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14.冀うなら


 今日もハイデルベルクの街を巡る。
 既に十分歩き慣れて来てもいい頃に思えるが――存外に、この都市は、広い。
 様々なひとが様々な意図を持って行き交い蠢き、それは未だロジェには計り知れない。
 こうして石畳を降りる靴の足音が、懐かしいような、初めて聞いたような、既視感と未視感の綯い交ぜになったような感覚を呼び起こさせて、けれどきっと、それらは全てが錯覚なのだ。

 ようこそ。
 あなたの知っている/知らないこの街へ、ようこそ。
 そしておかえりなさい。
 おかえりなさい、Roger De Charette.



 城壁の外へと降りるのは久しぶりだった。
 このあたりは寂れていて薄暗い。吹く風は埃っぽく汚れて、草臥れたひとの座り込んで俯く姿や、地面に転がる塵芥が目に映る。
 そしてその中で、自分の姿はよく目立った。
 目立つことが恐ろしい訳ではない。それでも溶け込めないという事実は一長一短に響く。
 昔はその秤をメリットの側に傾けていたものだったけれど、今はもう、そういう訳にもいかなくて。

 それでも誘われるようにその場所へと足を踏み入れたのは懐古に駆られたからか、それとも予感に誘われたからか。
 感覚のままに生きる自分に、その答えが示される日は、きっと来ないのだろう。

「……旦那?」
「……ロジェ?」

 そうして訪れた先で彼と鉢合わせたのは、初めて彼と出会ったその日と同じ――偶然以外の何物でもない。



「……あんな場所を散歩するものなのか」

 宿探しの最中でもあったのだろうか、鉢合せた宿先での立ち話は目立つからと、人気のない路地裏へと連れてこられて彼の開口一番がそれである。
 彼が訝しむのも仕方のない話だと思う。常のジャケットや腰布の鮮やかな色彩は避けているにせよ、それでも彼が即座に見出す程度には、やはり自分の姿は浮いていたのだろうから。
 実際このようなところに降りることはそうそうあることでなく、けれどそのあたりの事情を説明するのも面倒だから、まあ、と適当に言葉を濁してしまったのだけれど。

「目立つだろうに」
「……それはまあ、昔からだし」

 どこにいたって浮いていた。
 半妖だからと希少価値を問われ、半妖だからと混血を蔑まれ、明るい髪の色はひとの目を引いて、瞳や顔立ちを買われて金銭へと替えて。
 自分を忌まわしめるものを、自分の命を繋ぐものとして。

「……誰かの目に留まらないと、どうにもならなかったから」

 それを仕方のないものだと思って、それを身を立てるものとして、そうして生きる以外の術を知らなかったから。
 望みもしないのに引きずり出されて胸を張れと強要されれば、その分誰かに睨まれることが恐ろしくて、注がれる視線の中で身を縮めていたものだったけれど、震えるばかりでは生きられなかったから。
 踏み躙られて嗤われて、涙を落とすのではなく。
 踏み躙らせて嗤わせて、笑みを返さねばならなかった。

 この地域に吹く乾いた風の埃の臭いが、遠い、そう遠くもない日々のことを、否応がなしに思い出させる。
 囁く声は常に耳元に。
 愛して欲しいと願ったひとは、いつだって、遥か彼方に。

「旦那はどうして? オレと違って、散歩ってわけでもないだろ」
「宿探しだ」

 自分ばかりが問われていては仕方がないとそう問うたら、返ってきたのはシンプルな答えだ。
 宿から出てきたのならそうなのだろうと半ば予測はしていたけれど、

「……宿? ここで?」
「ああ」
「いつもこんなとこで寝泊まりしてんの?」
「昨夜の宿が混雑していてな」
「そこも多分大差ないトコだよね?」
「そうだな。もう慣れたが」
「慣れ……」

 正直信じたくなかったと言うべきか、納得が行かなかったというべきか。
 だってどう考えたって危ないだろう。彼は専ら癒し手で、自分一人で戦う手段を持たないというのに、こんな、いつ誰が暴漢と化すか分からないような場所で、ろくに個室が与えられるかも、与えられたとて鍵があるかも分からない場所で。
 精霊協会の会員証があれば最低限の宿は保証されるだろうに、それを遥かに下回るような劣悪な環境で。

「危なくないの?」
「身から離しさえしなければ盗まれることもないし、このなりを見て狙おうと思うものもいないのだろう」

 そういう問題じゃない。
 逆に一度でも目を付けられてしまえばどうしようもないという事だろうし、こんな場所で、誰がいつ、どんな拍子に、どんな人間に狙いを定めるかなど、そうそう予測できたものでもないのに。
 限界があるだろうと問えば押し黙られて、危ないんだろうと、それ見たことかと問責を重ねる。

「否定はできないな」

 だからあっさり認められて少し鼻白んだ。

「……旦那のこと、オレがどうこう言う権利は、そりゃないけど。旦那に、預けてるものとか、色々あるし――ううん、それ以前に」

 どこまで行ったって、仕事で組んでいるだけの関係にすぎない。
 でもこうして彼に吐く科白にそういった理由や建前は添えたくなかった。

「なんかあったら、やだよ」
「……二十年ほども同じ暮らしをしてきたからな。身に染み付いているんだ」
「でも、もう冒険者になったんだし、そんな必要はないじゃんか。二十年もやってきたことじゃないけど、オレだって――」


「……息が詰まるんだよ」


 その言葉に、自分の息こそ止まるかと思えた。

「私がいるべき場所ではない。そう感じずにはいられない」
「――いる、べき」
「食事時にも顔を見せない客など、気味の悪いものでしかない。互いに気を揉むくらいなら、私が私にふさわしい場所で落ち着いていればいい」

 反駁のしようもない。
 望まぬ場に引き摺り出される苦痛を自分はこのひとに語らせたのだ。
 否。語らせただけではなく、今ここで、強要している。
 それが彼の良かれであると、何より自らに思わしい状態であるからと。

「……オレは、そんな風に、気味悪がったりは、しない」
「ああ、お前はしないのだろう。知っている」

 自分を押し付けるだけの力無い言霊を、乾いた喉で、ただ零す。
 それは彼の安堵に繋がらない。そんなことは分かっている。

 だのに、返る声が、ひどく優しい。

「……しないよ。しない、から、……だから――」

 続きが紡げない。

 それがなんだと言うのだ。自分が何を言い募ったところで、他者の彼を見る目が変わる訳がない。ただそれだけを寄す処に振る舞えるほど、彼と自分の繋がりは深くない。
 何が変わるでもない言葉を、何故無為に吐くことができようか。
 これ以上耳障りを重ねたくなくて、震える唇を噛んで、物言わずただ俯いた。

「お前が私を気味悪く思わないことは知っているよ。そのことに私は救われている」

 彼の声は穏やかだった。
 身勝手な要求を突き付けた自分に対しても、尚。

「私はお前を風変わりだと思う。私を疎まないこともそうだし、度胸があるようにみえて、些細な事に怯えて見せる」

 こんな事は何も些細ではない。
 空回りの善意でひとを掻き乱して心を殺す愚を自分は身を以て知っていた筈なのに。
 それすらも忘れて、彼を踏み荒らさんとした自ら以上に、恐ろしいものなど何処にあるというのだ。

 あの日のあなたの真意は知らぬまま、飛び立つ背中を見送るしかなかった理由は、きっと。

「お前がどうしてそうなのか、何を思い、何を感じ取っているのかは、だから私にはわからないのだろう。それでも私は、少なくともわかろうとするよ」

 頭の中を遠ざかる声と、傍にある筈の柔らかい声が重なって、あなたまでもが去ってしまうのではないかと思う。
 迂闊に手を伸ばせばすり抜けて、くだらない幻想を嘲笑われるのではないかと、疑問を抱いてしまう。

「……だって、旦那は、やなんだろ」
「何を嫌がると思う?」
「こういうとこ以外で、生きるのが」
「……それは随分と、飛躍されたな」

 恐る恐る落とす呟きに、返る声に、その優しさがまだ傍に在ることを確認して、馬鹿みたいに安堵した。

「オレは旦那がこういうとこに一人でいるの怖いしやだけど、でも旦那はそうじゃないのがやでさ。それなら、引きずり出していいものじゃないじゃん」

 嫌だった。嫌で嫌でたまらなかった。
 自分は確かにその在り方に憧れていたけれど、そう在るために育てられていたひとは他にいて、そのひとの方が余程相応しかった。
 あなたを見て彼らを見て、その様に見惚れていたかった。
 覚悟すら持ち合わせず、無力で穢れた自分には、その程度が関の山だったのに。

「そういう風に――勝手に、オレが安心するために、引っ張って来ていいものじゃないじゃん」

 どうして、そんな風に、望まれてしまったのですか。
 俯いた顔は起こせないまま。彼の顔など、見られぬまま。

「……本当に、奇妙な遠慮をする」
「だって、旦那、いるべき場所じゃないって」
「ああ、思うよ」

 じゃあ駄目だと首を振る。不恰好に、喉が鳴る。

「……私は、お前の考えを間違っているとも思わない。お前は正しいよ。間違っているわけじゃない」
「でも、正しさを笠には着れない。……そんなのは、オレが嫌で」

 そんなのは自分が嫌だった。強要してひとを引き摺り出すのに、正論を使われてしまったならば逃げる術がない。逃げられないのなら、もう、悲嘆に耐えて生きるしかなかったのに。
 であれば彼の望みを受け入れればいいのに心はそれを拒否して泣き叫ぶ。

 離れたくない、何か起きたらどうする、少しでも安全なところに、お願いだから。

 うるさく泣き喚かれて眩暈がして、額を押さえて膝をつく。
 やだよ、と零した声が、彼に届かなければいいと思った。


「……どうして私のような不出来なものに関わってしまったのやら」

「私がろくなものでさえあれば、お前はそんな風に気を病むこともなかっただろうに」


 違うと幾度と無く首を振って、張り付いた喉では言葉など吐けないのだと改めて思い知る。

「違いやしない」
「……違わ、なくても、オレが――オレじゃ、なければ」
「お前の他に、私と組もうなどという物好きがいたか? お前の優しさにどうこたえてやったものかわからない、私が愚かなんだよ」

 違うのだ。あなたにそんなことを言わせたい訳ではない。
 あなたを困らせてしまっているのは全て自分が、一方的に、我儘に過ぎなくて、なのに。

「私もただのわがままでしかないのだろうよ。人間など、ひとなど、わがままなものだ」
「……っ、じゃあ」

 どうしよう、と声音は息に紛れる。
 どうしたらいいんだと答えを求めて、呼吸すらうまく出来なくて、みっともなく喘ぐ。

「言ってしまえ。言わないままにするから息が詰まる。……私も、だな」

 そうして道を示して貰っても、空気は上手く喉を通らないままで。
 頭の中はぐちゃぐちゃで、我儘なんて、今更なにを言えばいいかも分からなくて。
 困らせてしまうだとか押し付けだとか、嫌がられるだとか、遠くに行ってしまうだとか、そういった全ての恐れに心を涸らせて。


「ひとりは、やだよお――」


 傍にいてください。
 優しくしてください、褒めてください、愛してください。
 そんなことまでは許されなくても、どうか、どうか、どうか。


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