-DAY15-


珊瑚の欠片がふたつ
色が綺麗 きらきらしている

噂話を求めるもの
解決法を求めるもの
手紙も結構拾う
俺には答えが見つけられないけど



☆ ★ ☆



 カジノ船。
 未開の海からやってきたというそれをクロニカは探索協会の桟橋から眺めていた。
 ディドなどはあれを『浮かれた船』などと表現していたが言い得て妙だ。視覚にも聴覚にもひどくやかましい、眩しい装飾、鳴り響く音楽。ヒトの満ち充ちる欲望を煮詰めたような造形をしていた。
 なるほどあれなら多くの探索者が集まっているだろう。それも、強い欲を持つ者が特に。
 血を譲ってくれる相手を見つけるのには悪くないかもしれないが、どうしたものだかは悩ましい。

 クロニカが求める血は、生き物の血、人に近いものであるほど好ましい。それが強い生への渇望を持つものであるほど。契約に従ってディドから定期的に血液の提供を受けてははいるが足りないというのがクロニカの正直なところだった。
 ディドが悪いのではない。クロニカが求める量が多いのだ。本来の糧の代替として血を求めているのだから仕方のない話だが、身体はずっと”もっと”を求めている。もっと。もっと。ぼやけた意識の奥底で、本能が叫ぶのを聞いている。
 故にこうして他を探しなどするものの、クロニカが差し出せるものは多くない。というより、ほぼ存在しない。従って相手の良心に頼る形になってしまうのだが、当然結果は捗らなかった。
 だから、カジノ船は良し悪しだ。欲の強いもの。その血はクロニカにとっては良質だが――これも当たり前の話だが――そういった我欲の強い者は何の対価もなしに身を切ることに同意しない。望みは薄い、という結論になる。
 いっそ人が多く集まるのを当て込んで片っ端から声をかけるのもいいかと思われたが、あんまりやりすぎるとたちの悪いキャッチセールスもいいところである。全くセールス要素はないが。どちらかというと求めるのはボランディアだ。結局不毛なことに変わりはない。

「……うーん」

 捗らない。
 ゆっくりと遠ざかっていくカジノ船を見送ってため息をついた、ところを、声をかけられた。

 おい、と不躾な声だった。
 ぶっきらぼうなつっけんどんさは雇い主に似ている。

「……何か?」
「クロニカ・Y・ニールネイルだな」
「? うん」

 名前を確認されて素直に頷く。偽る理由は、特になかった。
 身長の高い男だなと思った。太陽を背に、男の落とす影がクロニカを覆う。獣の耳と嵩の大きな尻尾。獣人の類かと思いきや、左頬から服に隠れた首元にかけて、張り付いた鈍色の鱗が見られる。
 ちぐはぐな特徴とその男が纏う服の意匠には見覚えがあったので、

「俺はエイニだ。……ニールネイルの、狩人だ」

 その言葉には、そうなのか、とすんなり納得できた。



 狩人。ニールネイルの狩人。クロニカはその意味を覚えていた。
 戦いの心得を持つ者としての役割は、ニールネイルでは大きく三つに分けられる。日常的に食糧を得るための狩りに出る猟師。部外者との小競り合いに駆り出される戦士。
 罪を背負った、脅威となった、他特別の事情を負う逃亡者を相手取る”同族狩り”の狩人。
 目の前の男――エイニは一番最後を、狩人を名乗った。一族からの逃亡者は、それが重要人物でもない限り追われることはないと思っていたが、こうして現れたエイニが狩人を名乗ったということは、クロニカは追われているのか。となるとニールネイルを名乗っていたのは失策だったかと思ったが、今更のことなのでこれはもう仕方ない。追われているとも思わなかったし、こんな遠く離れた海でニールネイルの意味を悟る者がいるとも思わなかった。やはり仕方ないと片付ける。

 何をどう答えたものか黙り込んだクロニカに、エイニは思い違いをしたようだった。
 狩人っつってももうわかんねえか、そう吐き捨てたのが聞こえたから、

「いや、狩人という言葉の意味は覚えている」

 訂正したら苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「……じゃあ、俺が名乗った意味も分かるよな」
「追われていたのか? 俺は」
「…………。Yが逃げ出して追われない訳がないだろ」
「そうなのか」

 もう完全に不要になっていたかと。
 クロニカの呟きにエイニはさらに表情を歪める。
 不機嫌そうな男だな、と思った。上機嫌にしているところがあまり思い浮かばない。会ってすぐで失礼な感想を抱く。

「逃げ出した時のこと、あんまり覚えてないんだ。多分、俺を導いたのは血の近い者だったろうと思うんだけど」
「んな事情は知らん」

 言葉少なに切り捨てて、エイニはクロニカの腕を掴んだ。
 黒い革手袋に包まれた手だ。それ越しに悟れるものは多くない。
 ただ、大きな手だな、と思った。

「戻るぞ。クロニカ・Y・ニールネイル。外でのお遊びはもう終わりだ」
「ええと、それは困る」
「はあ?」

 何を言っているのか分からない、といった響きだった。
 低く潜められた声。それにクロニカは首を振った。

「他人と契約している身分だから、それはほっぽれない。里には戻れない」
「……お前の事情は知らんと言ったはずだが」
「そんなことを言われても」

 ぎり、と掴まれる腕に力が籠もったのが分かった。

「痛い」

 抗議をするとまた表情が歪む。
 腕の力は緩まない。仕方なくクロニカは言葉を続ける。

「別にディドが俺をどれだけ必要としてるかは分かんないけど、それはそれだし、契約は契約だし」
「…………」
「あと、何も変わってないと思うから、戻っても俺は結局役目は果たせない。子供を作っても産んでも死んでる。変わらない」
「お前――」
「なら、戻っても仕方ない。別にここにいても変わらないんじゃないか」
「……他人に精を乞うような生き方でも?」
「? ……狩人って結構聞かされるんだな」
「答えろ」

 恫喝に近い響きだが、不思議と恐ろしくはなかった。恐怖や怯えは最初からない。
 同族に対する安心感だろうか。郷里を離れて久しく、そんなことももう分からないし思い出せない。しかしそれが”同族狩り”に対してもそうだとしたら、こんなに滑稽なこともなかった。

「苦労はしてるけど、別に構わない。結局自分で探すか用意されるかの違いでしかない」
「……そうかよ」
「……痛い。離してほしい」

 クロニカの訴えにいらえはなく、たっぷりとした沈黙だけが返る。
 何人かの探索者が彼の後ろを通り過ぎて探索協会に入っていくのが見えた。他の人の目にはこのやりとりはどう映るだろうか。探索者同士のいざこざか。取引の上でのアクシデントか。助けを求める、というのも何か違うなと思ったし、結局他人の事情に首を突っ込みたがる探索者というのも少ないような気がするし困ったものだった。
 どうしたものか。

「エイニ」

 名前を呼ぶと、少しだけ力が緩んだ。
 しかし表情はより険しく変わり、押し潰すような声で彼は答える。

「……お前の事情は関係ない。そう言ったはずだ。俺は狩人としてお前を連れ帰る」
「だから、それは困るって」
「うるせえ、関係ねえっつって――!」

 最後までは聞かなかった。
 エイニの目の前で小さく魔力を破裂させる。猫騙しに近い音と衝撃に気を取られた隙を突いて腕を振り解くと、彼の身体を力一杯押した。
 体格では圧倒的にクロニカを上回るエイニはその程度では揺るがない。代わりにクロニカの身体が、反動で押し出されて、

「ッ、待っ――」

 焦燥感に満ちて手を伸ばす彼の顔を見ながら、背中から海へと落下した。



(――あの様子じゃ、多分まだスキルストーンは持ってなかったな)

 宿に戻って髪を乾かしながら考える。
 武芸に秀でた、戦闘能力の高い者が選ばれる狩人に、素のクロニカが太刀打ちできるはずもない。スキルストーンが使える海中でなら、と思ったが、そもそも追ってこなかったので助かった。
 しかしこれが効くのも今回だけか。探索協会の前で見つかった、ということは、クロニカが探索者であることは知っているのだろう。また会うかもしれない、というか、恐らく会うのだろう。
 やはり困った。どうしたものか。

「ん」

 扉が開いた。入ってきたのは当然ながらディドだった。安宿に拠点を移したので部屋は共同で取っていた。血のやり取りが楽なので、これはこれでクロニカに文句はない。
 何か用事があって外に出ていたのだろう。ディドはクロニカを一瞥すると、

「……海に潜っていたのか」
「ん? うん」
「…………。そうか」

 それだけで以降特に追及はなかった。隣を通り過ぎて椅子に腰掛ける。
 ――ディドに。話すべきだろうか。しかしどう説明するにも長くなるし、話したところで、といった感もある。
 何よりディドはクロニカ本人の事情や身の上には全く興味がないように思われた。苦労をしてああだこうだと説明したものを軽く切り捨てられてしまったらと思うとなかなか虚しい。
 それに、

(……そういう事情なら、って契約を切られたら、帰るのを拒否する理由もなくなるのか)

 ――自分の中で話がまとまるまでは、特別この話をする必要はないだろう。
 そう決め込んで、髪を拭き終えたタオルを下ろした。