3.諦めること

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「………」

 精霊協会の冒険者になって、旦那と会って初めての戦闘。
 それほど苦戦させられることなく片付けられたという印象ではあったが、どうにこうにも、引っ掛かるというか。

「……これ、使いづれぇ」

 ロジェの精霊武具は蒼い霊玉の嵌め込まれた剣である。
 精霊力を通しやすいように作られたそれは、その精霊力がなければ紙すら切れないナマクラで、ロジェの精霊力を受けて初めて切れ味を発揮する。
 精霊協会に来るまではこの剣を用いた剣技と、生来得意としていたエネルギーを繰る精霊術の双方を併せて戦ってきたものだったが、その剣が精霊石を与えられ精霊武具となった今は少しばかり事情が違う。
 ひとまずは折角だから、と唇と指先で紡ぐ呪言を、空に放つのではなく剣を通して放ってみたのだ。

 段違いの威力であった。
 分かりやすく精霊武具という代物の圧倒的な力を体感させられたものである。
 もともと一部の方面に限るとはいえ精霊術には精通しているつもりで、その制御など容易いものだと思っていたのだが、精霊武具によってこうも威力を増大させられるものなのか。
 はっきり言って自分一人で紡いだときとは比べ物にならない結果であった。全く精霊武具とは本当に頼もしいものである。

 しかし威力が増幅されるだけならばロジェにとっては歓迎すること頻りなのだが、それだけでは済まない事情があった。
 剣に呪言を刻むまではよいのだが、それを術式として発動させる際に不都合が生じるのである。
 なんというか、引き込まれる、とでも言えばいいのか。
 それ自体強力な霊玉の爆発的な増幅力に自らの精霊力を乱され、制御を失いかけてしまうのである。
 結果として今のロジェでは繊細な術など放つことはできないし、得意であった筈の至近距離での高火力術式も発動できない。精霊武具を経由した暁には指先を叩き折られんほどの精霊力の奔流が予測されるその術式を、生半可に発動させようものなら暴発は免れない。
 腕とか余裕で吹っ飛ばされそうだよなー、と冷静に考えるが、流石にそれはごめんである。

 しかし自分のご自慢だったはずの高火力術式ですら、精霊武具を通して放つ拙い精霊術に破壊力で敵わないのだから嫌になってしまう。
 井の中の蛙大海を知らずという言葉を痛感させられたというか、どういうつもりで精霊武具もなしに冒険者の手伝いが出来るなどと大口を叩いていたのかと思うと凹まされるというか。
 呆れたようなあの人の顔が浮かぶ。
 お前にはまだまだ無理だと笑われたのはなるほど間違いではなかったようである。

 それでも足の付かない場所を探した中で、あなたと共に歩みたかったのです。

 そこでふと思い当たる。
 既に精霊術に慣れ親しんできた自分とは違い、同行者の方は戦慣れしていない様子であった。
 自分とは違う系統の精霊術使いとはいえ、武具を与えられて勝手が違うのは同じではなかろうか。
 そう思って戯れに精霊力を繰りながら彼に問いかけてみたのだが。

「使いこなせていないということだな。慣れることだ。私も引き金を引く度、お前に当たりそうに思えて困る」

 と、至極あっさりとした――何だって。

「……ってえっ、こわっ!? 気をつけてよ旦那!?」
「あれだけ撃って一度も当てなかったのだから大丈夫だろう。しかし、これの扱いもなかなか大変だ。一番使いやすいと渡されたのだがな」
「どんだけ慣れてないの……」

 全く無謀にも程がある。
 精霊協会の門を叩くその時までは戦闘素人だった冒険者は少なくはないのだろうが、それにしても考えがなさすぎるというか。
 少なくとも荒事が必須なのは用意に予測できように。

「そんなに不慣れなのに、なんでまだ精霊協会なんか入ろうと思ったのさ」
「真っ当な人間に紛れて暮らすことに疲れたというところだ」
「あそこが真っ当じゃない人間の溜まり場みたいな……まあそうか。しかしそれだけの動機にしちゃ無謀っつーか……案外向こう見ずなんだな、旦那」

 かつて暮らしていた地とは別の意味で真っ当ではない。
 あそこはあそこで倫理観だのなんだのの欠如した地だったけれど、精霊協会は――なんというか、奇人が多いというか。一般常識の通じない、そういった次元にいる類のひとが多いような気がした。
 自分自身しっかりとした一般常識を持ち合わせていると胸を張ることはできないけれど、それでもまだなんというか、まともな方だと思う。
 それなりに世間生きてるつもりだったし。

「そういうお前は何の目的で協会に入った?」

 ストレートに問われ一瞬思考が止まった。
 乱れた集中、指先で弄んでいた精霊力の光が霧散する。
 柔らかな煌きの中に何かを見出してしまいそうになった。

「んー。なんだろなー。なんていうか、恥ずかしい話なんだけどさー」

 それなりに馬鹿げた、その上みっともない動機であることは自分でも分かっているのだ。
 流石にその底まで吐くことは出来ないけど、そうだな、と息を吐いて。

「子供の頃とかってなんかすごいあれじゃん、夢とか見るじゃん? なんとなく多分それの延長っていうか」

 色んな人を助けて、色んな人に愛されるのなら、それは紛れも無い幸せじゃないか。

「なんだそれは……」

 呆れ声に彼を見遣った。
 どうやらロジェの思考回路そのものには疑問を抱いても、ロジェの台詞には納得してくれたようである。
 少なくとも嘘はついていないのだし正直安心した。変に探られてしまったなら、どうしようもない虚言で唇と胸を埋めてしまいそうになると思ったから。

「私はそれこそ無謀というもののように思うが」

 無謀と言われても、嘗て夢見たとある一つへの懸想は果て迄貶められ穢し尽くされた後である。
 最早清廉潔白と言えるものなどこの世に存在しないと知りながらも、それでも最後に手繰り寄せたこの先が、どんなものだろうときっと後悔はない。
 ただでさえ不足に喘いで息絶えそうで、後など残っていないのだから。

「でもほら、精霊術には馴染みあったし? 剣術とかも教わってたし戦い慣れはしてたから、動機が適当でも無謀にはならないだろ」
「なるほど、たしかに、戦えるだけましだな」

 だからこうして人の役に立てるのだから、人生何があるか分からないものだ。
 ……自分がこのひとの役に立てているかどうかは、流石にまだ自信が持てないけれど。

「おとぎ話のように魔物を倒して宝を持ち帰るのがお前の夢か?」
「んー。いや、別にそういうのは欲しくないんだけど。ああでも、魔物とか倒したら、褒めてはもらえるかなあ」
「褒める?」
「ん。ほら、魔物とか、怖がってる人いそうだし。それがいなくなったら、喜ぶ人いそうじゃん?」
「それは褒めるとは言わない。感謝されるという」
「じゃあそれでもいいかなあ。感謝したら、その相手には、好印象だろ」
「まあ、よほどのことをしなければ、感謝は印象につながるだろうな」
「じゃあ、ほら。間違ってない。精霊協会に入ったら、そういう仕事多いらしいからさー」

「冒険者はヒトに感謝される職業です、ってな」

 そう語った時のロジェは、少なからず浮かれていたのだろう。
 この先にあるだろう、あればよいと望む未来に対してあまりにも前向きで、その言葉を看過できなかった。

「感謝がほしいなら私の分まで受け取るといい。私はできればあまり人と関わりたくはない」

 理解ができず看過できない。
 恐らく看過はすべきだったのだと思う。自分が一方的に押し切った初対面ですら、その議論は平行線だったのだから。
 こうして自分が思考の端に引っ掛けられるたびに喧々囂々していては、とても共には行動できない。

 けれど、それが割り切れない程度には。
 恐らく自分は、ひとに心を残してしまっている。

「でもさー、一人って寂しくね?」
「ないな」
「……ないの?」
「なぜ怒る」
「いや別に怒ってないけどさ。なんか不思議っていうか、あー」

 そう。別に怒ることなど一つもないし、そもそも気にする理由だってない筈なのだ。
 そのひとが一人を望むのだとしたら、それはそれで良いのだろう。ひとにはひとの事情があって、それに土足で踏み込むようなことはすべきではない。
 ロジェ自身もそんな風にされたら嫌だと思うし、であればここは自省すべき局面で。
 そもそもだから、流せばそれでいいだけの話なのに。

「……あれだよなー。旦那、驚くほど未来見据えてないっつーか」
「もともと死人には望めないものだ。仕方ない」

 それでもこの人が、自分を死人呼ばわりすることが、妙に引っ掛かって嫌だった。
 だってこうして話して動いている。それだけで生きているとするのは十二分ではないのか。
 誰かの寄す処になるのには十分ではないのか。

 それが許されないのなら、未だに心に残したあのひとへの思慕は。

「でもこうして喋ってんなら生きてるじゃんよ。生きてるし、考えてるんだから」
「そうだな、まだ生きている」

 ああ、怒らせている。置いてかれたらいやだな、と思考の裡でちらりと考える。
 それが嫌ならさっさと黙るのが一番の最善手の筈なのだが。

「未来見据えてないのを、死人には望めないから仕方ないって言ってたじゃん?」
「なるほど、お前はそれを諦めるというのか」
「? ちがうの?」

 諦めとは望まないことではないのか。
 少なくとも嘗ての自分は、何一つ望まずに、全てを諦めていた覚えがあるけれど。
 あれは諦めではなかったのだろうか。

 あれが諦めではないのならば、一体何だったのだろうか。
 あれが諦めではないのならば、一体何が諦めなのだろうか。

「いや、間違いというほど間違ってはいないように思うな」

 結局こうしてはぐらかされて、答えは見つからないまま、それ以上踏み込む度胸もなかった。
 度胸というよりは無神経さか。
 ここまで勘繰って詰め寄っておいて、無神経は今更の筈であっても、目に見えない分水嶺に踏み込むことは叶わなかった。
 恐怖が先立つ。

 結局そのまま、旦那の身体だのなんだのについての難しい話で終わってしまい、諦めの意味を知ることはできなかったけれど。
 それでもただ、どうにか何か、このひとが望むことが出来るような未来を、自分は望んでもいいのだろうかと思った。

「なるべく長生きしような、旦那」
「なんだそれは……」
「一緒にいる人に死なれると悲しいだろ?」
「そうだな」

 一緒にいる人が悲しいときだって、同じくらい、悲しいのだから。


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