最後の一人を見送り息を吐いた、その瞬間だった。
「長かったな」
耳慣れた――耳慣れたくない声である。
振り返る。そう広くないバーの片隅、グラスを揺らす姿が目に入った。
「……もう看板なんだけど?」
「そうか。もっと強い酒はないのか」
「話聞いてんのかアンタは」
面白くもなさそうな顔でグラスを傾けて、面白くないのはこちらの方だ。
隣に置かれた瓶を見るにつけそもそもその酒はこの店で一番強いシロモノのはずだが、こいつは何を言っているんだ。
人の気も知らず舐めるように酒を含んで、こちらに視線を向けてくる。
勘繰るような値踏みするようなまるで遠慮のない赤琥珀。
「酷い顔をしているじゃないか」
「はぁ?」
相変わらずろくなコミュニケーションが成立しなくて頭が痛い。
一方で相手は勝手に愉快な表情、くつくつと喉を鳴らしてみせて。
「自分から汚物に顔を突っ込んでおいてその顔だろう。本当に酷い」
そうして指で叩いたカウンタテーブルの、その横に広げられた手紙。
「……汚物扱いはアンタのが酷いんじゃない?」
「はて」
グラスを煽って目を細める。
「貴様にとっては間違いなく汚物に他ならなかったろう。……そうでなければ、手も出さなかった」
「煩いなあ。アンタと違って殺さないだけマシでしょ」
「一概にそうとも言い切れまい」
重ねてやたらに上機嫌に嗤う。
『慟哭』惆悵歔欷。鏖殺の権化、息吹を消し潰し萌芽を踏み躙る悪趣味は、さもこちらの方が悪趣味だとでも言わんばかりに頭を振って。
「こういった手合いは、むしろ死んでしまった方が幸いなのではないか?」
もう一度指で手紙を叩く。
「なにせ、会いたがっている。送り届けてやる方が親切だ」
「シンプルでいいよねぇ、アンタは」
思わずため息が漏れる。一方でこれがそこまで単純な存在ではないことは知っていた。
『慟哭』などと。これの叫ぶ声など、一度たりとも聞いたことはない。
そうとして在るはずの存在が、その本質の片鱗すら窺わせないのは異常と言って差し支えない。
「貴様の方はシンプルでないと?」
「どうだろうねぇ。もうちょっとシンプルだったら、こうはなってないんじゃないの」
けらけら笑ってやる。
そうしてぽいと軽く、放り投げたそれはテーブルを転がり瓶に当たって止まった。
なにか弾くような軽い音。
手紙の上、銀のリングが鈍く光った。
「大切なものだってさ」
「……可哀想に」
「いいじゃん。どうせ気付かない」
忘れてしまったから。
肩を竦めれば咎めるように目を眇め、けれどそう責めるつもりもないのだろう。傷の這う指先がリングを拾い上げる。
「中を見てみなよ」
促されるまま覗き込んで、その認めた先にも大して感動した様子はない。
それがどうしたと視線で問われる。相変わらずの鉄面皮。
「何も見えなかった?」
「名前が。削られているが」
「そ。誰の名前だろうねぇ」
「私が知るか」
投げられる。自分は可哀想と評しておきながらこの扱い、全く大した神経である。
ぱしと空中で受け取ったなら、その内側を覗き込んだ。
××××× Cartlidge
「大した執着だなってオレは思うんだけど」
「子供の話だ。微笑ましく見てやればよかろう」
「あはは、寛容だねぇ」
掌で軽く弄ぶ。
放棄に逃亡、果てに置き去り。水鏡に揺れるその姿がこの上なく痛快で気分が悪い。
同時に不快感。胸に呼び起こされる嫌悪が、強烈な存在感を主張する。
「しかし、よく分かったね? 子供だなんて。実物見てたっけ」
「記憶にないな。……ただ」
グラスを煽る。
「そんな手紙を書くのは子供くらいだ」
断言。グラスの置かれる小気味いい音。
瓶をひとつ空けて満足したのか席を立つ。黒いコートが吹きもしない風にはためく。
長い前髪が影を落とす。
「そろそろ私は暇しよう。次はもう少し強い酒を用意しておけ」
「やだよ。あと金払え」
「この世界の通貨を知らん」
「殺すぞ」
「やるか?」
「絶対にごめんだ」
そこでつまらなさそうな顔をするな。
お前のような武闘派中の武闘派とやりあうなど考えただけで気が重くなる。
「ではな。――あまり悪趣味に興じすぎるな、『背信』」
「――殺戮狂にだけは言われたくないよ、『慟哭』」