31.蹂躙

 あの時刀鍛冶が獣たちを払うことを選んだのは、花冠の身を案じたからではなかった。
 血肉を求めて膨れ上がる”それ”が、彼らを喰らい尽くしてしまうことになると知っていたから。



 突き立てる。
 刀など使わない。技倆など必要ない。
 ただ膂力だけで土手っ腹をぶち抜き、臓物を穿って力任せに叩き付ける。
 悲鳴。返り血を身に浴びる。血腥い臭いが鼻を突く。
 そんなことに構ってなどいられない。

 悲鳴のような叫びと共に振り下ろされた爪が、確かに身体を貫く感触。
 痛み。であるのだろうと、自身の感覚すらも他人事じみている。
 引き裂かれた衣が血を吸い込んで重く引っ掛かる。不快だが構わず爪を掴む。
 握り潰して放り投げる。木に叩き付けられた獣がこちらを睨む、その瞳を指で裂く。
 間髪入れず背後からの突進は、翼から突き出た骨――恐らく骨なのだろう、或いは、骨に似た器官――が受けて断つ。
 耐え切れずぼきりと折れた白骨が、すぐに再生をして醜く蠢きまた新たな形を作る。



 ぶちぶちと肉の引き千切られる音。
 それが誰から発せられているのかも最早定かではなかった。
 自分の身が刻まれているのか。或いは独りでに断裂しているのか。破裂する寸前かもしれない、いっそそうなってしまった方が気前が良い。弾け飛んでしまえ。こんななんの意味もない肉塊など。
 自棄のように噛み締めた顎に、ぐちゅりと崩れて潰れる脆弱な身体。文字通り歯応えのない。ひどくあっけなく腹立たしい。
 悍ましい音と共に拡げられた肉塊は怨嗟を封じ込んでどす黒い。

 ――中でだれか、わらっている。
 ”あの日”行われた行為とは程遠い、気品の欠片もない、尊重の意志など見出されないこの、喰い散らかすだけの無様をわらっている。
 それは尊び。



 横顔は幼い。



 血に沈められた身体は細い。



 哀れむ瞳は、果てを見霽かして。



 一ツ。
 一ツ。
 一ツ、一ツ、一ツ。



 肉を断つとき。
 抉り取るとき。
 その血を全身に浴びる時。

 間違いなく高揚している”誰か”がいる。






 誘われ集った獣たちは、一匹残らず牙を砕かれ爪を折られ、身を抉られて地に臥していた。
 血溜まりに肉が、毛皮が浮かぶ。開かれた口から零れた唾液が泡となって弾ける。
 それは血の池地獄を連想させるほどの惨憺たる様相だったが、そのような感想を抱く者はこの場にはいなかった。

 理性を失った獣だけがそこに在る。
 ぐちゃ、びちゃりと音を響かせて、命を失ったばかりの、あるいはまだ息のある彼らの肉を喰らっていく。

 甘美などでは断じてない。
 さりとて咀嚼を止めることもしない。
 有象無象の獣の味には最初から期待などしていない。
 それがどれだけ風味悪く、雑味に満ちて口に合わなかろうとも咀嚼をやめないのは、ただ喰らうために喰らっているからだ。

 喰らうことを求めている。
 ただその行為に執着し、欲望のままに喰い散らかす。

 呼び起こしているのは本能か。
 或いは手繰られた糸の果てにか。
 正気などとうに放り捨て、ただ求むるままに、求められるままに。



 あなたの覚えたその味になど、到底敵いはしないこの肉を。







 その味は、そう、何より甘美だ。

 神装を纏った娘が振り返る。
 想い出の中で笑っている。



 ――それは果たして想い出であるのか。

 囚われることを望んでいる。
 その魂が中に在る。
 彼はそれを知らずにいる。

 極上の肉の味を覚え、狂えたあなたは気付かない。
 失ったと追い求め、代用品に身を浸して、今なお嫉妬と瞋恚に身を焦がすあなたに、

 なにをどうしたら、伝えられるのだろうか。