64.名前
虫の声を聞きながら、揺らめく焚火を眺めていた。
前王ヨーレの元へ赴くことを決めた夜だった。三人を寝かせて、花冠は一人寝ずの番をしている。
二人で様子見に行ったラノエルージュとトーマス曰く、あれは暴走して手が付けられなくなってしまっているとのことだった。新王パラダイスへの反抗の徴であったはずの一揆がどうしていつの間にやらそんな話になったかは知らないが、放置する気にもなれなかったので成り行きに任せている。
何もかもそうだったな、と思った。
ここ最近は花冠が寝ずの番を引き受けることが増えた。
子どもにそのようなことをさせるわけにはいかないという言い分が通っているのと、ではフィンヴェナハはどうなのかと言うと、最早あれよりも花冠の方が人の身を外れつつあることには薄々気付いているようだった。実際堪えもしない。もともと眠りは必要なかったし、眠りを与えられたところでそれは大した休息にはならなかった。そのことに、ひどく自覚的になってしまってからは、そう長くはなくなってきたが。
人であることに対する執着が薄れてきているのが理由の一端であろうと、他人事のように分析する。未練も、望郷の念も、借りもので似せものだった。下手くそな贖罪で、愛したものを踏み躙っている。それだけだった。
囁かれる愛の情念が本物であることを知っていても、自らへ抱く薄ら寒さは和らがない。空虚が埋められることもない。
不格好な懊悩すらも真似事で、それを嘲けて視線を落とせば、ぼとり、黒い血が落ちて広がった。
――ああ、と思う。久しいなと語りかける。
虫の声が聞こえない。いつしか耳の奥、身体の裡から全身を掻き毟られて、貪欲に外へと足掻く気配がする。身の内に在るものだ。喰らうている。これはエンブリオの力をか。花冠が御してきたそれを、なるほど、同じくこれが御せるようになっていたとしてもおかしなことはない。
なにせ同じだ。
同じものだ。
ぞぐり、背中から異形の突き破るのがわかる。身が震える。今度はそれを、落とさない。食い破り広げて影を落とす。ひとりでに成長していく。なんだか、どうでもいい、と思って、地に蹲り、粘液に身を浸しながらその様を感じていた。自分の中から自分でない自分が鬨を上げる。その成長を、いっそ祝福してやっても良いのではないだろうか。
伸びた爪が花冠の顔を無造作に掴み上げさせる。にたりと笑う牙が見える。瞳は見えないから、目は合わない。瞳は花冠の左に在る。それこそが自らの瞳だった。
真朱、と、名を呼ばれた。