無言のままに何かのメモとGPの入った袋を渡された時は何事かと思った。
メモを見ると何やら霊玉の種類とその相場が記されている。
二種類の霊玉。しかしロジェが心配になったのが、
「……これって見て分かるの?」
見た目だけでその種類を判別できるかどうかであった。
霊玉なしで精霊力に触れてきた期間の長かったロジェは、自分の得意とする――協会では放出と呼ばれることが多いようだ――系統の術に関しては人一倍造詣が深いと自負している。
しかし一方で霊玉そのものに関しては全くの無知からスタートしており、なまじ彼が霊玉に詳しいものだから、とこの分野については自発的には殆ど学ばずに過ごしてきた。
彼に色々を尋ねることはよくあるが、基本的には専門分野については饒舌になる彼がなんとなく嬉しいからという単純な理由であり、その大半は自分の理解の及ばない範囲として片付けてしまっているのが現状である。このことについては本人にバレると嘆かれるか呆れられるか愛想を尽かされるかのどれか、もしくはその全ての未来しか思い浮かばないため上手いこと黙秘しておきたいところだった。
ちなみに黙っておきたい本人は目の前で何やら呆れ顔を見せている。出会った当初よりは表情豊かになってきた気がするなあ、とはロジェの弁でありこのこともやはり誰にも言うつもりはない。願望扱いされるのが怖いからとかそういう理由では決してない。
「どれがどれだかはわかるだろう?」
ロジェの思惑というか思考というかはよそにして、彼は自分の手持ちの霊玉をテーブルの上に並べてそう問い掛けた。
彼の普段使っている霊玉である。そのうちの三つは、確か治癒の術を使う助けになるのだと言っていた。
実際こうして並べられると、なるほど、治癒のために消費される水マナを引き寄せるものが多いことが分かった。理屈でなく、感覚でそれを感じ取る。清澄なる流れが、霊玉の煌きに惹かれるかのように涼やかだ。
だからロジェなりに確信を持って指さして、模範的生徒であろうと答えを示したのだが。
「水のやつと、水のやつと、水のやつ」
「………」
しかし返ってきたのは沈黙であった。
何か間違っただろうか。しかし実際そこにある霊玉は今この瞬間にも水を汲み取る様子を見せていて、自分の答えが正しいことに疑問は抱けなかった。
とはいえ事実として彼の表情は芳しくない。全く以て、芳しくないのである。
「……間違ってた……?」
「……いや」
何やら頭を押さえているようだが頭痛だろうか。
このやりとりと多分何らかの関係があるのだろうとは思ったが、というか発端というか原因は大体自分な気がするが、間違ってないと言っているのは彼本人なので何が悪いのか分からない。
しかし妙に疲れた様子であるのが実に気がかりなところである。自分が気にしていいところかは知らない。
「旦那?」
「もう一度聞くが、これが何の霊玉かはわかるか?」
「? 水を引き寄せてるのは見えるけど」
それは間違ってないと先程言われたばかりだった。
今は何の精霊力の干渉も受けていないその霊玉は穏やかで清らな清流を惹き付けているが、心を慰むるこの涼やかさも使い方次第ではひとを蝕む力に成りうるのである。
ロジェ自身そのタイプだから、この霊玉は、寄せられるマナは彼に使ってもらえて幸せだなあ、流れをそのままにひとを癒すものへと変われるんだから、とこの場には関係のないことを思ったりした。
その彼本人はもっと他の問題を抱えているようで、もう一つ他の霊玉を指差しロジェに示してみせた。
「これは」
「土。……の、さっきのとは、逆? 流れを断つみたいな……」
「なるほどな……」
呟く声はどうにも重いように思えた。というかはっきりと動作として、頭を抱えているように見える。
おかしいなあ、と思って、示された霊玉を両手で抱え上げる。
掌から伝わる重さは質量以上のそれだけれど、それは巡り芽吹く地の滞留を弾くためにこの霊玉が秘めている力であると理解できた。時にひとの身を縛るその干渉を断ち切るための霊玉。
だからロジェは先のように答えたし、その答えに疑問も不安も持っていないのだけれど、目の前の彼に頭を抱えられてしまってはどうしようもないのであった。
とはいえこのままでは埒が明かないので同じ問いを繰り返す。
「……旦那、オレ、なんか間違ってた?」
「いや、間違ってはいないが……及第でもないというところだな……」
駄目だったらしい。
「……だめかー」
霊玉に沿わせた指先で、土マナを軽い術式に転換してみせる。すると霊玉がそれを断ち切り消散させられるのが分かる。
やはり間違っていないというのは確かなのだった。それは彼本人も認めるところだ。
だが及第でもないという。何が足りないというのだろう。
「土の干渉を弾かれる感じはするんだけど」
「印象だけではよく似た霊玉が数多い。例えばこれに似たものでは、麻痺を防ぐものなどがある」
なるほど、と思った。
ロジェ本人はこうして純粋な力を放つ術式を操るのが得意だが、逆にひとそのものに干渉を起こし、中を掻き回すような術式は得意でないし好まない。
しかしそうして身体の異常を起こす術式も、ロジェが感じ操り用いるのと同じマナを使うのだ。
結果、異常を防ぐ霊玉と純粋な力を断つ霊玉との、表面的な印象が似通ってしまう――と、そんなところか。
「お前に頼めれば助かると思ったのだがな……」
「……ごめん」
「いや、悪くはない」
その答えが意外で彼の顔を見遣った。
とはいえ当の本人は相変わらずというか、それほど特別なことを言ったつもりでもないようだった。
霊玉やメモを片付けて、どうしたものか、と考え込む様子。
なんとなくその横顔に諦観のような色を嗅ぎ取れる。
「旦那、どうかするの?」
「どうもしない。仕方ない」
「?」
「手間と時間はかかるが、協会に発注するとしよう」
「発注」
発注する。
そういう手段もあるのか、と今更ながらに思って、そういえばと重ねて今更の疑問が頭に浮かんだ。
「オレに頼めた場合は、発注しないでどうするつもりだったの?」
「マーケットに出品されているものから見繕ってもらおうと思っていたな」
マーケット。
精霊協会が正規で開き、冒険者が物品とGPのやり取りをする市のことだったか。
興味はあったものの霊玉に詳しくない自覚のあるロジェである。今のところの関わりとしては、はまだ自分の磨いた霊玉を売りに出してみた、という一つの体験くらいで、買う側に回ったことは一度もなかった。
ちなみに売った時はそれなりの値で売れたので個人的には結構嬉しかった。ら、後に彼の磨いた霊玉が更に高値で売れていたので感心したものである。
彼に言わせれば当たり前のことなのだろうが。
「……旦那は行かないの?」
「人混みに入るかと思うとな……」
げんなりとした様子である。そういえば彼はひとの目が苦手だったか。
それも仕方のないことだと思うけれど、ひとりでなければなんとかなるのではないか、これだって仕事の下準備なのだから、とそう思って提案してみることにしたのだけれど。
「大丈夫だよ、なんならオレ一緒に行くし」
「………」
「……一度教えてもらったら、一人でもやれるようになるかもとは思うんだけど」
珍しく――いや、よく考えたら珍しくもなかったかもしれない――全身から拒否の様相が見て取れた、ような気がする。無言の拒絶。
元々色彩の暗い彼が更に何やら暗いオーラを纏っているようで、何やら妙に近寄り難い。
しかも沈黙というか空気がやけに重くて、この重さを破ってもいいのかどうか疑問に思うけれど、しかし破らないわけにいかないのであった。
どう考えてもこの状態の彼が口を開くはずがないのだから。
「だ、だめ? やだ?」
「行きたくない」
そっぽ向かれた。
「……そっかぁ」
そこまで嫌がられるのならば自分にはどうしようもないことであった。
しかし協会に発注するとなると手間と時間がかかるらしく、その手間と時間は彼が請け負うものであるのだから、それはロジェの本意ではない。
自分がこの様では任せられないというのには十分過ぎる程に納得がいくのだが、そのせいで毎回彼に余計な面倒をかけてしまうのは納得がいかないというかなんというかなので、
「じゃあオレ一人で行ってみるよ」
「!?」
あれなんか今やたら驚かれた気がする。
基本的に静かな印象の彼がこうして驚きを露わにするのは今度こそ本当に珍しく、なんだか得したような気分にロジェの方はなっていたのだが勿論彼の方はそんなことはないわけで。
「待て…待て」
「なんとなく分かるし、いざとなったら売ってるひとに聞けばなんとかなるかなって」
だから大丈夫任せてよ頑張るから。とまでは流石に言わないでおく。
なんか重いし。なんか子どもっぽいし。
相手のほうと言うと訝しげというか探るようというかそんな様子、なのだろうか、ああこれは心配か。何をまたそんなに心配されているんだろう。精霊協会の正規のマーケットなのだし、最悪ぼったくられることはあっても品を偽られるようなことはないと思うのだが。
そもそもとしてどうしてこんなに彼が動揺しているというか慌てているのかがロジェには不思議であった。自分がマーケットに引っぱり出されるよりは余程マシではないか。
「……本当に大丈夫か」
「いや、そりゃ、旦那がいた方が安心するけど」
選別には自信がないのでこれは紛れも無い本音だ。
「旦那、行きたくないんだろ」
なら自分が一人で行くのが一番良い筈だった。
なぜか黙られたが。なにか悪いことでも言っただろうか、いまいち不可解である。
「頼まれるチャンス無駄にしたくないしねー」
だから大船に乗ったつもりで、というのは恐らく言い過ぎであった。
それは彼も思うところだったのか、さらにたっぷり長い長い沈黙の後に、
「……頼んだ」
「はーい」
ぼそり、小さく、一言。
それがロジェにとってはたまらなく嬉しいのだけれど、彼にとっては飛び立つ雛を見送る親の気分みたいなそういうアレなのかなあとかなんとなく勝手に思ってしまったりするので、その不安を払拭するためにも任された仕事は頑張りたいなあと、そんな風にも思うわけです。