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27.言い損ねたまま



 自分の選んだピアスはどうやら彼女のお気に召したようだった。
 それに少なからず安堵して、そのまま彼女にそれを買ってやる。満足そうな彼女に、他に欲しいものはないか、と、気安く問うてみせたのだけれど。

「他に? んー、それじゃさ」

 手を引かれてネックレスのコーナーへと連れて行かれる。
 最初は自分の欲しいものもよくわからないようだったが、欲が出たのだろうか。本人が自分の欲しいものを把握できているのならばそれに越したことはないのだから、喜ばしいことではあるのだが。
 セレンの様子を眺め見ていると、彼女の耳に光るのと同じチャームのネックレスを探し出していた。セットで付けたいのか、そう問い掛ける前に胸元に押し付けられる。

「……どうしたの」
「なんかさ、ロジェの胸がどうにも寂しい気がしてさ」

 つけてみたらどうだと。自分が買ってやるからと、彼女はそう言って自分を見上げた。

「……別に、いいかな」
「なんでさ?」
「なんか、しっくり来ないなって」

 胸元を飾るモノとしては、それは、どうにも。特段深い意味はないのだけれど。
 彼女は何が気に入らないのかそのネックレスを睨みつけて、それじゃあ、ともう一つ見繕ったルビーのネックレスを突き付けて、こっちならどうだと。

「ロジェらしい色だし、さっきのより似合うと思うんだけど」
「んー。……多分あんまり、そういう、ネックレスが得意じゃないんじゃないかな? 首輪付けられてるみたいな気分になるからさ」
「ははん、まさかあの狼男じゃあるまいし」

 窮屈なんだと訴える自分を、彼女は軽く笑い飛ばして。

「あたしが似合うと言ったら、それは似合うのさ!」

 その自信がどこから来るのやら。
 相変わらず、少しばかりの眩しさと。

「んー……でも、やっぱりだめかな。――ごめんね」

 店員を呼びつけようとする彼女の手元からそれを攫う。何事か訝しげな表情の店員に一言謝ると、彼女の手を引いて店の外へと出た。
 このままここにいても、ろくなことにならないと思ったから。

「あーもう! 無理やり連れ出して! せっかく買ってやろうとしたのにさー!」
「……どうせなら、ちゃんと付けてくれるひとの手に渡るべきだよ」

 案の定セレンは不満気である。
 それも当たり前か。彼女にしてみれば折角の好意をふいにされたのに等しい。
 怒らない方がおかしいというものだ。

 ――けれど、それは駄目だった。
 理屈は分からないけれど。理由も思い出せないけれど。
 それは駄目だと、だれかが言っている。

 大切なものはなんだったろうか。



「……それじゃさ」

 改めてセレンが差し出したのは青い髪飾り。彼女がいつもつけているものと同じ。
 かちりと玉が合わさり鳴った。

「これ、あげるよ。仕事の時とか、結んでるんでしょ、髪」
「……なんでわざわざ」
「別に。ロジェの髪なら、これも映えるんじゃないかって、思ったから、それだけ」

 流石に拒否する理由もない。ありがと、と些か気のなさすぎる返事は警鐘に近い。誰へのなど知れている。
 なのにセレンは物怖じする様子もなく近づいて。

「付けてあげよっか?」
「んー……別にいいよ。大丈夫」
「別に遠慮することないのにさ」

 物怖じどころか普段以上に押しが強い。
 こちらの返事を待たず背後に回り込もうとするものだから、流石に不審に思って彼女を振り向く。
 見下ろす。

「……何をそんなに拘ってるの?」

 少しばかり脈略のない、しかしこれで十分だろう。問いを投げる。
 案の定通じるべきは彼女に通じたようで、不満気な様子を隠しもせずに口を尖らせていた。
 だってさ、って。

「あたしが何かしてあげようとすると、全部止めようとするじゃん。ネックレスの時もそうだったしさ」
「……そう?」
「なんかさ、ずっと、あたしが踏み込んじゃいけない領域を作ってるみたいで――」
「あったらダメなの?」

 誰にだってあるものだと思う。
 踏み込んではならぬ領域。踏み荒らされたくない領域。
 尊いものとして抱え眠り沈みゆくためのそこ。
 大切なもの。

「……気に食わない」

 唸るような声音。
 甘い色など全くありもせで、噛み付くように近付けられる顔を、その唇を掌で留める。
 柔らかな感触。柔らかさのない雰囲気。

「……」
「……なんで止めるのさ」
「……何がしたいのか、よく分かんないからさ」

 さっきから。
 この距離の詰め方は些か乱暴に過ぎる。
 探ることも線引きも全部無視して、なにか必要以上に焦るような。
 こんなんじゃ落とし穴があったって気付けやしない。

 そういうものを沢山作っているのが自分で、このままでは溺れてしまいそうなのに。
 呼吸をする暇を与えて欲しい。
 気を抜けば堕ちてしまいそうなのだから。どうしようもない形で腐り落ちてしまいそうなのだから。

「付き合ってるんでしょ、あたしたち」
「……」

 分水嶺。
 二度と振れぬ秤の上、釣り合わないその中で、
 どうせなら、手遅れになる前に手放して。

「――何もしなかったとしても、俺ならそいつと一緒にいられなくなる気がする」

 二人沈むことを誰が望むだろうか。

「――そうだっけ」

 そう吐いた言葉がどう響くかなんて、きっと自分には一生わからない。



 だから彼女のことばもわからない。

「そうだよ。……だから、あの時だってキスしたんでしょ」
「……恋人になることはそういうことだって、それだけだよ」
「そういうことをしたから、付き合うことを了承したんじゃないの?」

 教えてやっただけみたいに笑って空虚に突き放して、ならもうこんなところにいなくていいのに。
 諦めろって離れてしまえと、これ以上刃を鋭くすることなんて叶いそうもないのに。

「あたしだって、ああいうことしたのは初めてだったけど……それくらい分かるさ」

 食い下がる必要などどこにもないのに。

「……オレは、よく分かんないかな」



「ロジェが、何を言いたいのかまだ分からないけどさ。――もう少し、あたしの方も見なよ」

 そうして重なる唇を、瞼を伏せて受け入れたのは、意地なのか皮肉なのか、ただ目を逸らしただけだったのか。



 体温が近い。抱きすくめられている。力は決して強くない。
 ただ傍にある。

「……どうしたのさ、セレン。いきなり」

 なんかおかしいよ、って、最早なんかで済むところではない。
 これだけ離しているんだからもう離れてしまえばよいのに。
 温もりの意味すら分からなくて気持ち悪い。

 心地良い。

「別に、なんでもない。――ただ、あたしは別にロジェのこと、置いてったり、しないのに」

 それが駄目だと手放すのに。

「全然あたしのこと、見ようとしないんだもん」

 見てしまえば手放せないのに。

「……恋人でもないのに?」
「……ロジェは、なりたくないってこと?」
「なりたいもなりたくもないかな。……やっぱり、そういうのは暫くいいかなって思って」

 恋人。
 そういう響きはもう分からないのだと、大切なものを留めおく。
 ただただ遠い。そして尊い。
 戻らない。

「こういうことは、割と誰とでもするからさ」

 肩にかけた掌から伝わる体温を、ひとの温もりを、突き飛ばしてしまうのが正しいのだろうか。


「――勘違いさせちゃったなら、ごめんね」


 その言葉が突き飛ばすに値しただろうか。
 それすらもう分からなくて、震える瞳を眺めていた。

 ごめんねきらいじゃないよいかないでって、そういう全ては透明な言の葉のまま、零れ落ちたって届かなくていい。
 なんて言ったのなんて問い返されても、口にしてしまう必要なんてない。
 なんでもないよと首を振って、笑ってしまえばいい。

「……あたしだってさ」

 聞くな。

「よーやく――……一人じゃなくなると、思ったんだけどな」

 聞くな。聞くな。聞くな。聞くな。
 いずれ共にいられぬなら手を伸ばすな、叶わぬ未来を果てを願うな。
 ほら相応しくないって、手招く掌は下げたまま、違えて笑ってもう二度と。

 二度と叶わぬその最果てを、お前は既に知っているだろう。



 首を振る。全て振り払う。

「大丈夫だよ。協会には色んなひと、いるだろ。いいひとなら、沢山いるだろうから」
「だから、なにさ?」
「……オレなんか、ろくでもないだろ」

 詰問の声が硬い。当たり前か。
 いい加減見放してくれてもいい頃なのに、どうやら許してくれないようだ。

「……そーだね。ろくでなしだと思うよ」

 じゃあ、とセレンを見遣って、それでもまだ隣にいる。

「でも、あったかいから。……あたしは、ロジェの傍でいい」


「……さっき言ったの、忘れたのかよ」
「誰とでも、するって言うんでしょ?」
「ん。……特別でもなんでもないよ」
「はんっ。好きに、すれば良いじゃん。あたしだって、好きにやるからさ」


「……そっか」

 まずいと思った。
 折れかけている。
 放すべき掌が既に。
 突き放す力も失って、掴まれてしまっている。

「でもさ」

 そんなことに頓着して、頬に走った衝撃で目覚めさせられたという訳でもない。
 じん、と熱い頬は夢みたいで、見下ろした先視線が合えば、燃え上がる緋色がこちらを見据えて。
 なのに酷く濁っているのは、きっと映っているのが自分だからだ。

「……痛かった?」
「……」

 頬を撫でる。遅れてやってきた不思議な感覚。
 これが痛みだっただろうかと、問うても答えは帰ってこない。

「……よく、わかんねぇや」
「でも、感じたでしょ。あたしが、ちゃんとここに居るってさ」

 それだけちゃんと覚えといてよね。
 そう宣言してみせる彼女は、自分の方こそ痛そうに掌を振っていた。

「……気には留めておくよ」
「ふん。……火傷痕を残さなかっただけ、ありがたく思ってよね」

 俯く彼女の頬に雫が光って、それを見てぼんやり、馬鹿だなあと思う。
 離れてしまえば痛いことなんてないのに。
 傍にいればこんなにも温かいのに。

「……あはは」

 どうせなら、火傷痕も何も残らないくらいに焼き捨ててくれればよかった。
 そうしてそこへ向かえるなら。
 あなたのもとへ眠れるなら。

 怪訝そうに顔を上げた泣き顔に返したのは相変わらず笑みで、なんでもないよって首を振って笑った。
 ばかロジェがって吐き捨てられたけど、馬鹿なのは疾うの昔に知っていて、だからほら、ずっとこうして伝えてた筈なのに。

 なんで見捨ててくれないかなあ。



 ここでさよならを言い損ねたのだから、きっと最後まで言えないままだ。
 それが後悔になるのかどうか今の自分には分からなくて、できればそうならなければいいなあって、そんなことを密かに祈ってみたりしていた。


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