37.あまいこえ

 貴様に、
 成し遂げられぬことなどなにもないだろう。



 ――その言葉に怒りを覚えたのは誰だったろう。

 自分の内部で蠢くモノが、常に止まぬ激情を湛えていることはよく知っていた。
 それは自分だから。肚を食い破り引き千切り、咀嚼しては高らかに笑う。その声と共に、その声を伴に連れ歩き、彷徨い求め日を暮らす。

 求めるものがないことを知っている。
 求めていたのが誰かは知らない。
 知らないふりをし続けている。

 補償、というにはばかばかしすぎる。
 地に落ち血に沈んだ矮躯を思う。
 笑えるほどに脆くあまりにも儚い、自分が殺した子どものことを思い出す。



 そんなものは気にしなくていい。
 あなたは人を食らってきた。それが当たり前のことだった。今も当たり前に変わりはない。
 だから人間などに価値を見出す必要はない。
 私達は二人きりで生きていける。



 囁きは甘い。
 どろついて粘つき、奥深くを縛り上げて留めようとする。
 緩慢な拘束に身を浸されている。
 誰のものかを知らされている。

 手放して、認めてしまえば、あるいはそれが自然の摂理。
 ずっと一緒にいたのだからと、求め続けていたのだからと、
 あの日に約束したのだからと。

 破られたその肌を、肉を、皮膚を。
 唆したのはお前だったろう。







『食べてくれればいいんだわ』

 くすくすと笑う。何がそんなにもおかしいのか分からないほどに、馬鹿げて笑う。

『あなたが、私を』

 胸に添えられた薄紅の爪は幼子らしくなく艶めいて光り、心の奥を擽り、誘う。
 控えめで可愛らしい肉欲を唆る。

 そんな悪趣味な装飾。

『知ってるの、覚えてるの。はじまりを。あなたと同じで、私は、全部』
『……はじまりだと?』
『ずっと一緒にいようね』

 そう言ったわ。私達、ひとつになるの。まぶたを伏せる。
 許されなかったから、次は許されるように、誰の手にも届かない場所で、遠くで、ふたりきり。
 くっついて寄り添って、永久に離れないように。

『あなたが私を追って、わたしが貴方を追って、また私があなたを食べるなら、ずっとそれの繰り返し』

 悲しげにつと伏せられた瞼、長い睫毛が濃い影を落とす。

『ねえ、私達、本当に近づけてると思う?』
『…………』
『何も知らない子どもだったわ。だからそんな、間違った道を選んでしまった』

 指先が伸びる。
 まあるい爪紅、やわらかなひかり。

 頬に触れて引き寄せられる。

『――ねえ、私、もう』







 唇が放される。

 粘着いた世界の赤く深い奥底で、
 ずっとずっと、夢を見ている。







『我慢できない』