《セルリアン》が比較的穏やかな海だというのを言っていたのは誰だったか。
海は凪いでいた。海面を渡る潮風は生温く、湿気を含んではいるが重苦しさは感じない。波が陽の光を受けて眩く煌いている。その光景を、見慣れない、や珍しい、ばかりではなく、美しいと思えるようになったのは、ようやく、ここ数日のことだった。それもまた幾月も経てば、飽いてしまうのかも知れなかったが。
水平線の向こうには、ほかの船か、何か、青くぼんやりと浮かぶ影が見えることがあった。それが実体なのか蜃気楼の類なのかは、判断を付けることはできない。
未開海域の探索は、一度の失敗を除けばおおむね順調だった。
クロニカも、あれから辞めるなどとは言い出さない。その代わり、報酬として血を与え続けなくてはならないけれど、これは大したことではない。海と同じように、慣れてしまえば、自分の肌に刃を当てるのに躊躇もなくなっている。
要求する癖に不味い不味いと不満を漏らすのは気に喰わなかったが、クロニカの本来の食糧を求められるよりは幾分ましだった。
――いや。
果たしてましであろうか、とは時折思うことだ。
あの男の本来の食性について考え、飢えた時のその目を見る時、ディドはいつしか嫌悪感を覚えるようになっていた。
飢えた子供が、粥を目の前にしたときの顔。そう思っていたのだが。
とは言え、クロニカに暇を出すという考えは、今のところディドにはない。
金は今のところ、それほど貯まってはいなかった。金を稼ぐためにはより深い場所へ、より未開の場所へ、より危険な場所へ向かう必要がある。そういった地域へ向かうためにはスキルストーンやチェーンジェムを揃える必要があり、揃えるためには金が要る。循環は今のところ変わってはいない。崩すつもりもない。あの男の扱う術はディドにとって必要だった。
気懸りなのはむしろ、あらぬことを言い出さないか、ということだ。
その時自分がどうするのか、ディドにはよく分かっていた。
海はなお穏やかだ。海鳥が高い空を渡ってゆくのが見える。
水平線に浮かんでいた影は、いつしか消えていた。
幻だったのかも知れない。