16.その間に距離に

『お前が来るのは自由だ。だが、あまり俺に手を触れるな。――不快だ』

 そう告げて背を向けた。
 拒み続けることを諦めた。



 だが今は別れ、遠く、離れている。 







「……離れすぎだ」

 通路を先行していたクロウはその声に足を止め口を尖らせる。

「花冠が遅い」

 反駁しつつも素直に歩調を落としたのを見て、花冠も少しだけ足を早める。
 その脇を猫が走り抜けていった。



 こうして兵舎の周辺を探索しているのは、正直なところ成り行きに近い。
 魔法生物研究家のクレーデレ、テオドールの同行者であるクロウ、奇妙な明るさを纏った少女・シセとの四人で、なし崩し的に向かうこととなったのだ。
 偵察程度であれば二手に別れた方が効率がよいという結論を経て、今の花冠はクロウと二人、周囲に視線を配りながら通路を歩いていた。



 クロウの隣に追いついたところで、彼を窘める。

「かけっこじゃないんだ。急ぎ過ぎては、見つけられるものも見つからなくなるぞ」
「ゆっくりしてたら逃げる奴だっているかもしれないし」
「……誰かを捕まえに来た訳ではないと思ったが……」
「兵士の身ぐるみ剥いで潜入とかするのかと思ってた」

 他愛ない会話をしながら進んでいく。
 先程通り抜けた猫が、そんな二人を不思議そうに見上げていた。
 にゃあ、と、穏やかな獣の鳴き声。

「お前はテオドールと同行していたんだったか」
「おう、テオを拾ってから十日程になるぜ」
「拾ってから」
「一揆するなら人多い方がいいだろうって拾った」

 奇妙な言い回しに花冠は首を傾いだがクロウとしては特別意味を持たせたものではなかったらしい。
 その点について花冠が追求しなかったのは、続けられた言葉の方が気になったからだった。

「何やってる奴なのかその時は知らなかったからなー」

 ――生業? ……ああ、暗殺やけど?
 花冠が問うた時のテオドールも、今のクロウのように、あっけらかんと答えたものだった。

「今は知っているのか」
「何やってたんだ? って聞いたら答えてくれた」
「……隠している訳ではなさそうだったしな」

 それほど深い付き合いでもない花冠に訊かれて答えたのだ。
 同行者であるところのクロウが相手であれば尚更隠すとも思えなくはあった。
 それが、花冠の目には、奇妙に映っただけで。

「お前は気にしないのだな」
「まあな。だって教えたって事は、暗殺する気ないって事だろうし」

 確かに暗殺にはならんが。
 首を捻る花冠を見て、クロウは意外そうな表情をした。

「何だ。花冠は気にする奴か?」
「気にされるであろうことを、気にする。……俺だったら明かさん」



 人間という生き物は、その集団は、得てして異端者を排斥するものだった。
 花冠はそれを知っていた。花冠はそれを見てきた。
 花冠は、自分がそうされるべき存在であることを自覚していた。

 年を取らない。
 人間にとって致命的な傷を負えど死なない。
 色の抜けた髪と、人のものではない左目を持っている。

   を、食らって、生きて来た。



「まあ他の面子には言ってないみたいだから、一応気を使ってはいるんだろうな」

 その言葉は少々意外だった。
 花冠に告げているのだから、他の同行者にも隠してはいないだろうと思っていたから。
 少なくとも花冠よりは深い交流のある相手のはずだ。

 クロウがこちらを見て笑った。
 つまり花冠なら大丈夫って思われたのかも、と。
 光栄なことだ、とそう返した。

「人が多い方がいいだろうと思って、と言ったが」

 少し前のやりとりを思い出す。

「お前がテオドールと同行している理由は、それだけなのか」

 だったら誰でも良かったはずだ。
 誰でも良かったなりに、何か、見出すところでもあったのかと、そう問う。

「後はそうだな。俺の探し人は、俺の出身地よりテオの世界の方がいる可能性が高かったから話を聞きたかった。それくらいだな」
「探し人?」
「おう。会いたい人がいて」

 そう言ってクロウが浮かべた笑みは、いつもの彼が浮かべているそれとは一風違っていた。
 何がどうとは、花冠の目には明確には分からなかったが、何かが。
 すぐにその笑みは消えてしまい、違和の正体を突き止めることは叶わないままだった。

 花冠を振り返り、クロウが問う。

「花冠はそう言う軽い理由じゃないのか?」

 共に歩く理由として。
 共に在り続ける理由として。

「……俺は、特段同行者を求めることはしていない」

 今のように、成り行き上や便宜のために誰かと行動を共にすることはある。
 他人と関わることを嫌ってはいない。むしろありがたいことだと、喜ばしいことだとそう考えている。



 不快だと告げた。
 それでも改められないから、今度こそと見切りを付けようかと思った。
 だがあまりにも嫌がるから、共に在り続けることを望むから、頭を冷やせと距離を取った。
 また再び落ち合うとを念押しした上で、距離を取った。

 だから今、ここにいる。
 だから今、遠く在る。



 それが何よりも落ち着くのだと、知っている。



「……共に行くことに執着する者の考えが、よく、分からん」

 だからそれを知らない。
 だからそれが分からない。
 だからそれを理解し得ない。

 クロウは首を傾けて顎に手を当てて考え込んでいた。
 思いついたよう、視線をあげる。

「あのデカい女がそんな感じなのか?」
「……恐らくは」



 自意識過剰で済ませることはできないだろう。
 自分だったらとっくの昔に切り捨てているのに。
 共に在り続ける理由など、何一つ、残されてはいないのに。



「んー……執着、って言い方は小難しいからよくわかんねぇけど、一緒に居たいって思うこと自体は変じゃないと思うな」
「俺と同行したところで、あれに益はないと思ったが」
「俺はあの女じゃないからどっちかは知らないけど」

 変じゃないのか、と、疑問に首を傾ぐ花冠にクロウが言う。

「益とかそんな事じゃなくて、ただ好きだから一緒に居たいって奴らも一杯いると思うぜ」

 そして、問うた。



「花冠にはそういう奴は居なかったのか?」



 好きよ、大好きよ、何よりも誰よりも好きで大好きで愛してる、そう愛してるの。
 あなたのことが好きだから、だからこうして一緒にいるの、あなたとともに生きているの、大好きなのだからずっと一緒にいようねずっとずっと離れたらいやだよ傍にいてね不安なことなんてなんにもないからね安心してね邪魔なものはみんなみんな消してしまえばいいんだから大丈夫だよ愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。



「……あれが俺を好くだけの理由が見当たらんからな」

 それだけ返す。
 あまりにも素っ気なかったし、問い掛けられたことに十分に答えられてもいない。
 だが、花冠が口にできるせめてがそれだった。

「……ま、世界にはボコボコにされるのが好きって奴も居るし、きっと何か理由があるんだろ」

 うん、などとクロウは一人納得している。
 追求されないのは有り難かった。
 自分から切り出した話題にも関わらず、これ以上踏み込まれることを嫌う。
 ひどく身勝手な振る舞いを露顕させずに済んだから。



「あいつの事嫌いなのか? それか一緒に居たくないとか」
「嫌っている、つもりは」

 ない。
 言い切る前に喉が涸った。
 忘れ得ぬ忘却からの、雑音が意識を蝕みゆく。

「……分からん」

 絞り出せたのは、それきりだった。

「分からん?」
「自分のことだからかね。……自分であるかも、怪しいが」

 結局はこうして煙に巻いてしまう。
 変わらないなと自嘲しながら、すまない、と乾いた声で、それだけを言った。

「……そろそろ一通り回り終わる頃か。戻るぞ」
「え、もう終わり? 何もなかった! そうと決まればさっさと戻って……潜入しようぜ!」

 話題の全てを終わらせるつもりで声をかければ、クロウは目を輝かせて合流地点へ向かい駆け出す。
 その背中を見遣って、花冠は呆れに少しの笑みを浮かべた。



「……あまり先に行き過ぎるなよ」



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