33.恋しかれ

 芽吹きのオトがする。



 深層の奥の奥に潜むもの。
 幾重にも重ねられ入り乱れた魂たちの中を気まぐれに泳ぎ回り、いとしげに彼らを撫ぜては愛を囁く。
 それは一番届けたい者へは届かない。

 知って尚笑う艶姿が、誰の目にも映らないことも。







 自分自身について花冠が知っていることは少ない。
 どこまでが自分であると言えるのか確信が持てないからだ。

 今ここに佇み、ものを考え、未来を憂う自分ですら、自分であることに自信が持てずにいるからだ。



 枯れた土地の風は乾ききっている。
 四人での行軍、遅れたフローラに声を掛けて、大丈夫だよと取り繕って笑う姿に笑みを向けてみせる。
 そんなヒラヒラの服で着いてこようとするからですよ、ちゃーんと素直に待ってくれって言えばいいのに、と狐瑠璃の減らず口の中に混ざる優しさを微笑ましく思う。

 その心は誰のものだろう。
 そうしているのは誰だ。

 花冠という名前は。



 ――届けられてなどいないのに。



 赤毛の女が、人の形をした竜が、最早竜には戻れなくなった無様なそれが振り向いて、全くだ、と狐瑠璃に同意する。
 ぴり、と、未だにその存在を意識するたびに、肌が引き攣れるような感覚がする。
 視界に入れば荒れ狂う。視線を向けられれば吠え猛る。
 それは確かに、自分ではない者であるように思えたのに。

 根付いているのか。
 残骸でしかないのか。
 おまえはだれだ。

 おまえが。







 長くない。知っていた。
 けれど、こんなにも早いとは知らなかった。

 この土地に来たせいだ。
 手放した力で抑えていた。自分の力の多くをただ、”これ”を抑えるのに使っていた。
 人の世で生きるために。彼の望んだように。自分の望むように生きるために、なるべく徒人であり続けるようにと。
 失えば当然箍が緩み吹き飛ぶ。抑えていたものが行く先を見つけ溢れ出す。
 それだけの話だった。

『貴様の呪いも、衰えを迎えてはいないのか?』
『……変わらんな。思ったより根が深いらしい』

 嘘は言っていない。
 そう、何も”変わ”っていない。
 自分が弱くなっただけだ。



 昔を思い出す。
 呪いに、力に振り回されていた頃のことだ。
 世界が常にぶれ重なって、自分が見ている景色が分からなくなる。常に耳に囁く声を聞く。伸べられた手が全身を這いずり回るのを感じる。四肢を掴まれ、引きずり込まれるような錯覚を抱く。
 意識が侵され、現世と幽世の区別すら付かなくなって、その中でただ求めたものがあった。
 それを求めていたのは、自分なのか、自分ではない者なのかも分からなかったが、焦がれる心だけがただ揺れていた。

 それが自分であったなら純粋に恋しがっていたのだろう。
 それが自分でなければ真似ていただけなのだろう。

 呼ばれた名前すら思い出せない”自分”が、誰であるのか確信できるはずもない。



 家族が恋しかった。



 ただ、それだけを探して。
 遠くまで連れ去られていたから、山奥の里を出たことのなかった子どもが、その正しい場所など分かる筈もなくあてどなく、それでも時間だけは与えられていたから。
 ずっとずっと、自分が共に在り続けることを願った家族を、帰りたいと願うその故郷を、それらしき景色と朧気な記憶だけを頼りに、侵食され歪む意識の中で。
 求め求めて歩き続ける。

 謝らなければならないと思っていた。
 結果的に放り出してしまったこと。
 自分が支えるのだと、全て任せろと大口を叩いていたのに、それができなくなりきっと苦しい思いをさせてしまった。
 彼らの頼りは自分だったのに、捨て置いて遠くに行ってしまった。

 謝らなければ。
 許されなくとも。



 その思いを胸に歩み、そうして末に見つけたのだ。
 少年の故郷へと辿り着く。







 ――その墓標すら残らぬことに、どうして思い当たることができなかったのだろう。