10.手招く
――ないているのは、だれ?
ぷかり、釣餌が水面に浮かぶ。
フィンヴェナハにはまた川魚かと文句を言われるだろうか。しかし今の花冠にとっては獣を狩るよりはこちらの方が余程楽であるのだ。
水辺での行動が許されるうちは川魚を釣って食い繋いでいた方が余計の体力消費も抑えられる。
少々不甲斐ないことではあったが、そもそもが基本的には食料の供給は花冠の側が一手に引き受けているのだ。文句を言われる筋合いはなかった。
こういった形で食べ物に不足するのは初めてかもしれないと思う。
冷害によるひどい不作に襲われた幼き日も、人里を離れ山での暮らしを続けたあの時期でさえも、狩りの腕だけで生き延びることが叶っていたから。
恵まれた身体能力の由縁は知らねど、その恩恵には十二分に与っていた。
それを今は、手放している。
不安はない。
その時の自分が持ち合わせるものを足掛かりに、それだけを頼みに生き抜く術を身に付けてきた筈だった。
降って湧いた力を頼らず、それがなくとも失われようとも、一人で生きられるようにと。
誰に教えられるでもなく。
釣り上げた魚を籠へと放る。
青背のそれは籠の底で頻りに跳ね、活きの良さを主張していた。
花冠に荷物を預け探索へと出た子ども達は、一人で生きられるだけの術を持ち合わせてはいないだろうと思う。
故に手を伸べ故に庇護下に置いた。
救い上げる意識はなく、救われるがためでもなく、宛ら呼吸にも似た自然さで。
それが一方的なものであることも自覚した上で、その自覚で思考を止める。
在るが儘の我が儘に自分の選択を受け容れる様は無聊を慰めるのにも似ていた。
それに振り回されるのは彼らだとも知って、それでも彼らが選んだことだと。
拒まれぬことを言い訳にただ共に在り続けている。
ずっと共に在り続けるとは、端から思ってはいなかった。
こうして釣りをしながら同行者について考えたことは前もあった。
あの咎眼の少女はどうしているだろうか。寄る辺なくその瞳に希望を探し求める少女は。
それに寄り添い、共に歩んだ傭兵は。
長い髪に懐かしい空気を孕んだ、穏やかで苛烈な女は。
背負い込んだ本の重さにも増して食欲旺盛な少女は。
魔王であると胸を張る少女は、
呪われた眼に苛まれる青年は、
同族を探し求める動く案山子は、
頼りなく彷徨うか細い少女は、
あまりにも無邪気な魔の眷属は、
自分に自信のなさそうな射手の娘は、
儚い雰囲気の少年と不敵な従者は、
頻りに身を寄せて来る獣の女は、
世界を渡り慣れた少女は、
奇妙な猫のような生き物は、
天真爛漫な狐の娘は、
不思議な友を連れた犬耳の少年は、
何の変哲もなさそうな子どもは、
頻りにあやかしのことを気にかける隠忍でない者は、
妖精を宿した花の娘は、
大鳥を連れた森の少女は、
白い布を被った不可思議な者は、
好奇心に目を輝かせる青年は、
――ばきり、なにか鳴る音がした。
花冠の手を離れた釣り竿は魚に引かれるままに水面を泳いだ。
その様が最早目には入らない。
視界が眩む。混濁していく。
昏い色に明滅して、同じように意識に靄が掛かって頭を身体を支配していく。
耳元に響き渡る音を、掻き消すが如く劈く叫び。
ないている。
「――――ッ、は」
息が詰まる。絶え間なく肺が痙攣し震える空気が口から漏れた。
耐え切れず身体が傾き地に落ちて、指先が救いを求め土を掻き毟る。
その間にも全身を内側から引っ掻き回されるようなこれは痛みか。そんなことはもう瑣末で瑣末でしかなくて、
ばきり、一際大きく鳴り響く。
合わせてごぼりと嫌な水音を聞いた。
どす黒い赤が口元を肩を染め汚していく。
――聞き分けのないことだ。
血臭に持って行かれそうになる意識を無理矢理引き戻す。
そんなものには構っていられない。そんなものには興味はない。
俺は、そんなものに惹かれない。
「が、――……く、そッ」
惹かれない。
だからと刀を抜き放ち、躊躇い一つ残さない。
白刃を向ける。
ああ――嫌われたものだ。
そうして身を貫いた刃の熱さを、懐かしきものと受け止めた。
――花冠はフィンヴェナハの前から、子ども達の前から姿を消した。
預かり持った荷物はそのまま、即席の釣り竿と籠と魚も遊ばせて、
あまりにも禍々しい、広がる赤色ばかりを最後に残して。
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それでいいと満足げな声。
こちらにおいでと笑っている。
恐ろしいものなどなにもないと、甘やかに囁き笑っている。
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