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15.何もない街で


 吹き付ける風は凍えるほどで、白い息が流れて散った。
 塵溜めみたいな街にでも、平等に冬は訪れる。
 この街の汚れを全て覆い隠すかのように、しんしんと、雪が降り積もる。



「……ただいま」

 一応の呼び掛けに返事はなかった。
 時刻は既に遅い。既に眠ってしまっているか、もしくは外泊しているかのどちらかだろうと見当をつけ家へ上がり込む。
 ――上がり込む、という表現もそう適切ではないか。元よりこの家は自分の家である。
 どうしても遠出が多い自分の方がこの家にいる時間は少ないのかもしれないが――自分が外出している間、彼がどういう過ごし方をしているかなどは知ったことではないのであり。どちらにせよ家主が自分である事実は揺らがないのだから、悠々とそこにあぐらをかく気でいる。
 吹き込む風が冷たい。
 今回の依頼は上手くいかなかった、彼が眠ってしまっているのなら起こしてしまうのはよくないし、いないのならいないでさっさと眠ってしまおう。どうにも八つ当たりしたい気分だけれど寝ている相手を起こしてまで当たるつもりはなし、いない相手に当たることはできないのだし、と溜息を付いたところで、

「おかえり!」

 ……背後の彼に気付かなかったのは、くだらない思索に耽っていたせいであると思いたい。
 相変わらずの明るいというか軽い声音、伸べられた腕に抱き締められ、感じたのは人肌の温かさと。

「っ、お前は、またいきなり……」

 文句の一つでも言ってやろうと振り返れば思ったよりも至近距離で目が合って、金色の長い睫毛がぱちりと瞬きに揺れた。
 小首を傾げる様子があざとくて、嬉しげにきらきら光る紅玉が妙に眩しくてやはり腹が立つ。腕を振り解く。何事か問おうとでもしたのか開かれた口に指を突っ込む。
 生温かくて柔らかい。

「――んむ!?」

 流石に予想外だったか、目を白黒させこちらを見返してくる。
 知ったことかと肩を掴み、指の腹で舌を押さえて、更に侵入させた親指で歯茎を撫でる。無遠慮に探られて肩と舌とが揺れるが、歯を立ててはいけないとひたすらに眉を寄せて耐えている。
 好き勝手に弄られるわ唾液は飲み込めないわこちらの意図は読めないわで混乱の極みだろうが、その健気さは評価してやりたい。
 かといって手を止めたりはしないのだが。冷えていた指が温められ、ぬるりと柔らかな舌の感触。
 中々に心地好くて癖になりそうだった。

「ん、ぃ――っ」

 調子に乗って奥を追い過ぎたか、一際大きく肩が跳ねる。戸惑い程度に顰められていた表情に僅か苦悶の色が混ざり、流石にまずいかと手を引いた。
 唇から指先へ銀糸が引かれ、咳の音と共に断ち切られる。
 けほけほと数度咳き込む彼の頭をもう一方の手で撫でてやった。細く柔らかく、手触りの良い金髪。

「な、なにすっ」
「いや、つい。なんか腹が立って」
「なんで!?」

 理解できないと全身で表現する彼に軽く掌を振り、唾液に濡れた指を舐め取る。
 その様子に何か感じ入るところでもあったのか、う、と口を噤んでしまったが、その様も愛らしいものだとどこか冷めた頭で考えていた。

「ま、おかえり、ロジャー。仕事帰りだろう、相手は男か? お疲れ様」
「あ、うん」

 こくり頷いてそんな大変じゃなかったけど、口で済んだし、等とあっけらかんと返してからそうじゃなくて、と肩を怒らせる。
 表面上感情表現が素直で豊かなこの同居人は、その動作を見ていて飽きないし楽しい。先程のようにからかってやりたくなるのも仕方ない話だ。
 よしよしと繰り返し頭を撫でてやればその分嬉しげに笑って、そうしてこちらを見上げて、

「おかえり、シンディ!」

 目を輝かせて今更ながらに出迎えの言葉を口にする様は、愛玩用としては上々に思われた。



「大事は無いようで良かったよ。また押し入られてたりしたらどうしようかと」
「う……」

 久しぶりに足を踏み入れた室内は、綺麗に整理整頓されているとまでは言い難いものの、一応の秩序を保っていた。
 荷物を下ろして一息ついたあたりで、声を掛けたなら分かりやすく身を縮められる。
 以前私の不在時に自分の不手際で家を荒らされたことを未だに大層気にしているらしい。全く気にしない可愛げのない性格だったらとっくの昔に叩き出しているが。
 それを分かった上で度々口にするのも意地の悪いことだと自覚はしているが、嫌気を差して出ていくのならばそれまでの話だった。
 元より自分とこの少年に、深い縁はないのだから。

「あれからちゃんと気をつけてるよ。あれはなんか……慣れてきたと思った矢先っていうか、うっかりしてたっていうか……」
「はいはい」
「ううー」

 ぼそぼそと言い訳を述べる彼を三度撫でてやれば、不満気な声を漏らしながらも表情は満更でもない。
 こういったスキンシップの度に顔を綻ばせる様を見るにつけ、成程男娼という仕事は彼にはそれなりに向いているのだろう、と感じさせられる。
 愛嬌で人を誘い込むその様の半分くらいは天性のそれではないだろうかと勝手に思うのである。室内でも寒いと言って上衣を脱がないのも意識的か無意識なのか計り知れないが、少なくとも、温もりに安らぎを感じているのは間違いないようだから。
 ただ寒いから、人肌が欲しいからと頻りに傍に擦り寄られるのには少し辟易としているが。

「それにしてもシンディ今回長かったね、大丈夫だった?」
「……あー」
「?」

 問いかける少年は相も変わらず無邪気である。含みも何もありはしない。

「ぼちぼち……と言いたいところだけど、あんまり良くないかな。ちょっとトラブってね」
「ありゃ。どうかしたの?」
「んー。言いづらい事だけど」

 肩を竦め、両掌を軽く挙げてみせる。

「シクった。報酬ゼロ」
「マジで?」
「マジで」

 あちゃー、などと瞬きを繰り返す彼だが落胆した様子はそこまでない。
 実際のところ彼は彼自身で稼ぎを上げており、基本的にはこちらの収入を頼るつもりはない。それはこちらも同様だ。
 どちらが言い出すでもなく暗黙の了解としてお互いが取ったスタンスだったが双方収入の安定しない仕事である、片方が困窮した際には割とあっさり破られる。
 例えば、こういう時とか。

「ってことなんで、暫く頼るよ。ごめんね」
「いや、それは別にいいんだけど」

 勢い良く首を振って否定してから、案ずるような視線をやって。

「……ってことは、結構すぐ、また行っちゃう?」

 少年の心配するところはそこらしい。
 この荒れ果てた街――ニヒツブルクから、精霊協会のお膝元であるハイデルベルクには相当の距離がある。加えて表向き外との交易が活発でないこの街だ。
 奇矯な行商が一人、時たま気紛れに訪れるのに同行するか、若しくは遠くても途中の交易中継都市まで自ら足を運び、そこでどうにか同行者を見つけるか――というのが、私の出稼ぎの際の交通手段となっている。
 しかし、このように任務だけでなく行き来に時間を食っているため、家を空ける期間は必竟長くなる。それに見合う分は稼いできているつもりなのだが――今回はパアである。

 故に帰ってきた私がすぐにここを出てしまうことを、恐らく彼は気にしているのだろう。
 とはいえ年明けをすぐに控えており、暫くハイデルベルクくんだりまで仕事を探しに行く気にはならないし、何より――

「ま、暫くロジャーを頼れんなら、無理にすぐ出たりはしな――」
「! やったあ!」

 抱き着かれて身体が傾ぐ。と同時に脇腹が痛む。
 頬を擦り寄せて来る有頂天の横顔を掴んで、目を丸くする様子に、また指を突っ込んでやろうかと余程思った。

「……あのなあ、ちょっと聞け」
「何?」
「シクったって言っただろ」
「うん」

 待てを覚えた犬さながら、掴まれた体勢で静止している点は評価してやりたい。
 こくこくと言われるままに頷いて、それがどうかしたのかとでも言わんばかりの彼だが、こうスキンシップ過多の相手に隠そうとした自分が悪かったのだと納得しておく。
 いや、実際、悪かった。隠し通せるわけがなかった。

「怪我した。暫く休む。ので離れろ」
「あう!?」

 引き剥がして床に転がす。
 最近上背が伸びてきたとはいえ身体そのものはまだまだ薄い、あっさり足元に伏して顔を上げて、えっ、と。

「怪我!?」
「そ。だから引っ付かれると痛いの」
「え、大丈夫なの、怪我って痛いって」
「大丈夫だから帰ってきてるんだろ」
「でもでも」

 心配げに言い募るその様子はおろおろという形容がぴったりだ。いやあ微笑ましいものだと現実逃避気味の頭で考えて、またその頭に掌をやった。
 ぽすんと柔らかい感触。少し首を縮めてからこちらを見上げてくる。
 軽く髪を梳いてやりながら長い耳の先に触れる。妖精特有の綺麗な形には、ピアスがよく似合うだろうと思った。

「ま、本来だったら困るとこだったけどさ」
「……うん」
「暫く休んで療養に専念できるのはお前のお陰だよ。ありがとうね、ロジャー」
「んっ――」

 金髪を掻き分け耳元にキスしたならすぐ顔を離す。
 何か期待するような視線には、軽く笑ってぽんぽんと軽く頭を叩いてやって。

「てことで、暫くお預け」
「……うー」

 少しばかり淋しげな顔をされたが仕方ないことは本人も分かっているのだろう、いい子に頷いて引き下がった。

「シンディ、今日はもう寝る?」
「そうする。なんか疲れたし。お前は?」
「オレもそれでいいかなぁ――あ」

 そこで何か思い出したのか一度掌を打った少年は、室の隅に置いたバスケット――彼の私物のうち、細やかなものはそこに収められている――を何やら探り始める。
 何をしているか疑問に思ったが覗き込むのも野暮に思えて見守っていたのだが、目当てのものを見つけたのか振り返った彼の表情は、何やら期待に満ち満ちて。

「シンディシンディっ」
「はいはい、何?」

 出来る限り穏やかな声で問うた私の鼻先に、突き出されたのは小さな包装だ。
 片掌に収まるくらいか、あまり質量も体積もなさそうなそれを、彼はさも大事そうに差し出して。

「クリスマスだから!」
「……あー」

 忘れていた。
 年越し前に来るイベントだったか。ハイデルベルクではよく祝われているようだったけれど、あくまで自分は仕事であの地に赴いていたから、そんな催し物に参加することもなかった。
 こちらに住むようになってからは、祝われているのを見ないわけではなかったが――少なくとも、自分自身は、めっきり縁遠くなっていたものだから。

 ニヒツブルク。
 何もない街で、一体何を祝えば良いというのか。

 少年の瞳は明らかに受け取ってもらえることを期待しており、自分の方にも拒否する理由はないのだが妙に落ち着かない。
 大体の原因はこちらからの返しの当てがないというその一言に尽きるが――かといって貰わない訳にもいかない。
 ワインレッドの小さな袋に金色のリボン、中々に上等なセンスである。さて、中身は。

「……ふむ」

 シルバーチェーンのアンクレット。
 飾り気のないシンプルなものだ。彼なりに私に似合うものを見繕った結果なのだろう。
 見れば反応を期待してか、少年はうずうずと目を輝かせて。

「ロジャー」
「なに?」
「真冬にこれはどうかと思うよ」
「えー」



 これは私と彼が出会ってから一年に満たない頃の話。
 降りしきる雨に身を浸され、寒気と熱に震える少年を私は拾ったのだった。

 少年はロジェと名乗り、私は彼をロジャーと呼んだ。


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