は張り付けられたよう作られた笑みで、
 お国の為に、死ねるんですもの、と。

「……立派、じゃない」

 ふざけるなと思った。







「……あー。クソ。バカか、俺は」

 義足を外すのも忘れたまま身を沈めたベッドの上で、零したそれは怨嗟に近い。
 この戦いに参加する兵士の為に割り当てられた寮の一室だ。狭く汚い代わりに安いこの寮を存外リーは気に入っていたが、それで塞いだ気が晴れるものではなかった。

 あの女が悪いのだ。
 あんな素人に彷徨かれては迷惑だ。幸いリーのような射撃を主とした機体ではないから誤射される可能性は低いが、そもそも立ち回りも知らないデカブツの存在そのものが既に邪魔なことこの上ない。
 それこそ戦闘中の事故に見せかけて処理してしまいたくなるほどだ。リー以外の者でもそのように考える者はいるだろう。
 だからと言って。

『――お前、俺と組め』

 などとは。

「……随分とお優しいこったな、クソ、んなことしてる場合か、あー……畜生……」



 ――目的を思い出せ、リー・ニコルズ。
 目先の情に惑わされるな。

 お前は何を求めている?