8.隔絶


 繰り返し、繰り返し、鼓動が鳴り響く。
 もうこれ以上保たないと、とうに識っていた筈だった。



「どうしたんだよ、一体……返事しろよ!」

 至近で紡がれる筈の声が遠く、それでいて酷く喧しい。
 触れる掌も揺さ振られる感触も同様だ。
 ただただ干渉が、存在が、その何もかもが鬱陶しく煩わしく、腹立たしく、忌々しく、

 胸を去来した感情の名など、最早。

「おい! 早くなんか言え! なんだよ、誰か、呼んだ方が――」

 故に後は従うのみ。
 裡の囁きに導かれるまま、振り払えば済む。

「――え?」

 その身体といのちの容易く摘み取れる脆弱さを嘲笑う。
 最後に聞いた小さな声、重なる軽い音に心地良い粘性、そうして後に広がる静寂。



 地を汚しゆくその色こそが、あるいは背負いし、罪たる真朱。







************ * * *  *   *        *







「あの三人、どういうつもりだ?」

 その言葉の示す先を、諒解するのが少し遅れた。
 今更問われることでもなく。花冠にとっては当たり前のことで、フィンヴェナハも理解を示しており、故に異論も唱えなかったのだと考えていたから。

 この地を訪れてより、花冠とフィンヴェナハは常にどちらか片方が寝ずの番をしていた。
 身体能力も感覚器官も衰えて、咄嗟の危険への対応力が落ちていると判断されたための対処だ。
 旅では当然の習慣を必要としない程度には、嘗ての彼らは在野に於いて圧倒的な力を備えていた。

 花冠が起き出して、フィンヴェナハが眠る。
 それだけの短い交錯の間に、投げかけられた問いがそれだった。

 夜闇の中に視線を向ける。まだ幼い三人は寄り添うよう、外套に包まって眠っていた。
 その光景を単純に微笑ましいと評するには心配が勝る。
 そして重ねて、節介の自覚。

「どうして連れて来た? 見ず知らずの子供だろう」
「理由が必要か?」

 手を伸べたのだと、そう考えることすら烏滸がましく浅ましい、薄い繋がり。
 由縁も何もかも投げ捨てて、ただひとつ、動機だけが残る。

「そうだな、理由が在るのならば聞かせて貰おうか」
「……特段」

 そこに言葉は積もらない。
 静寂の中に解けて消えゆく。



 夜のしじまに獣と虫の音。
 沈黙を破るかのように焚火へ投げ込まれた小枝が、ぱちりと弾けた。

「理由も無く連れて来たのか? 貴様らしくも無いことだ。……いや、貴様らしいのかもしれぬな、どこまでも不可解だ」
「幼い子供の三人旅だ」

 この地の治安が特別が悪いとは感じない。
 それでも子供が三人。そのうち一人は身体が丈夫ではない。
 ――だからどうした、と言われてしまえばそれで終わろう。
 それを、差し出がましい容喙を知った上で、ただ看過を拒んだだけだった。

 贖罪には程遠い。

「貴様が気に掛けると言うことが、分からぬのだがな…」
「そうかね」
「里を出て以来、初めて見たからな。貴様が、誰かしかに気を掛ける姿を見るのは」
「そこまで冷血な人間だったか」
「そうでは無いと思っていたのか」

 炎の揺らめきに照らされたフィンヴェナハの口元が歪む。

「いつとて、竜よりも硬い顔を崩さぬでは無いか」

 それを皮肉に思うのは、少しばかり、虫が良すぎたろうか。



「なあ、花冠」

 何か乞うようその声に視線を向ける。
 指先で前髪を掻き分けるフィンヴェナハを、訝しむ間もなく続けられる。

「随分と久し振りだ、眠る前の挨拶をしてもらおうか」
「おやすみ。フィンヴェナハ」

 一言返し、満足したかと火に目を戻す。
 獣の鳴く声が遠く近くに響き聞こえた。
 それを遮る形で、フィンヴェナハは語気を荒らげた。

 苛立ち。

「待て、そうじゃないだろう。貴様が教えたことだ」
「それがなければ眠れないということもなかろう。赤子じゃあるまいし」
「貴様こそ、冷血な人間では無いのだろう?」

 それとこれと何の関係があると言うのか。

「子供を見過ごせない程度にはな」
「それと比べれば、別段手間ではないだろう」

 焦れた様子で身を乗り出し手を伸ばす。
 その指先が膚に触れるより前に、花冠はフィンヴェナハを振り払った。

「やはり冷血ではないか」



 喧しい。喧しい。
 お前の願う未来になど収まれない。
 意のまま動く生き人形を望むなら、そもそも俺など求めるな。

 拒み続けて遠ざけて、そうして全てが済めば良かった。



 本当に、喧しい。



「そう思われても構わんよ。……さっさと寝ろ。明日に差し支える」

 明らかな拒否に流石に興も冷めたか。
 不満な様子を隠し切れぬまま引き下がったフィンヴェナハは、名残を惜しむのとは違うだろうが、最後に一言、言い残す。

「……おやすみ、花冠。だったか」
「ああ。……おやすみ」

 あとは獣と虫の音だけ。
 加えて時折弾ける火のみでは、無聊を慰めるには不十分すぎた。

 ふと投げ掛けられた、冷血という言葉の意味について考える。
 納得のいかない、必要性を感じない提案を拒むことが、果たして冷血と言って正しいのだろうか。
 或いは妥協や同情で、望まず要求を呑むことが、フィンヴェナハにとっての僥倖であるのか。

 その感受性が花冠には遠く理解が及ばないものであると、いつしか諦めてしまっていた。







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 血に沈んだ身体を拾う。
 酷く、軽い。
 その事実を再確認して、だが、自分が知るよりも尚、軽かった。
 いのちの抜ける音がする。

 壊してしまえば簡単で。
 壊れてしまえば修復できない。
 当たり前のことを忘れ、当たり前のことを知る。

 彼の命を代償に。

「……」

 苦痛に歪んだ表情の中、見開かれた瞳を閉じさせる。
 物言わぬ肉に触れて、残った温もりを抱き寄せて触れる。
 ぬるま湯にも似た生温さに浸る。

 こんな時でも獣の声は喧しい。
 全く容赦のないことだった。



 ――そうしてひとつ、決心をした。

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