六日目
あの人に置いて行かれる夢を見て目を覚ました。
もうずっと遠い昔のことだ。お父さまの隠し子であった私がカークライトの家に正式に迎え入れられることが決まったその日。
どうして貴方だけ、と。あの人は憎悪ばかりが篭った瞳で私を睨み罵って、無理矢理に手を引いて寒空の下に置き去りにした。
その後お兄さまが私を助けてくれたのに、夢はいつもそこまでは見せてくれない。なんて意地悪なんだろう。
「おにい、さま」
呼んだところで返事は無く、そこで漸く此処が屋敷でないのを思い出す。
この夢を見たときは決まってお兄さまが添い寝をしてくれた。お兄さまは私の頭を撫でておやすみのキスをして、大丈夫だよって笑ってくれて、そんなことまで一緒に思い出して、胸が途端苦しくなる。
「……、……」
じわりと視界が滲むのが煩わしくて、涙が溢れる前に雑に袖で目元を拭い、枕を抱えて立ち上がる。
端末を手に持ち検索を掛けて開いたのは、寮の名簿だった。
***
「よかった、まだ起きてたのね」
扉の向こうから顔を覗かせたリーの姿に、訪れた部屋は間違っていなかったのだと確信して安堵する。
しかし扉を開けてくれた彼は私の姿を見て何故かぴたりとその場で固まっていた。
どうしたのだろうと疑問に思いながらも見慣れない彼の私服を上から下まで観察してみて、私もそこで固まらざるを得なかった。
「メリス、お前、」
なんで、と。
掠れて消えかかった声は、まるで私の心情さえも表しているような。
いつもズボンに隠れて見えることのない彼の素足。気にしたこともなかった彼の右脚。
太腿の途中で途切れた肌、その下に続く無機質な――これ、は。
「――何の用だ」
今まで向けられたことのない冷たい瞳。睨みつけられたのだと気付けば無意識に肩が震える。
彼が浮かべている表情は、帰れと私に告げたあの時と同じくらい硬さと怒りを帯びたものだ。
「……あ、あの、その、……」
湧き上がる恐怖で上手く言葉を発することが出来ない。目の当たりにした現実が頭の中を?き乱す。
「……今日、一緒に寝てくれないかなって、それで、……それで、来たけど」
眠れなかったのだ。怖くて、一人じゃどうしても。知り合いなんて殆ど居ないこの地において、自分が頼りにできるのは彼だけで。だから馬鹿にされるかもしれないけれど、お願いしたら一緒に寝てくれるかな、なんて淡い期待を胸に此処を探して訪れたのに。
彼の態度も、彼の"それ"も、唐突過ぎてわけがわからない。
枕をぎゅっと抱き締めた。どうしたらいいのか分からずに視線を落とす。引き返すべきか、それとも無理矢理にでも帰らされるだろうか。
浮かぶ不安が更に頭も心も掻き乱していく中、耳を打ったのは呆れたような溜息の音、それから。
「……誘ってんのか、それは」
随分大胆じゃねえかって、人を馬鹿にしたような口振り。
そこでふっと緊張が解けた。漸く垣間見えたいつもの彼の姿に蟠っていた黒い靄が晴れていき、同時に間髪入れず沸々と湧き上がってきたのは確かな怒りだった。
だってこっちが怯えてたっていうのに何だか知らないけど呆れてて、意味はよくわからないけど人を馬鹿にして、そんな態度に腹を立てずに誰が居られるか。いや居られない。
というか一緒に寝ようっていうお誘いに大胆も何もないじゃない。私としては控えめにドアもノックしたし控えめにお願いもしたつもりだったのに、これのどこが大胆だっていうのか。
「そ、そーよお誘い! 一緒に寝ようって! 何なのよリーったら怖い顔して、びっくりしたじゃないもう! っていうかその足なんなの! もういいから早く入れてよ寒いし怖いし何なのよ馬鹿!」
「おっ、前」
恐らくこれが逆ギレと呼ばれる態度だということは理解していたが、でも怖かったのだ。それぐらい許されてもいいじゃない。そんな気持ちでべしんべしんと彼に枕を叩きつける。
暫く叩きつけられていた彼は、重ねて溜息を吐きカークライト家の教育がどうとかぼやきながら部屋の中を示す。物が散らかって汚い上に、灰皿に積もる吸殻や中身が外気に晒されたままの宅配ピザが目立つその惨状に訪れる部屋を間違えたのではと頭を抱えそうになったのは一瞬。
「……私の教育よりも貴方の部屋の中の方がどうかしてるわよ」
それでも一人で眠るよりかはずっとマシだと、私はたったと汚い部屋に足を踏み入れたのだった。